アメリカ地銀のやっちまった

16日、アメリカの銀行株価が急落して、時価総額にして約15兆円を失う事態となった。

ことの発端は、地銀が起こした「融資詐欺裁判」であった。

しかし、被害総額は億円単位のものだったので、なぜに銀行株全体に波及して、かくも巨大な損失となったのか?を問えば、よくある「疑心暗鬼」なのである。

ようは、ほかの銀行でも、たんまりと隠された不祥事案件があるのではないのか?という疑いの広まり、である。

おそらく、トランプ政権が起訴を開始した、ニューヨーク州の現職司法長官の融資詐欺事件とか、連邦下院議員の重鎮にして、昨年、連邦上院議員に「昇格」した、アダム・シフ議員への同様の疑惑がベースにあるのだとおもわれる。

だが、よくよくかんがえを巡らせば、「会計基準」への疑惑、という事態ではないのか?

つまり、(公認)会計士の仕事が疑われている事でもあるし、また、政府が用意する「基準」への信憑性が揺らいでいることも意味する。

このことは、外国でのこと、といって他人事にできないのは、すでに「国際会計基準」なるグローバル・スタンダードが出来上がっているからである。

これでたとえば、伝統的にして日本的な小売業における「消化仕入れ」についての処理方法が劇的に変更になった。
端的にいえば、否定された、といえる。

詳しくは読者が調べることをお勧めする。

さてそれで、アメリカをはじめとした先進各国では、とっくに高校生が税理士や会計士を目指すことを放棄している。
A.I.にとって替わられることが、一般的な将来予想になっているからである。

しかし、今回の事柄をかんがえると、ベースとなる制度設計から、恣意的な人間の関与が想定されているのではないか?という疑念がわく。

つまり、A.I.では処理不可能ではないのか?という悲観と、そうではなく、そもそも会計基準は「機械的」であることが、公平性を担保するのだ、ともなるので、今後は、「会計基準の設計方針」そのものの議論となろう。

それが、「国際会計基準」にも反映されることが確実だから、外国の特殊な事件とはぜんぜんいえないのである。

むしろ、わが国の政府は、税務署の職員が定年すると「税理士」になれるとかの制度も含めて、人間が関与することにこだわるはずであったものが、崩れる、ことを意味する。

だから、「税理士会」とか「公認会計士協会」とかが、A.I.化にどんなに反対しようが、株式市場やらが許さない、という対立となっていることが判明したのである。

15兆円の損失を、税理士や会計士が穴埋めしてくれるのか?に応えられるわけもなく、趨勢が決定した、といえるのである。

トランプ訪日の内容矛盾

27日で調整しているという報道が流れ出した。

果たして、「新政権樹立後」のタイミングで、むかしなら「初外遊先は米国」と決まっていたが、向こうからやって来る(乗り込んでくる)、という逆手順になっている。

名目は、31日から韓国で開催の「APEC:Asia Pacific Economic Cooperation:アジア太平洋経済協力」の首脳会議への出席途中、となっている。
なお、参加国には、ロシアも、香港も、台湾もある。

15日だとされていた首班指名のための臨時国会が、党利党略のグダグダで21日に招集がきまったようだが、ほんとうに首班指名選挙が行われるのか?という、フラフラの状況にあるので、「数合わせ」に終始している。

与党が議会での過半数をもたないのは、絶対安定多数から転落したからだけでなく、公明党の連立離脱と自民党内の離反とで、「少数与党」ではすまされない状態にあるためだ。

それで、票読みができなくなった。

だから、かつて「第二自民党」を恥もなく自称した極親中の「維新」と数合わせしても「2票足りない」ために、3票ある参政党に秋波を送っているが、肝心の自民党からどのくらいの票が減るのか?が不明なのである。

つまり、わが国も、フランスと似た、「組閣ができない」状態におちいっている。

にもかかわらず、マスコミは「自・維政権」ありきのコメントどりを恥ずかしげもなくやっていて、恥ずかしげもなく東大やらなんとか大学やらのエセ政治学者に、「左右の分断がすすむ」とか、「事実上の第三次安倍内閣」とかという、漫画のようなコメントを報じている。

社会の左右分断を推進してきたのが、左翼側だということをいわない輩が東大教授だということに、迷惑だとハッキリいいたいし、ステルス極左の高市氏が「社会主義経済政策のアベノミクス」をより強化してほんとうは「共産化」する方針のはずだとも絶対にいわないのである。

ようは、心のなかで高市極左政権を望みつつ、国民を口先三寸で騙して生計を立てている卑怯者たちなのである。

この極左性をしっているのに、知能が低い国民に真逆の解釈をさせることの悪辣さは、立憲共産から維新までが自分たちの本性を隠す伝統の延長で、あたかも小政党の参政党にキャスティングボートがあるように「高市政権樹立」のための圧力をかけている。

ほんとうはアベノミクスで、いいおもいをした高齢者なのに、「安倍政治を許さない」といった紙をリュックにつけて街を歩いていた、気の毒な左翼に利用されるだけの知能の低いひとたちは、こういった「仕掛け」に気付かずに人生を終えるのであろう。

もっとマイルドにいえば、「嫌い嫌いも好きのうち」なのである。

ときに、トランプ政権は、民主党からプレゼントされた「政府閉鎖」の裏をかえして、国務省とかCIAとかの終身官僚:SESの大量解雇を絶賛実施中である。
ところで、閉鎖はいつまで続くのか?の期限が18日過ぎまでとわかっている。
当日開催の「NO KING」運動の大規模集会を乗り切るためである。

誰が「乗り切る」のかといえば、上院リーダーのチャック・シューマーやらの民主党幹部たちの「保身」が優先されているからだと、「カナダ人ニュース」さんが解説している。
それで、より左翼のマスコミが、今回の政府閉鎖の批判先を民主党(幹部)においているのである。

トランプ大統領は、この構図を逆用し、余裕で訪日する。

また、活動を止めた政府官僚のなかに、「ジャパンハンドラー」と呼ばれた、日本をあやつる「人形師」がいるのである。
あたかも、『シン・ゴジラ』で凍結はしたが、次の進化を画策する者たちの息の根を止めるのが、トランプ政権2.0という構図になっている。

だから、今回のトランプ訪日は、その人形師たちを凍結させ力を削いだなかで行われる、おそらく「戦後初」となる、日米首脳会談が想定されている。
象徴的なのが、16日、トランプ政権1.0で大統領補佐官を務めたジョン・ボルトンを起訴したことだ。

コーミー元FBI長官の偽証罪での起訴に続く、SES大量起訴の狼煙があがっている。

すると、「有職故実」しか頭にない外務省やらの日本の官僚は、どうしていいかもわからない「出たとこ勝負」を仕掛けられている、ともいえる。
それもこれも、トランプ政権2.0にスケジュール管理されているとかんがえるべきである。

脳みそが退化している日本の官僚は、とにかく誰でもいいから「新政権」ができていればいいとおもっていることだろう。

しかし、トランプ大統領は、戦後一貫してきた「日本征服」の過去とはちがう思考で、日本をシンの独立の方向で操作しようとするにちがいない。
そのための「いけず」が、だれが首相になろうとも新政権に対して炸裂するはずなのである。

それがどんなものか?が見もの、なのである。

トランプ政権2.0がやっているチェスの局面における中東の次は、東アジアだからである。

ピケティ&トッドがいるフランスなのに…

『21世紀の資本』(フランス語原著は2013年、日本語版は2014年)のトマ・ピケティと、『西洋の敗北』(2024年)のエマニュエル・トッドという「世紀の知性」の二大巨頭がいるのにもかかわらず、フランスとEUのグダグダについてはこのブログに書いてきた破局的な実態がある。

つまり、フランス政界もEU委員会の官僚たちも、トマ・ピケティ&エマニュエル・トッドを無視しているのである。
だが、歴史家のエマニュエル・トッドからしたら、トマ・ピケティは、ずっとグローバリズム=執筆当時のオランド政権やマクロン政権&EUに近いのだから余計に始末に負えない。

ようは、混乱の元凶はマーストリヒト条約(1992年調印93年発効)=EUなのである。

しかし、ピケティが過去200年にさかのぼったように、それよりもずっと前からヨーロッパの歴史は血にまみれた小国同士の戦争の歴史だった。
「肉食の思想」から逃れられない自然環境にある彼らは、いまもずっと中国や日本でいう「戦国時代」を生きてきているのである。

日本では、「天下布武」をスローガンにした織田信長から豊臣秀吉・徳川家康という傑物が連続して登場するラッキーが「天下統一」を成し遂げ、太平の世を築いたけれど、そんな傑物を輩出することができないヨーロッパではナポレオン・ボナパルト一人だけという人材の貧困で、狡猾なる貴族たちによる「支配」をもってマーストリヒト条約締結となったのである。

この意味で、フランス革命は失敗が確定し、王党派貴族が事実上の勝利をおさめた。

無理やりの統合が30年あまりで崩壊しはじめて、いよいよ見た目でも戦国時代への回帰をしているのだが、長い時間でみれば、たった一世代ばかりのつかの間の平和(=戦争がなかった)だった、ということにすぎない。

そんなわけで、EU委員会がロシアを異様に敵視するのは、外部に敵をつくることでのいつの時代にもある「目くらまし政策」だとわかる。
トッドが、いまの人口と少子化(出生率は1.4しかない)によるロシアの国力を、現在の国境を維持するだけでも困難、とみていることでしれるのである。

それがプーチンが署名した、「戦術核を用いる」ことを可能とするあたらしい「核戦略」の発表であって、兵員のムダな消耗をしない、という決意になっている。
この延長で、ウクライナにおけるロシア軍の損耗をいかに少なくするか?が重要なのは、「戦後のベビーブーム」も視野にいれているからだと理解できるのである。

ときに、フランスの予算案が通過しないで政権崩壊危機の元凶が、ウクライナ支援にかかわる軍事費の負担について、議会の左・右両派が断固反対の立場にあるためだ。
日本でいう、都道府県知事レベルになったフランス大統領ゆえに、EU委員会(フランスのエリート官僚たちも多数いる)に奪われた財政と通貨発行権を駆使することもできない。

よって、EU離脱=独立国家に戻るしか方法がない。

さて、世紀の二大知性がいるフランスがこれで、そんな人物がみあたらないわが国の現状は、「混沌」としか表現できない。
東アジアにおける「戦術核」配備の実態は、すでに米軍をして本気で日本防衛をさせる話ではなく、いかに逃げるか?になっている。

だから、これを承知のトランプ政権は、1.0のときから日本の独立と核武装を勧めて逃げるが勝ちを画策している。

何度も書くが、現職の石破首相(すでに自民党総裁ではない)が、新首班指名のはずの臨時国会開会後冒頭に、いきなり解散、するしか打開策がないのである。

なぜなら、高市政権成立のための野合こそが、日本の危機をレベルアップさせるからである。

奇跡の中東和平

日本時間の10日、公明党が26年ぶりに連立政権から離脱するという「大ニュース」が飛び交っているなか、現地時間では9日、世界は「ガザ停戦合意」という急転直下の「超大ニュース」があり、13日にはエジプト(シナイ半島の保養地シャルム・エル・シェイク)で、シシ大統領とトランプ大統領の共催で20ヵ国以上の首脳が集まる「国際首脳会議」が開催された。

いったい主催者は、どのように各国首脳のスケジュール管理をしているのだろうか?

ここに、無能状態となっている日本政府からの代表の姿がなかったことが、世界から相手にされないいまの姿がみえてきて、大変残念な気持ちになった。
だが、首相が誰になるのか?わからない状態なので、相手にされるとかんがえる方がおかしい。

先ずは停戦の合意、次がそれでどうするのか?というテーマに移っているのである。

この第一段階の「停戦」に先立って、ロシアのラブロフ外相は、発表された停戦案を「現時点でのベスト」と評価していて、いわゆる陣営を越えて「トランプ案」がまじめに検討されていたのである。

第一次中東戦争(1947年から49年)が流血の歴史のはじまり、ではない。

第二次大戦中から勃興した「シオニズム(エルサレムにあるシオンの丘に帰れ運動)」が、主にナチスに迫害されたユダヤ人のあいだに広まったようにもいわれるが、ドイツ圏以外の世界に分散するユダヤ人の活動も活発化したのである。

政治思想としての「シオニズム」は、本当の地図上での「シオンの丘」を目指すものではなく、概念としてだったので、悲願とする「建国」さえできればどこでも良かった。

それで、「イスラエル」をどこに建国させるか?には、地球上で候補地が4案あった。

アルゼンチン、シベリア、満州、北海道、で、アラブ人たるパレスチナ人が住んでいるいまの地域がなかったのは、戦争勃発の危険があるためだった。
アルゼンチンは、ナチスに協力した「罪」があった。
戦後処理を考慮して、敗戦国の日本の満州と北海道が有力だったのである。

なお、シベリアとはハバロフスクの西側、スターリンによる「ユダヤ人自治州」があったからである。

いまの地域になった原因の第一は、むかしから戦争大好きな大英帝国の意地の悪い外交政策にある。
一般的に、「失敗した」という評価になるのは、現在に続く不安定さが中東にもたらされたからであるが、当の英国は「失敗した」とはかんがえていない節がある。

不安定にさせることでの支配の継続こそが、この国の常套手段だからだ。

ために、会議後の記者会見で、トランプ氏は「英国はどこだ?」といって、背後にいるスターマー首相を演壇に呼び出し、てっきり自分がなにか発言できるのか?と思った首相に、適当な握手をして追い返すシーンが印象的であった。

これを、トランプがスターマーを侮辱したと、トンチンカンな報じ方をするのを目にしたが、「いけず」なトランプ氏の性格をしっていれば、「お前、そもそもの原因のことわかっているんだろうな?」といいたかったのだと解釈できる。

それで、ヨーロッパ主要国の首脳が多数いる前で、「ハンガリーのオルバンはすばらしい!」と褒め称える「いけず」もやったのである。
ハンガリーをいじめるEUを小馬鹿にしたのは、いい意味の方の「いけず」である。

むかしはアラブの盟主といえば、人口が多く陸軍の大兵力があったエジプトであった。
それでも、当時の人口は4000万人ほどで「盟主」の地位にあったが、いまは人口爆発して40年で3倍の1億2000万人となり、軍の増強どころか食料が足らず国民を食わせることに汲々としている。

それで、サウジアラビアが財力で盟主になったが、英国=悪魔のささやきと金満財政の余裕から「福祉国家」を目指したら、とっくに政府財政は青息吐息になって、原油価格が$100を超えないと均衡しない厳しい状態に陥った。

その原油価格はいま、この停戦合意だけで大幅リスク緩和したので、約$60程度に下落してしまった。

本音では値上げのための「減産」をしたいが、それだと収入が危機的となるために、薄利多売で「増産」の方向になっている。
今後、ウクライナのカタが付いてロシア産原油が市場に開放されると、$30台だってあり得るので、中東の産油国にブラックロックやらゴールドマン・サックスやらが急いで拠点を開いている。

資産の投げ売りに対応する「ハゲタカ」たちが、すでにうごめいているのである。

そんな原油価格の状態なのに、ガソリン価格が高止まりしたままのわが国は、一体どうなっているのか?という議論が、「暫定税率」の話になって固定している。
これぞ、政治の貧困、なのである。

アルゼンチンのミレイ大統領は、トランプ氏に「ノーベル平和賞推薦状」をプレゼントし、アメリカ連邦下院は来年の「ノーベル平和賞」を要求すると発表した。

アルゼンチンが「イスラエル」にならなくてよかった、という意味がある。

どうする?ノルウェー政府、という「風が吹けば桶屋が儲かる」ようなことになっているのだが、「平和賞」発表直後のこの展開も、おそらくトランプ政権2.0は「計画」していたことだろう。

先に「トランプ受賞」が決まっていれば、それを大いに盛り上げる歴史的業績となるし、もしも「落選」したとて、ノルウェー政府に来年の受賞についての強烈なプレッシャーになる、と。

そんなトランプ大統領は、「日本はすでに同盟国でなくなったかもしれない」と発言している。
中共の傘下にある、という意味だ。

この発言を日本人は見くびってはならない。


合気道のトランプ政権2.0

民主党(議会トップは上院リーダーのチャック・シューマー)が、8回も否決して予算案を妨害したことが、今回(1日から)の「政府閉鎖」につながった。

オオカミ少年の逸話のごとく、どうせ今回もいつも通りのことだろう、というほどに、与野党の政争でやってくる政府機関閉鎖の危機は、なんだかんだの「談合」で解決するのがこれまでの通例だった。

ようは、政府債務の上限を「上げる」議決をすればいいだけ、という安易さ(国債の発行=FRBによる現金化)が答えだったのだ。

しかし、トランプ政権2.0には、強力なシナリオライターが存在する。

選挙公約にあった、「DS」あるいは、「ワシントンの沼に巣くう怪物たち」の排除という約束を実行するには、どうしたらいいのか?
これに、民主党の頭が悪いチャック・シューマーの力を利用して、合気道のごとく順手による施策を思いついたにちがいない。

つまり、「脅し」だけの民主党に、「閉鎖」で対抗する案で、予算がないから閉鎖だけでなく、予算がないから、カーター時代からの定年がない終身が約束されている官僚制=SESの民主党思想(グローバル全体主義)に偏向している高級官僚たち、とくにオバマが約2000人と大量採用した「オバマ・チルドレン」を中心とした解雇を企画したのである。

対象者は4000人で、すでにトランプ政権2.0は、各省庁の長官をして、これらへの解雇通告を実行している。
「連邦政府は、あなたの政府へのサービスを必要としなくなった」が、解雇理由である。

これには、スティーブン・ミラー(Stephen Miller)大統領次席補佐官がからんでいるはずだ。
この人物は、あのDOGEの産みの親で、連邦職員の本格的解雇について、トランプ政権1.0から仕込んでいた逸材なのである。

その「仕込み」とは、バイデンに解雇された職員に裁判で敗訴させるという巧妙さであった。

民主党の息のかかった連邦裁判官による「判決」を利用した。
「連邦職員の解雇権限は、行政府長官としての大統領にある」という決定が、いま、トランプ大統領の権限として活用されているのである。

よって、この民主党側判事のおかげで、さしもの高級官僚たちも解雇に応じるしか術がない。

それをまた、実行させたのが、民主党のチャック・シューマーという構図なのである。
トランプの政府を追いつめたはずが、自分たちがどうにもならない窮地に追いつめられて、打つ手なし、にされている。

今回の政府機関閉鎖の後に、トランプ政権2.0は、「SES制度」そのものを廃止する可能性もある。
24年大統領選挙中、トランプ氏は「猟官制度:スポイルズ・システム」を発展させた、第7代大統領アンドリュー・ジャクソンの功績を称えていた。

だが、ジャクソン大統領こそ、民主党初の大統領であったのだ。

もっとも、トランプ氏は元は民主党員だった。
このことも、いまの民主党は忘却しているし、RFK.Jrにしても、トゥルシー・ギャバード女史にしても、そもそもがバリバリの民主党員だったのである。

つまり、トランプ政権2.0とは、「旧民主党政権」なのである。

「旧」が、共産化=グローバル全体主義化した「新民主党」を排除する闘いを展開している。
その手法が、「新民主党=力業」に対しての「旧民主党=合気道」なのであった。

なんにせよ、日本でこのような議論が微塵もないことも、わたしが高市早苗氏にまったく期待しないばかりか嫌悪する理由となっている。

ノーベル委員会の敗北

10日、「2025年ノーベル平和賞」の受賞者が発表された。

ベネズエラの野党指導者で、ニコラス・マドゥロ大統領の独裁に対抗する人物、マリア・コリナ・マチャド女史である。
この決定に、マドゥロ大統領は、「悪魔の魔女」だとの声明を発した。

一方で、受賞を狙っていた、トランプ大統領には、パキスタン、カンボジア、マルタといった国々からの推薦があったものの「落選」となったのである。
ここに、日本がないことは、国民として覚えておいた方がいい。

「落選会見」で、トランプ大統領は、マチャド女史からのメッセージがあったことを伝えたし、マチャド女史本人のコメント動画もネット配信されている。
そこで彼女が語ったのは、「トランプ大統領にこそふさわしい。わたしが大統領にこの賞を献げます」だった。

世界の主要メディアは、トランプ氏の落選をバカにする記事を書いているが、独裁政権と対峙するマチャド女史からのメッセージを伝えない。
フランスのマリーヌ・ル・ペン党首と同様に、マチャド女史も政権側からの選挙妨害が露骨なのである。

実際に、トランプ政権2.0は、マドゥロ大統領への圧力を軍事的にも強化しており、マチャド女史からしたら、唯一の頼みの綱がトランプ大統領なのである。
それで、政権から命を狙われているために、マチャド女史はすでにアメリカ大使館の保護下にあるとの報道もある。

すると、ノーベル委員会(「平和賞」はノルウェー政府が担当する)の決定の意味はなんなのか?という、毎度の政治的なフィルターの疑念が吹き出してくるのである。

「経済学賞」とはちがって、アルフレッド・ノーベル自身が指定したのが「平和賞」ではあるが、政治的な中立を維持することの不可能は、そのまま賞自体が「政治」になっていることの問題である。

むろん、なにも平和に貢献したとはおもえない、オバマ、が受賞して、なぜにトランプではないのか?という疑問は、あんがいと中立的な意見となる。
佐藤栄作の受賞も、日本へ独立を促し、核武装を容認した共和党ニクソン政権(キッシンジャー)への皮肉の意味がある。

だがノルウェー政府の立場は、民主党バイデン政権と共同で実行した、「ノルドストリーム2」の爆破工作実行犯としての、トランプ政権2.0に対する不都合な真実があるのではないのか?

これを、エマニュエル・トッド著『西洋の敗北』での北欧三国の軍事化の動機と共に味わうと、説得力がでてくるのである。
この意味でも、トランプ政権2.0がノーベル委員会(=ノルウェー政府)に対して、批難声明を出したことはわかりやすい。

逆に、ノルウェー政府は、トランプ政権2.0に「日和らない=グローバル全体主義の自認」という態度を貫いたのだが、まさか肩透かしとした受賞者本人が、「トランプ大統領に献げる」といいだすとは予期しなかったのだろう。

ここに、ノルウェー政府=ノーベル委員会の敗北をみるのである。

草履で健康になる

1969年の東京オリンピック開会記念日(じつは紆余曲折ある)だった「体育の日」をより安逸な「スポーツの日」としたのは、2020年(令和2年)からであるがその前の1998年(平成10年)の祝日法改正(2000年:平成12年施行)によって、10月の第2月曜日へと、日付が変更されている。

これは、「ハッピーマンデー法」なる「国民の祝日に関する法律の一部改正」1998年(平成10年)10月14日成立(小渕内閣)による。
「飛び石連休」が激減した理由がこれだ。

ひっそりと、「3S」政策を強化した、といえる。

さて、作務衣と足袋を揃えたら、こんどは草履がほしくなった。

どんなアルゴリズムかしらないが、そんなかんがえが浮かんだすぐさま、なぜか草履の紹介がネットに現れたのである。

断面が三角の草を用いているのは、国内でも珍しいという商品紹介で、まったく「パピルス」に見えた。
ナイル川の川畔に茂る葦草の仲間であるが、エジプトでも近年では珍しくなりつつある。

ふつうのイグサに比して数倍もの強さがあるというけれど、最古の「紙」として用いた古代エジプト人の執念を感じるのは、わが国の「紙漉き」とはぜんぜんちがう、薄くスライスした茎を縦・横に並べて「編む」おおまかな布づくりなのである。

大分県から届いた草履をさっそく下ろして履いてみた。

子供の頃の夏休みには、ゴムぞうりを毎日履いていたのに、いつか鼻緒が食い込んで指を擦りむいて以来、ずっとご無沙汰していた履物である。

今回は、足袋が指をカバーしているけれど、「履き方」よりも「歩き方」を忘れている自分に気がついた。

踵から着地する、「靴」の歩き方ではうまくない。

そういえば、YouTubeで、「文明開化」から戦後の日本人は歩き方も奪われたという内容の動画があった。
和装における歩き方の基本は、前重心で骨盤をつかい、インナーマッスルを上下運動させるのである。

これがはた目に、相撲の運動に似ているとの指摘があるが、正確には上に書いたように、インナーマッスルを上下運動させるために、腕と足の左右の動作が一致するようにするのがコツなのである。

上下運動といっても、頭も上下に動くことはない。

駅までの道中で、かなり運動した感があるのは、慣れない草履が気になるだけでなく、「歩き方」そのものが、靴を履いたときとまるでちがうので、おそらくふだん使っていない筋肉たるインナーマッスルをうごかしているからにちがいない。

履物屋さんの動画を観ると、草履も下駄もどうやら同じ歩き方が前提で、戦国時代の武士が履いていた「足半(あしなか)」という前半分だけの草鞋(わらじ)が機敏さを確保できて重宝されたという。

一方、雪駄の歩き方は、踵の裏に金具をつけて、「チャラチャラ」音を出して歩くのが「粋」だということになったので、草履や下駄とはちがう歩き方となる。

それで、「チャラい」という言葉ができたが、いい家の人からは煙たがられたのであった。

前に同級生が語ってくれた、彼の父君が山梨の田舎に帰省の際、下駄を履いて山道を上がって峠を越えて、反対側の友人宅を気軽に訪ねていた話を思い出した。

いまは整備された国道があっても、とてつもないアップダウンである。
この旧道を下駄でいく脚力に驚いたものだが、正く履けてふだんからのインナーマッスルの使い手ならば、当時、驚くには当たらない行動だったに違いない。

さては草履を正く履いて、正しく昔ながらの歩き方を習得すれば、それだけでいまよりずっとなまくらな体が鍛えられること間違いなしだと確信したのである。

ところが、「履物屋」も絶滅危惧種で、売りたくとも作る職人がいなくなっているのは、「小千谷縮」とおなじなのである。
ただし、「履物屋」のビジネスモデルは、未完のパーツを組み立てて「商品にする」ことにある。

草履も下駄も、いまが最後の入手可能性となっている。

怖い「音楽の力」

1994年12月(日本では95年12月)に公開されたのが、『不滅の恋/ベートーベン』だった。

本物のベートーベンの遺書に残された「不滅の恋人」とは誰なのか?を当時の学術研究に基づく説をモチーフとしながら、ベートーベンの素顔の生活と音楽を関連づけた傑作である。
音楽は、サー・ゲオルグ・ショルティ指揮によるロンドン交響楽団のオリジナル演奏がこの映画のために録音されている豪華さだった。

映画のヨーロッパでのヒットとは別に、日本ではサントラ盤が異様に売れて、二枚目も発売されるほどの、ベートーベン入門CDになっていた。

作中、映画の語り部役の弟子に、ベートーベンが「音楽の力」について独白するシーンがある。
ひとは行進曲で歩き出し、ワルツで踊る、という一種の悪魔的な指摘に、弟子は驚嘆する。

西洋音楽しか習わなくなった日本人は、いま「邦楽」といえば、「J-POP」のことになった感があるけれど、雅楽からはじまる日本人の音楽は西洋音楽を拒否していることが痛快でもある。

ただそんな「邦楽」は、いまでは生活でも遠い世界になっている。

わたしは祖父とカラー放送前の白黒テレビ時代、昼の2時に東京タワーのスタジオから生放送していた『キンカン素人民謡名人戦』をよく観ていた。
こういう番組を、いまも覚えているのも「音楽の力」なのだろう。
ただし、民謡はどれも節回しが複雑で、なかなか覚えられるものではなかった。

似たような時期の1963年からはじまったNHK『新日本紀行』のテーマ音楽は冨田勲の名曲で、その民謡調の曲想が当時の日本の原風景を想起させながら、いま聴けばなんともいえない哀愁があるのは、原風景を失ったことでのことだろう。

だから、ここでいう原風景をしらないいまの若い日本人は、もしや退化しているのではないか?ともいえ、それがまた哀愁となるのである。

アニメに「聖地巡礼」があるのなら、『新日本紀行』巡礼もあっていい。

ニュースのはずなのに、音楽がついたことで違和感があったのは、2018年にあった、韓国海軍による自衛隊機へのレーダー照射事件における韓国側の報道でのことだった。
まるで、映画のような演出が「わざとらしさ」を独白したも同然だったが、素直に思考停止して視聴すればよくできていた。

昨今のテレビ報道における「偏向」問題で、日本の民放もこれとおなじ手法を用いて、映像に音楽をつけている。
その曲選びが、また、編集者の意図に沿っているので、素直に思考停止して視聴すると、すっかりその意図にはまり込むようになっているのはベートーベンの指摘通りなのである。

ニュース放送は意図的につくられている。

人間の脳は、柔軟ではあるけれど、何度もの刺激には「慣れる」ようにできている。
たとえば、むかし学生時代に、先輩のアパートに数日間籠もったことがあったけれども、この場所が在来鉄道の幹線が集中する線路の真横で、頻繁に通過する電車の音と振動がまるで『神田川』のようであったのに、しばらくしたらぜんぜん気にならなくなった。

とはいえ、やはりテレビ報道を観るのは脳に悪い。

それでYouTubeで、音楽家による解説番組を観ると「名曲」のなんたるかをしりえて納得がいく。

ベートーベンの後継者といえるブラームスが自身で「傑作」と評価した『交響曲第4番』が、どのような作曲テクニックとして複雑構造であっても、それが演奏されたら曲になっていて、素人が聴いても破綻しないことの奇跡は、つぎに何度も脳が勝手にリピートする原因なのだと合点した。

とにかくわたしの脳は、数々の名曲を押しやって、「ブラ4」を勝手にリピートするのである。

「耳について離れない」とはこのことだ。

ついでに、サガンの『ブラームスはお好き』(1959年)とセットになるものの、半世紀以上経った未来のフランスはそれどころではない
サルトルと親交があったという、実存主義作家としての彼女の筆致は、彼女が嫌ったフランスの延長によって、まさに懸念した通りになった、ともいえる。

なるほど、このようにして思考停止するとコントロールされるのか?

そこへいくと、どうなっているのかわからない日本の民謡が気になるのである。

公明党離脱と高市潰しの滑稽

首班指名の臨時国会はどうなるのか?

そもそも、高市早苗氏は首班指名を受けることができるのか?

「元・体育の日」の10日、26年間続いた公明党との連立政権が終わりをつげた。

このブログでは、高市早苗氏を一切支持していないのだが、現実の動きはことなるのも事実である。
そのリアリティーに寄せれば、まったく混沌としてきた、というのがすべてであろう。

果たして、高市氏が首班指名を受ける確率は、だんぜん下がっている。
さほどに嫌われる原因は、彼女の政治姿勢が「保守=右派」だとの決めつけ=世論操作にある。

しかし、世界はすでに「左・右対立」の時代は終わっていて、「グローバル全体主義・反グローバリズムの闘い」となっている。
この観点からしたら、高市氏は決して「反グローバリズム」のひとではないばかりか、むしろ、グローバル全体主義に日和っている側なのだ。

しかし、その寄り方が「甘い」という理由で、仲間内から排除されているのだとおもわれる。
もっといえば、旗幟を鮮明にしないので不気味、なのであろう。

たとえば、高市選対の応援団長、小野田紀美参議院議員は自ら「保守ではない」と宣言し、自分の言動が世間から「保守」だといわれているだけだと断言したようなわかりやすさが高市早苗氏にはないのである。

さて、公明党の離脱で、単純な「数の勝負」になってきた。

しかし、その組合せが複雑怪奇な情勢になっている。
自民党内は、麻生太郎氏を核とする表札は「高市派」と、菅義偉・森山裕のふたりが反麻生で連結している。
これと、野党のグダグダ連中が、党利党略で暗躍しているのである。

どちらにも、どこにも、だれにも、まったく、国民目線がない。
これはこれで、呆れるしかない歴史的権力闘争なのである。

改めて、坂口安吾の『堕落論』にいきつく。
堕ちるだけ堕ちて、底からの這い上がりしか残された道はない。

それを国民が選ぶという、責任が次にやってくるのである。

西洋は天皇の人間宣言で敗北した

GHQが勝者の論理丸出しの「占領」で、国際法もなにもかも無視した横暴をやったことことから、それが実態は「征服」だったとしれる。

これを企図したのは、開戦の半世紀前にも遡る『オレンジ計画』だったことが明らかになった。

だが、もう当事者とその世代は日本にもアメリカにも生存していない。

しかし、あんがい見棄てられているのは、計画の実行者だった「GHQ」とは、欧州を含めた戦勝各国の「連合軍」のことだから、わが国を征服して彼ら基準での好き放題をやった連帯責任から逃れられるものではない。

逆に、マッカーサーひとりの戦後処理を装った犯罪ではない、ということだ。

その数ある犯罪行為の中で、もっとも効果的な破壊力をもったものが、「天皇の人間宣言」である。

明治の、ほんとうは欧州列強の手先である「元勲」と呼ばれるひとたちの筆頭、伊藤博文が企図した「日本教」の布教をもって、わが国は近代工業国家へと脱皮するのに成功した。
「日本教」の構造は、ドイツ皇帝に謁見して指導を受けた伊藤が、プロテスタンティズムに基づいて考案したとおり、「プロテスタント教会」とおなじ建て付けになっている。

それが、「現人神」に集約される。

あろうことか、わが国はマックス・ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義に精神』を発表した1904年(明治37年)から5年よりもずっとはやい、1889年(明治22年)に、『大日本国憲法』をつくりおえていた。

逆にいえば、マックス・ヴェーバーは日本の状況からパクったのではないか?
それゆえに、『マックス・ヴェーバーの犯罪』なる告発本を書けるのが日本人だけなのではないか?と疑うのである。

ところで、ニーチェが『アンチクリスト』を発表したのは、1895年で執筆の開始は1888年だったから、やたらわが国の動きにまとわりつくのである。

わが国の事情をいえば、伊藤をはじめ討幕運動にかかわった者たちのほとんどは、「水戸学」に陶酔していた。
朝敵とされた徳川慶喜は、その水戸藩生まれであった人物なので、グルッと一周する。

産業革命を実地で観た伊藤は、市民社会のなかでも「中間層」の役割なくして工業化の不可能をしり、それをどのように作り出すのか?の挙げ句に、「四民平等」にいきついた。
身分制の伝統あるわが国を、フラットな「市民社会」に改造するには、ヨーロッパで圧倒的な権威たる「神」を創造し、それに四民を平頭させることが必要だったのである。

ために、伊藤本人は、生涯、天皇に平伏しなかった。
「現人神」をつくった「超人」が伊藤そのひとだとの自負であろう。

これを、「不敬」と責めたのが、暗殺犯、安重根の伊藤懲罰筆頭にあげる理由なのである。

しかし、先進国たるヨーロッパにおける「キリスト教信仰の弱体化」とそれにともなう「家族の解体」で、とうとう「道徳」と「倫理」が崩壊を開始する。
第一次世界大戦の「総力戦」とは、一般人を巻きこむことの無罪なる倫理崩壊があったことの結果なのである。

しかし、わが国は世界に魁けて日露戦争による「総力戦」を実行して、未来のヨーロッパに先行してしまったのである。

これが、ヨーロッパと日本がまとわりついて離れない、グズグズの原因だ。

しかし、「人種差別撤廃」をいいだした日本を許せないほど倫理が堕落したヨーロッパ&アメリカに敗戦してからの「戦後」で、彼らの「無」倫理の果てとなる「人間宣言」によって、ヨーロッパ&アメリカ人は、じぶんたちの神も徹底破壊したのである。

その挙げ句が、いま、だ。

トランプの登場も、ヨーロッパにおけるアンチ・グローバリズム政党の登場も、じつは「神を取り戻す闘い」となっている。
そうしないと、社会秩序の崩壊がとまらないからである。

日本では、神社を統轄する組織と、仏教の宗派それぞれにおける内部崩壊がとまらない。

構造がヨーロッパ&アメリカとおなじにさせられたからである。

つまり、日本再興のカギは唯一ここにあるということなのである。