おそらく自治会をつかって各戸に配付されたとおもわれるリーフレットが、わが家のポストに入っていた。
町内会や自治会が、行政役人の奴隷組織(無料で動く)として利用されていることは何度も書いた。
我われ日本人は、応仁の乱(1467年)からはじまった戦国時代をくぐり抜けて、天下統一を達成した、江戸幕府の安定をもって、現在があることになっている。
なので、第二次大戦後も、江戸の支配方式がいまだに続いていることの意味をかんがえて生活しているひとなんてほとんどいない。
逆にいえば、さほどに完成度が高かったのである。
ついでに、世界的にも珍しい「戸籍制度」(1871年:明治4年)が、治安維持にどれほどの貢献をしているのかも、かんがえて生活しているひとなんてほとんどいない。
この仕組みでは、「本籍」さえ判明すれば、確実に個人を追跡できるようになっている。
なので、こないだ末期癌から自ら名乗り出た、桐島聡(享年70)のように、ほぼ半世紀を「逃げ切った」ことは、意外な衝撃でもあった。
この裏返しに、グローバル全体主義・共産主義者である河野太郎が推進している、「デジタル・マイナンバーカード」は、最終的に戸籍制度をなくすことで、国民を「個体化(ルソーがいう「アトム化」)」し、当局が犯罪者を補足することを困難にさせ、挙げ句は、社会に混乱をもたらして国民の政府依存をさらに高めようという、とんでもない魂胆があることも、かんがえて生活しているひとなんてほとんどいない。
ついでに、くだんの桐島某は、マスコミが「大物」というほどの人物ではなく、組織人ではない一匹狼の、たんなる「爆弾魔」という小物だったゆえに、逃げおおせたといえる。
これも、わが国マスコミ人たちの相変わらずの「革命礼賛」であって、桐島某を大物として報じることの欺瞞とは、かれらの願望表現にすぎない。
つまるところ、自由な言論とは真逆の、「宣伝」をしているのだから、まっ先に『買ってはいけない』にエントリーされるべきものである。
こうした革命思想に染まるのは、学校教育の場でのことだから、だいたいが「テストの成績優秀者」になるのは、先生のいうことを信じて疑わない「鵜呑み」の訓練の成果なのである。
さてそれで、神奈川県の共産主義宣言とは、「ともに生きる社会を目指して」というタイトルのパンフレットが配布されたことをいう。
「ともに生きる社会かながわ憲章」というものをいつのまにか決めていて、さらに、「このリーフレットは、(同憲章の理念の普及を目指して)県が、障害福祉サービス事業所にポスティング業務を委託しています」とわざわざ表記している。
つまり、本稿冒頭の、町内会や自治会をも通さずに、障がい者に仕事を与えた、ことを強調したいのだろう。
上記表記で、「障害福祉サービス事業所」と書いたのは、わたしのタイピングミスではなく、オリジナルの表記である。
それで、「障がい」と書いたのは、わたしの言葉遣いである。
「障害者」「障碍者」「障がい者」という表記に関しては、議論があるところだ。
ところで、「憲章」ができたきっかけは、2016年7月におきた福祉施設における大量殺人事件の発生だったとある。
それで、「このような事件が二度と繰り返されないよう、県と県議会は、「ともに生きる社会かながわ憲章」を制定しました」と書いている。
さらにここから、「神奈川県当事者目線の障害福祉推進条例」が2023年に制定され、今年4月からは、「事業者(個人事業主やボランティア団体も含まれます)は、合理的配慮の提供が義務化されます」と、このリーフレットの宣伝目的が書いてある。
どうして殺人事件からこういった「条例」になるのか?ぜんぜんわからないが、「いいひと」ぶる偽善の発想が、とうとう暴走した、としか言いようがない。
つまり無能なのは、「県議会」なのだ。
だれも共産主義の押しつけではないか!といわなかったのか?
それに、「義務化」といいながら、合理的配慮の有無を誰がどんな基準で判断するのか?も、きわめて恣意的なのも、共産主義らしいのである。
一歩まちがえば、だれもが「犯人」扱いされる。
それが、「事業者」を対象とするから、驚くことに、この条例は、「産業衰退促進条例」という意味となって、神奈川県は産業放棄を推進し、ともに失業して暴動でもおこしましょう!といっている。
倫理や道徳を行政権で押しつけるのは、ナチス的なのである。
まともな自治体なら、県に逆らってでも「無効」か「無視」を決める「条例返し」で対抗しないといけないが、もうそんな首長も議員も絶えたのである。
わが国の衰退は、国家レベルというよりも地方自治レベルから「崩壊」という形で起きているのであるが、こんなことをかんがえて生活しているひとなんてほとんどいないから、もうどうにも止まらないのである。