気まぐれなシリーズ化ができれば上等なテーマである。
還暦もとっくに過ぎて、この夏の「藍染・小千谷縮」のジャケットをなんだかんだ2着も購入したら、伝統的工芸品と言えるような、「上質」を今更ながらに手に入れて、その製品寿命から、人生最後の買い物、という感覚が生まれた。
今回の買い物は、胡椒挽き(ペッパーミル)である。
まだ20代だった頃、新婚のお祝いに頂戴したデパート商品券で、フィスラーの圧力鍋と日本製の胡椒挽きを一緒に購入した。
鍋の方はパッキンの交換をしただけで、いまだに現役だ。
記憶によれば、当時で3万円超の高級品だったけど、商品券だから決断できたのである。
それでも、30年以上も使っていて、なんのトラブルもないのはさすがで、もう1年あたり1万円を割り込んだから、それなりのお得感があるのは間違いない。
しかし、胡椒挽きの方が、引っかかりもなくクルクル回りだしたのである。
当時、いちいちかんがえてこの手の製品を買うことがなかった。
あとから、プジョーの胡椒挽きが世の中に君臨しているのをしったけど、今度は需要の方がなかった。
それでも人間は面倒くさがるもので、台所と卓上の二箇所に置きたくなって、やっぱり誰かに頂いた商品券で、プジョーの電動ミルを、贅沢にも岩塩用とセットで購入した。
フランス人の発想は、いまだによくしらないけれど、カイロにいたときの誰かが乗っていた自動車がプジョーの高級車で、調子が悪いといってボンネットを開けた時の驚きは今でも覚えている。
日本車だと隙間があって、スカスカしているのは、衝撃に対してのクッションも果たすように設計されているのだろうが、このヨーロッパ車はスパゲッティのような配線がエンジン周りにへばり付いていて、一見してなんだか複雑に見えたのである。
これを、エジプト人のメカニックが顔を突っ込んで何やら作業するだが、元に戻せるのか?が心配になるほどであった。
当然だが、こんな昔話がいまも通じるとは思わないけど、大枚払って乗る車ではないと、妙に確信したのである。
しかししながら、変速機のギアを作る技術で、胡椒挽きを作ったプジョーは、美食大国フランスのお国柄としてすんなり納得できた。
とはいえ、電動の胡椒挽きのメカニックは、やっぱりどこか日本人のセンスとはちがう妙ちくりんなのだ。
スイッチを入れるとライトが点いて、目的のエリアを照らすのは確かに便利なのであるが、単三の電池を6本も使うのは、胡椒を挽くのにトルクを要するからだろう。
それでも、懐中電灯のような内部の作りは、100年前の設計ではないかと疑うのに十分な稚拙さに満ちている。
おそらく、超頑丈なギアが刃として使われてはいるけれど、それ以外はぜんぜん考慮されていないのかもしれない。
胡椒用と岩塩用は、若干のちがいしかない形態で、粒の荒さ調整のちがいほどしかないのではないか?
そんなことを素人が云々してもせんないが、塩は蒸発する、ということに気がついたのである。
おそらくヨーロッパではあり得ない湿気と夏の気温によって、大粒な岩塩も気化してしまうのだと思われる。
それが、電池を腐食させて、液漏れを誘発し、接点がイカれて故障するのである。
だから、我が家では岩塩用のミルは、いつも電池を抜いていて、すぐには使えないオブジェになっている。
もちろん、電池室にも悪影響するので、岩塩も抜いている。
そんなわけで、岩塩用には、セラミックス製のミルを別途購入して、こちらはいまだに健在である。
さてそれで、人生最後の胡椒挽きの買い物をどうするか?だ。
もちろん、電動ではない手動のものが欲しい。
それで決心して、横浜のデパートに向かったら、電動のタイプしか在庫がなかった。
手動のものなら、ドイツメーカーのコーナーだと案内されたが、それがまた、セラミックス製のものだった。
プジョーのライオンマークが刻印された、ゴツい胡椒挽きが欲しいのに。
でないと、人生最後の買い物としての意味が薄くなるような気がしたのである。
だったら、トヨタとか日産とかの胡椒挽きはないのか?と文句の一つもいいたくなるが、商品券で買いたいから、実店舗でないといけない。
とうとう横浜の衰退は、胡椒挽きも東京・日本橋界隈に行かないといけなくなったのか?
なんだか前に買いだめした、ホワイトペッパーが、泣いているような気がしてくる。
そういえば、人間は年にどれほどの粒胡椒を消費するのだろうか?
もう十分な量があるのか?足りないのか?
人生最後の粒胡椒を買うのはいつなのか?が気になる昨今なのである。