下院議長が決まった

残念ながら、わが国は正真正銘の、アメリカ(民主党・戦争屋)の属国・植民地であることが判明して、いまや国内政治の状況は、どうでもいい、とおもう毎日を生きている。

ついぞこの間までなら、「陰謀論」だとバカにされるか、はなから相手にされないものだったけど、まだ「陰謀論」をいうのなら、相当の「情弱」を告白しているようなもので、こちらから相手にしたくないと言い切れるほどに、ハッキリしてきている。

それはなにも、岸田氏の言動を文学的に分析してのことではなくて、アメリカの機密情報が、75年の非公開期間を経過して、公開されてきたからである。
また、それがこれまでの公開情報の真実を強化しているのである。

たとえば、戦後すぐの、ディーン・グッダーハム・アチソン国務長官(トルーマン政権)が示した、「アチソン・ライン」(1950年1月)という、「不後退防衛線」は、その後の朝鮮戦争を誘発したことで有名になったものだ。

これは、フィリピン・沖縄・日本本土・アリューシャン列島に連なるラインでの軍事侵略で、この一線を敵が越えることは、アメリカは断固として反撃するとしたものだったが、ここから、台湾と朝鮮半島(韓国)が外されていた、のである。

つまり、沖縄を含むわが国(沖縄返還は1972年5月15日)は、冷戦時代における「アメリカの都合だけのため」の極東の最前線として位置付けられたことを意味するのに、日本人の多くは、アメリカによる日本国土防衛を信じて疑わなかった。

それが、究極の軍事戦略、「核の傘」に直結して、「丸腰」を強要(「絶対的平和主義」とか「専守防衛」思想)されたわが方は、「非核三原則」なる自己規制を持って対処したが、その根底にあるアメリカの核による安全保障そのものが、ありもしない欺瞞だったのである。

にもかかわらず、この「(東アジア)戦略」が、ついに日本国民の、安保はアメリカに任せるのが安くつくという、世界史を無視した、「常識」になったのは、プロパガンダの成果であった。

じつは、「昭和一ケタ世代」という、特別な仲間意識の根源に、これらの決めごとに対する疑念を抱く共通感覚があったのである。
しかして、「敗戦」という一事をもって、これを公言しなかったのも、「完敗」という認識からの、潔さが、仇となったのだ。

芸能系でいえば、歌謡番組の名司会者、玉置宏が、最晩年になって「昭和一ケタ世代」の本音を吐露したことがあって、これをおなじ昭和一ケタのわたしの両親は、その瞬間をだまって頷きながら観ていたのを思い出す。

グダグダ軟派のはずの玉置氏が、じつはバリバリの硬派(まさに「昭和一ケタ」)だったことの共感は、どれほどわたしの両親を感動させたかしれない。

いま話題の芸能事務所創業社長がしでかしたことと、その背景にある、GHQの「3S政策」を基礎に置けば、玉置氏の発言がテレビ放送で流れたのは、ひとつの「放送事故」にあたるのではなかろうか?
すると、このひとは、相当の覚悟をもって発言したのだろうと、いまさらながらに想うのである。

その証拠に、この場面は二度と放送されていない。

そんなわけで、わが国の将来を左右するのは、アメリカの政治状況に全面依存しているのだから、連邦下院議長の人事は、大統領と同様の重さがある。
アメリカ連邦下院こそ、大統領に対抗する、「予算権限」があるからで、政権運営の財布は、下院議長が事実上握っているからである。

2日に、建国以来初の、議長解任となった、ケビン・マッカーシー氏の後任が、やっと、マイク・ジョンソン氏で決まり、25日、就任式を終えた。

左翼プロパガンダを専門とする、同日付ロイターは、「2016年に初当選したジョンソン議員は、ここ数十年で最も経験の浅い下院議長となる。このため政敵が少なかったことも、議長選出の一助となった」と印象付のための余計なことを書いている。

素人も、ウオッチし続けるとプロ同等か、利害関係がない分、かえって磨かれた情報を発信するもので、SNS時代の恩恵を得るためにも、既存メディアだけに頼ってはならないどころか脳の毒である。

この点、しつこくウオッチを続けている、カナダ人ニュースさんの報告は、いつだって役に立つ。
本件も早速、「速報」としながらも詳しく配信してくれている。

まず、このマイク・ジョンソンという人物が、生粋の保守派にして、トランプ支持者だということが、なによりも重要な情報なのである。

ロイターはこの重要な情報を隠している。

ケビン・マッカーシー氏が解任されて、RINO(Republican In Name Only:名ばかり共和党員:戦争屋)があぶり出されることになると書いたが、まさにその通りとなった。

しかして、マイク・ジョンソン氏が候補になる直前の候補は、トム・エマー下院共和党幹事長だった。
このひとは、完全なるRINOであるが、なぜか昨年の中間選挙を経て、下院幹事長職(下院党内NO.3)の地位に就いていた。

しかして、議長候補となるやわずか4時間で、辞退を表明するはめになったのは、よほどの反対があったからだろう。

これで、ケビン・マッカーシーを筆頭とした共和党内の戦争屋は、2番手の下院院内総務、それに3番手の幹事長と、順番に血祭りに上げられることになったのである。

もちろん、犠牲もあって、司法委員長のジム・ジョーダン氏の立候補を潰したのも、RINOたちであった。
しかし、これは完全に、RINO議員の「あぶり出し」となったので、ジム・ジョーダン氏からしたら、「ざまあみろ」だったにちがいない。

すでに、今回表面化したRINO議員たちの地元では、次期24年総選挙のために別の候補者選定がはじまって、これら議員たちの再選阻止=落選運動がはじまっている。

事実がドラマをつくったのか?あらかじめシナリオ作家がいたのか?は知らないが、共和党の大掃除も同時にやっていたことの周到に、ただ感嘆するのである。

アメリカ政府内で反乱か?

国務省で、アメリカ製武器輸出の審査を担当していた部長級の人物が、民主党バイデン政権に嫌忌して辞職し、自身で辞職理由についてのコメントを発信した。

きっかけは、いまのイスラエルへの武器供与だが、この人物は過去の事例、たとえば、ベトナム戦争とかも示唆しながら、ウクライナでも相当のストレスがあったのに、とうとう堪忍袋の緒が切れたのだとおもわれる。

きっちり、法的根拠も挙げているから、個人の感情が優先された行動ではない。

その法とは、武器輸出に関する連邦法で、「人権違反する者にはアメリカ製の武器を渡してはならない」に、違反しているという指摘である。
わたしは、ウクライナ・ゼレンスキー政権にもあてはまると思うけど、この人物は、今回の対イスラエルで、「キレた」のである。

この怒りの矛先は、バイデン政権だけでなく、なにもしない議会にも向いている。
むしろ、議会も超党派でイスラエル支援のための予算をつけようとしている、と。

ついにマスコミも取り上げて、話題になっていると、及川幸久氏が動画で解説している。

さらに、国務省内では、「反乱が相次いでいる」らしい。
「Dissent cable:反対意見通信」が準備中だというのだ。

この通信とは、「歴史的な重要局面で重大な意見の相違を表明するもの」だと、及川氏は動画で解説している。
そして、機密ルートを通じて、政府内のリーダーたちに届くシステムだとのことである。

ところで、このブログで何度か紹介している、アメリカの高級官僚は、「SES:Senior Executive Service」であって、このひとたちは、各省庁の管理職を管理していて終身制の立場(約9000人)にある。

ここで、今回辞任したこの部長職にあった人物は、SESなのか?それとも管理職だけど、SESに管理される側だったのか?が不明なのだ。
さらに、「Dissent cable:反対意見通信」を用意しているのも誰(どちらの立場)なのか?も不明だ。

オバマ政権時代に、オバマ氏は自分の息のかかった人物たちを、千人単位でSESとして採用した。
これを、「オバマ・チルドレン」と呼ぶ。

しかして、そのオバマ氏の出生について、証明がないという大問題が放置されている。

アメリカ合衆国大統領になる資格には、生まれながらにしてのアメリカ国民であること、という条件がある。
これは、移民1世は大統領になれないことを規定したものだが、移民2世でも当てはまらないことがあるのだ。

移民1世の両親がアメリカ国籍を取得してから生まれたら、生まれながらにしてのアメリカ国民と認定されるからで、それ以外は排除されるのである。

オバマ氏は、ハワイ州生まれ、ということになっている。

そこで、大統領選挙に立候補するとき、予備選挙で民主党に届け出たとされる、出生証明書(発行元はハワイ州保健省)を、そのまま民主党も認定して、大統領選挙本選にも出馬し、当選したのだだった。

ところが、その書類が、偽造されたものだという、複数の専門家による鑑定結果がでたので大いなる疑惑になっているのである。

当然だが、オバマ氏は沈黙しており、民主党の牙城、ハワイ州当局も沈黙している。

本土の州では、出生証明書の原本の確認を求める訴訟が頻発しているが、「提訴理由に、原告に直接的な損失を認めない」という、変な理由で、ことごとく門前払いとなっている。

詳しくは、「ハラノタイムズ」さんの動画で確認されたい。

ハワイといえば、こないだ8月8日の山火事が連想される。

この火事の数々の不思議や不審も、民主党・ハワイ州政府はなにも発表していない。
いまや、旧ハワイ王国ならぬ、民主党王国になっていて、その支持者にも、州職員にも、サヨク日系人が多いのだ。

そんなわけで、国務省内の反乱が今後どのように展開するのかはわからない。
ただし、アメリカの分断はここまで進んだ、といえるのは確かだ。

しかし、ふつうの国ならまだしも、パクスアメリカーナを自負する、覇権国なのだ。
だから、アメリカの混乱は、世界に影響を与える。

2014年のマイダン革命前夜のウクライナ国会では、ひとりの議員が、キエフのアメリカ大使館内で、騒乱のやり方を教える学校が開設されいることを、「ジュネーブ条約違反だ」と訴えていた。
この議員が登壇すると、議場はヤジの声に包まれている。

はたして、ヤジを飛ばしていた多くの議員は、いまの状況をどのようにみているのか?
ちなみに発言した議員は、ロシア(クリミア半島のヤルタ)に逃れているという。

憲法の規定すら遵守する気がないアメリカ民主党は、当然のように国際法も遵守する気がない。

生真面目な気質で、従順な日本人は、「悪法も法なり」とたたき込まれるけれども、アングロサクソンには、「ルールをつくるのは自分たちだけだ」という野蛮な遺伝子がある。

それで、国連安保理に出された、ロシアによる、イスラエルへの停戦案に、わが国も「反対票」を投じて、第三世界から、「アメリカ(民主党)のポチ」と揶揄されたのを、マスコミも報じない。

鈴木宗男氏を叩いたように、あくまでも反露を律儀に貫くのは、ほんとうに国益にかなうのか?

ロシアから天然ガス供給が断たれて、ヨーロッパ最悪の経済状態にあるドイツが、いよいよ今年、GDPでわが国を抜いて世界第三位になることが確実になった。
ドイツの人口は、約8000万人、わが国の3分の2である。

それだけ、日本の1人あたり生産性が低くなったのも、一貫して実行されている、社会主義化の成果なのだ。

日本の官僚で、自由主義の旗を振って、政府に反乱する根性があるものがいなのも、ハワイの日系人を見倣っているからかもしれない。

学者の堕落とサヨクの目覚め

石油がどこからやって来るのか?を意識していないことが、ずいぶん前に露呈したのが、自民党3役の重鎮にあった、野田聖子氏である。

それは、南シナ海の環礁に人工島を建設し、なお、領海宣言をしたことの、シーレーン防衛を記者から問われたとき、「わが国からはるか遠いから関係ない」とあっさり答えた事による。

それに、当時のオバマ政権は、この人工島の建設に口先だけ反対してなにも行動しなかったことと連動して、この無防備を、国家安全保障上の大問題とする野田氏以外の政治家も皆無だったし、もちろん、日本をおとしめたいマスコミも騒がなかった。

いってみれば、これが「戦後民主主義の到達点」なのである。

日本国民の代表は、情弱な国民並みのままで、与党の要職に就けることを示したからだ。
これぞ、なんでも平等、の成果なのだ。

そんなこんなで、ウクライナ戦争も、一方的に「ロシアが悪い」に終始して、とうとう、イスラエルに戦禍が飛び火した。

「イスラエル=ユダヤ」と「パレスチナ=アラブ」との対立は、『旧約聖書』を元にする近親憎悪の話だという、千年単位のとてつもない時間をかけた問題だと認識されている。
「エル-サレム:平安京」がからめば、たちまちキリスト教徒も登場する。

もちろん、まちがいではないけれど、20世紀からの「中東問題」とは、あんがいと「近代史」の上にあるあたらしさがあることをいうひとが少ないのも、わたしには不可解である。

おそらく、歴史的に世界でもっとも安定した地域だったのが、日本列島であるから、日本人はヨーロッパの歴史における複雑が理解できないし、そこに、もっと複雑な「ユダヤ問題」が基底としてあるとなると、もうほとんど手に負えないのである。

これは、頭では理解したつもりでも、体感的に理解できない状態とおなじだ。

たとえば、日本人が体感的に理解している、「詫び・寂び」を、外国人は頭で理解しようとして、ぶ厚い書籍を何冊も読もうが、体感的に理解するのには相当な困難を伴う。
対して、日本人は、頭で「も」理解しようとするひとは、「その筋の専門家」以外少ないだろう。

上の例の主客を逆にした、似たような話が、日本人にとってのヨーロッパというものなのである。

当たらずといえども遠からず、と、ヨーロッパ理解をしたのは、ヨーロッパから一方的にやって来た宣教師たちを観察した、織田信長や秀吉であった。

信長のやんちゃは有名だが、腐っても「織田彈正家」としての格式に沿った教育を受けたことは間違いない。
秀吉にいたっては、当時におけるまともな教育さえ受けたとは言い難いけど、いまとは比較にならない厳しい社会環境で、経験からの活きた知識を習得していた。

これらのひとたちが、ヨーロッパ人に媚びるどころかぜんぜんひるまなかったのは、おそらく、ヨーロッパ人を、「野蛮人」だと認識していたにちがいなに。

だから、「南蛮人」といったのである。

ヒトラー率いるナチス(「国家社会主義ドイツ労働者党」)は、ユダヤ人を、「人間の格好をした動物」と定義づけて、ホロコーストに及んだのは有名だけど、いまのイスラエル・ネタニヤフ政権は、パレスチナ人を、「人間の格好をした動物」だと公言している。

対して、今般、イスラエルに大規模攻撃を実施した、「ハマス」も、イスラエルのユダヤ人たちを、「人間の格好をした動物」だと公言しているのである。

さてそれで、いわゆる「パレスチナ地域」という場所は、いったん聖書を横に置くと、1897年にフランスで起きた、「ドレフュス事件」をきっかけにした、「シオニズム運動」が起きてもしばらくは、各民族共存の地だったのは事実である。

これは、パレスチナ難民を大量に受け入れざるを得なくなった北の隣国、レバノンも同様であった。
「よき時代」のレバノンは、「中東のスイス」といわれていたのである。

そんな平和なレバノンが国家としての体をなさなくなったのは、民族構成の急激な変化に、政治体制が追いつかなかったことで起きた混乱が、ずっと続いているためである。

そして、混乱がテロ組織を育成したのである。
「ハマス」を育成したのは、アメリカなのだった。

これは、アフガンの「タリバン」もそうだったし、「IS;イスラム国」もしかり、南米各地でも、世界中でおなじパターンなのである。
情報機関も、官僚が組織運営をするために、「同型パターン」がコピーされるのである。

いま、わが国のマスコミが採用する学者たちは、こんな説明もしないで、「ハマス側」に立った「解説」ばかりをしているのである。
もちろん、イスラエルの所業も褒められたものではないから、余計に、単純化は危険なのである。

そんな中、アメリカで、「BLM(ブラック・ライヴズ・マター)運動」のロードアイランド州での創始者・元代表(現在は離脱)が、トランプ支持を表明するという、「事件」になっている。

そして、「民主党は差別政党だ」と言明したのである。

まことに、本質を突いた話で、ようやくサヨクも気がついたようだ。
冷静になってかんがえれば、このような結論に至るのである。

しかし、ひとは、自分でかんがえているようであまり深くはかんがえない。

これもひとつの、「読解力」なのである。

読解力の訓練には、「国語ドリル」

ホスト界で、「軍神」と呼ばれているという、心湊一希(みなと いつき)氏は、自らが売上1億円を突破する一流ホストであると同時に、新人ホストの教育研修企業の代表・講師として、おそるべき成果をたたき出すことでしられる、という。

銀座の名物ママは、教養人として書いたことがあるから、ホストも同様に教養人でないとつとまらないのはよくわかる。

ただ、私には縁が薄い場所なので、詳しくはしらない。

教養人ということには、二面性があって、ひとつは自身の教養のことで、もうひとつは、客側の都合に合わせるための教養となる。

どちらも不可分だから、一口に、「教養」というけれど、性格のちがう教養だという認識は持っていたほうがいい。

前者は、自分のためのもので、後者は、他人のためのものだ。

いわゆる、「水商売」とは、基本的に、「接客業」にあたる。
この、「接客業」というものは、拡大解釈すると、たいへん広大な範囲となるのは、あらゆるビジネスの取引が、結局は人間を相手にするからである。

世にいう、「接待」も、自分の本業がなんであれ、取引先を接客することと何ら変わらない。

たとえば、ゴルフでの接待でも、名人級のひとがいるのは、接待相手の事前研究を怠らなかった成果としてあらわれるのである。

これを接待される側が気づくか、そうでないかを、じつは接待する側は観察している。

経費をかけて、接待するのだから目先の取引にとらわれることもあるだろうけど、長い関係構築が最終的な目的になるはずなので、カネをムダにしない接待のためには、相手をみることは必須である。
当然だが、今回は接待される側も、相手はちがえども接待する側になるときに、これがないとただのお遊びになってしまう。

だから、接待上手な企業は永続できる可能性があるが、そうでないと脆い企業体だと判断されかねないのが、ビジネスにおける接待というものだ。

そんなわけで、接待=遊興費と決めつけて、予算削減を命じるだけの経営者は、こうした接待目的をしらずに、ただ会社のカネで遊興してきた職業人生だったのだとしれるのである。

それ故に、銀座やらの高級クラブで締める接待に、わかっている企業人が使う店は、「業界別」の選別をしている。

じつは、業界人トップが集まる特定の店があるのだ。

だからといって、業界人以外がいない、ということではない。
むしろ、ある特定の業界人のトップや幹部とお見知りおきの仲になりたい、といった場合に、こうした店の顔になっていると、ママを介して紹介して貰えるのだ。

昼の時間なら、めったにアポイントメントも取れそうにないひとでも、こうした店なら名刺交換してくれるし、翌日の日中に連絡も許されるのは、ママとの信頼関係があるからである。
だから、一見でママに紹介を依頼しても、そうはいかない。

優秀な営業マンが、昼行灯と揶揄されても、夜の営業に精を出すのは、各クラブのママと双方で、じつはビジネス上の人間関係管理をやっているからで、これの効果で本業での営業成果が出せるのである。

よって、上司はこれを許すばかりか、積極的になるのである。

しかして、人間関係構築には、会話が欠かせない。
これを、冒頭の、「軍神」は、論理的に見抜いている。

それが、「読解力」の強化なのである。

なぜなら、「読解 ⇒ 思考 ⇒ 伝達」というプロセスを必ず経るからだ。
第1ステップの、読解ができないと、次以降のステップ(工程)に進めない。

接客する相手が、主に、ホステスなら男性、ホストなら女性となるので、これらのひとたちがなにを欲しているのか?をまず「読解」しないと、商売としての会話にならない。

どんなに、本人に教養があっても、それをアウトプットすることもできないのである。

ホストという商売が大変だとおもうのは、女心の理解、というわたしにとっての難関・難問があるからで、ただルックスがよくて媚びればいい、というわけにはいかないことにある。

現代のA.I.がまったくできないのが、読解だ。
人間がA.I.を使う側でいる条件が、「読解力を高めること」に尽きるのは、上のプロセスに代わるものがないからである。

逆に、人間がA.I.に使われる分岐点となるのが、「読解力の有無」である。

前に、進学校の授業は、「わかる」を優先させているのではないか?と書いた。
そのひとつの答が、徹底した国語の「読解力」向上のための訓練だった。

中勘助の、『銀の匙』を一冊、年間をかけて詳しく読み込む、ということで、「灘校」を進学校に変貌させたという。

やっぱり、『学習指導要領』に従っていたら、子供はダメになるのだと、読解できた。

監査役の別格化ができない

「日本企業売り」のためだかしらないが、企業経営情報の公開に関して、ずいぶんと細かく・詳しく規定されるようになってきた。

誰のためなのか?をかんがえると、法律の意外な側面が見えてくる。

たとえば、刑法。
様々な犯罪とその罰(「死刑」とか、「懲役年数」とか)の量刑が書いてある。
だから、この法律は、裁判官用だとわかる。

ならば、わが国最大の法典、「民法」はというと、これは国民生活におけるルールを定めたものだから、国民一般のためにある法律のはずだ。
さいきんは、誰のためのなの?が怪しくなってきているけれど。

すると、商売人のための法律として、「商法」があったのに、これを、「会社法」とに分割したのはどういうことか?

なんだか、「日本企業売り」のための、外国人投資家向けという目的が見え隠れする。

岸田氏というよりも、自民党が総理・総裁にいわせている、外国での、「日本(企業)へ投資をしてください」を裏返しして、日本企業を買収してくださいに聞こえるのである。

じっさいに、外国人投資家が保有する、日本企業株の保有比率は、日本人の比率を上回ってきたから、自民党の外国への影響力も凄まじいことがわかるのである。

ただし、自由な投資行動は、政府やらの要請を無視もできるから、この結果を自民党の成果なのだとは断言できない。
むしろ、円安誘導して「割引」している日銀にこそ、より重大な責任がある。

古今東西、投資家の行動様式は、安く買って高く売る、だけなのだ。

国家統治とか、地方自治体の統治には、「法治国家」としての決まりがあったが、これを壊しているのも与党・自公政権だ。

しかしながら、企業統治についてもその魔の手を伸ばして、「会社法成立」に至った。

なんだかんだと、「取締役会」の強化がされた。
「監査役の重み」を口ではいうが、文言はそうなっているのか?

もともと、監査役の立場は、取締役会に対する「お目付役」としてのものだといっていたが、監査役を選ぶのが事実上、取締役会だから、お目付役とは形式上のことだけになるのは当然である。

徳川幕府には、「目付」とか、「大目付」がいたが、老中の配下だった。

むしろ、織田信長が自慢した、「彈正家(信長は自ら、「織田彈正」を名乗っていた)」の由緒は、日本型朝廷の組織の中にあって、天皇直轄にして太政官に不正をみたら、ただちに切り捨ててよい、という権限が与えられたことにある。

しかも、平安朝の当時から、天皇には事実上の政治権力はなかったので、藤原摂関家にとって、彈正の存在は煙たかったにちがいない。
平安末期、清盛の平家とあらそった後白河法皇の権力基盤こそ、恨み節の藤原家だった。

以来、武家の幕府と、公家の朝廷が並立して安定したのは、確固たる監査体制ができたからでもあった。
公正中立にして、私欲に翻弄される立場にない、天皇の存在が、この両立の支柱だったのである。

アメリカ民主党がわが国に強制した、戦後民主主義は、こうしたバランスを完全破壊した。

企業統治における破壊は、「公職追放」という強健で実施された。

「軍国主義に加担した」という屁理屈が、いまでは常識になってすっかり正当なのも、破壊の完璧さの証拠なのである。

ずいぶん前にも書いたが、「軍国主義」の主義たるゆえんは、戦争に勝ち続けることでしか達成できない。
この意味で、わが国は、軍国主義だったとはいえない。

逆に、アメリカこそが、戦争を欲し続ける軍国主義の本家本元だ。
ポツダム宣言違反の、民間経営者20万人の追放が意味したのは、素人経営者による企業統治の破壊であった。

いまや、インフラになったインターネットでさえ、アメリカ軍の軍事通信技術を少しだけ民間開放したものだったことを忘れてはならない。

だから、「コンプライアンス」もカタカナなのは、道理なのである。

すると、監査役の本来の立ち位置を忠実に実行しようとすれば、株主は、別組織として、「監査役会」に予算を与え、取締役会がする業績報告とは別に、監査報告をする必要があるし、監査役の手足になるスタッフ人材も、監査役会が募集・採用・雇用しないといけないのである。

けれども、これには株主が得るはずの利益が減ってしまう、という問題が立ちはだかるので、採用しないのだ。

ならば、「業務委託」できないものか?

わたしは、正規の労働組合に委託すればいいのではないか?とかんがえるのである。
「正規」というのは、労働行政当局への届出も済ましていることを条件とする。
これなら、自動的に、会社が設立を認めたことも前提となるからだ。

前に、「36協定」について書いたが、あれからなにか進展があったことはなく、トンチンカンな「働き方改革」なるものが法制化されて、またぞろ、「ハローワーク(労基署)」のほかに「働き方改革推進支援センター」なる屋上屋が設置されるムダがある。

企業の不祥事は、たいがいが、経営トップの問題で、これを管理職が実行に移すのだが、実行部隊は現場職員、すなわち労働組合員だ。
あるいは、管理職だけで実行するにしても、部下が全く気づかない、ということはないだろう。

企業の利益は、まず働く側に分配されるべきで、株主への配分はその後が常識だったのを、アメリカ式がこれを逆転させた。

次の攻防は、「監査」になると予想するが、株主利益のためにも妙案になるのではないか?

システムの脆弱性は「システム」にある

組織を構築して、その目的や目標を達成しようとしたとき、ひとは、システム化をかんがえてこれを実行するものだ。

なので、システム化に成功すればするほど、強固に見えてじつは脆弱性(もろさ)を抱えてしまうという矛盾が生じる。

残念だが、複雑化したシステムの中に必ずアキレス腱ができてしまうからである。

それがいくつできるのか?もあるが、ひとつでも認識することができれば、当然にそれを補強する、サブシステムが構築される。
こうして、脆弱性を補強すればするほど、システムはさらに複雑化して、あらたな脆弱性のアキレス腱を作り出すのである。

ならば、そんな複雑化をしないとしたらどうなるのか?
日常が、「モグラたたき」状態になっていくのである。

だから、ひとは、その原因を追及して、これを、「カイゼンする」活動をしないわけにはいけなくなっていく。

現場レベルではうまくいくものの、経営レベルでは困難なのは、「ビジネス・モデル」に内包されたアキレス腱のことをいいたいからである。

たとえば、「デパート業界の衰退」を挙げれば、「小売業の最高峰」と自他ともに許すような評価だったのに、リスク回避のシステム化によって、売り場を「不動産業化」してしまったのである。

これは、いま地方にいったら必ずある、大型SC(ショッピングセンター)の、元になる相似形なのである。
つまり、デパートは、あのビルの中の売り場を細分化・不動産化して、賃貸物件(最低保証固定賃料と売上比率連動賃料の両建て)にしたのだった。

後者の賃料が前者を上回れば、後者の賃料が請求される。
これを計算するために、「レジ」を介した売上金管理が採用されて、いわゆる、何が何個、いつ売れたことがわかる、スパーやコンビニでは常識のPOSレジが相変わらず採用されない理由である。

あくまでも、賃料計算のための手段なのだ。

ここで、デパートが客の目を誤魔化した方法が、賃貸先の従業員にも、デパート社員とおなじ制服を着用させることだった。
それで、あたかも、デパートの自社バイヤーが仕入れた商品を自社販売員が販売し続けているのだと、客に勘違いさせたのである。

デパートが小売の最高峰というのは、あらゆる商品の仕入れを、自社バイヤーがやっていて売れないリスクを抱えていた商売の鉄則があったからだ。

つまり、本来デパートとは、巨大かつ強大な、セレクトショップ(SS)だったのである。

しかしながら、70年代からはじまった、「多様化」に、対向する術を、リサーチ力に求めず、なんと不動産化に求めてしまった。

このときの、「多様化」とは、消費者側の価値観の多様化という意味と、商品をセレクトする側における多様化の不一致のことも指す。
かんたんにいえば、デパートは重要顧客層の設定を、「購買者全員」としてしまう致命的な間違いをしたために、バイヤーがセレクトできないほどにあふれかえった商品の取り扱いを、「あきらめた」のである。

そこではじめた、売り場の不動産化が、やがてブランドショップの誘致合戦となって、路面する最高面積を、有名ブランドの店舗として「貸し出す(売り渡す)」ことが、消費者へのイメージアップにもなるという、あたらしくもないシステム化をしたのだった。

もちろん、これを煽ったのは経済紙とか、経済誌だった。

デパートの経営者も、総じて真面目でないと社内昇格しないので、こうした新聞や雑誌を必ず読んでいるだろうから、「あたらしい」とか、「どこそこのデパートがブランドショップの誘致で優位になった」とかを読み込んで、一層のトンチンカンに走ったのである。

経営トップは、自分自身の再選のために、株主総会での、戦略説明に、こうした「ガセネタ」を利用したのである。
つまり、経営者として何もかんがえなくてもよいというサラリーマン的安易の結果でもあるし、これを、「歴代」がやったのは、そうした人物を後継者として「歴代」が選んだからである。

そんなわけで、悲惨な目にあうかもしれないのは、いつも顧客と働く側なのである。

顧客はとっくに半世紀前に見棄てられたので、いまさら感がある。
ならば、従業員は?といえば、不動産化で売り場にはもうほとんどいない。
逆に、不動産化のための実務としての方策を練ってきたのが、いまの従業員ではないのか?

トップからの命だから、仕方がないといえばそれまでだが、従業員から社内昇格してトップになるのだから、その前になんとか戦略の変更をかんがえなかったのか?と恨まれるのである。

すると、かんがえる文化そのものが、不動産化というリスク回避の中で組織的に喪失したのがデパート業界だといえて、これを、「小売の最高峰」といい続けるマスコミの無責任をいま恨んでもせんないことになっている。

その「最高峰」を買ったのが、コンビニ業界であった。

コンビニ業界の元は、スーパーマーケット業界である。
しかして、スーパーマーケット業界には、「チェーンストア理論」という、バイブルがある。
ファミレスもファストフード業界も、チェーンストア理論によっている。

ところが、コンビニ業界も、2位以下は、みんな「総合商社」の子会社となった。

圧倒的1位の、あの企業の経営基盤は、あたかも盤石にみえるけど、そうはいかないのが世の常で、だからこその脆弱性をかんがえないといけないのである。

以上、「小売」を中心として例としたけど、もって「他山の石」とすべきなのである。

保守二大政党制の歴史的はじまり?

作家の百田直樹氏が自費で立ち上げた、あたらしい保守政党、「日本保守党」を発足させると17日に発表され、同日、「結党の集い」が開催された。

これを、「ネトウヨの可視化」と呼ぶひともいるそうな。
うまいことをいうひとがいるものだ。

しかし、設立者の百田氏は作家だし、コンビを組むジャーナリストの有本香氏も、文筆活動をして生計をたてているから、これを「ネトウヨ」というのには、違和感がある。

支持者=ネットで募集している党員が、あっという間に5万人となったことを、「ネットから沸いてくる」という意味で、可視化されていると表現するのはもっともだ。

いわゆる「保守系新党」といえば、「参政党」がある。
こちらは、昨年7月の参議院通常選挙の盛り上がりで、党員数10万人にたどり着いたので、結党してすぐさま5万人の党員登録というのは、凄いことだといえる。

しかし、不思議なのは、参政党がマスコミにめったに報じられないのに対して、こちらの露出度は比較にならないほど多いことだ。

すでに自民党が共産化して、とうてい「保守政党」とはいえないので、保守系の政党が世にでてきたことは歓迎すべき事だが、このあたりの「謎」が、プロパガンダ機関のマスコミとしてなにを企んでいるのかが気になるのである。

このブログでは、ハイエクにならって、「保守思想」に懐疑的な立場だ。

なにを保守するのか?ということが、相対評価になるからである。
たとえば、共産国家における保守とは、急進極左を指す。

アメリカなら、「建国の理念」をいうひとたちを「保守派」というようになったのだが、これは最近のことで、民主党がトロツキー派に乗っ取られてからのことである。
それまでは、「建国の理念」を曲げて解釈する者は、アメリカに存在しなかったからだ。

英国はとみると、わが国の自民党より酷い左派政党に、「保守党」がなった。
かつて、「ゆりかごから墓場まで」という高福祉国家を目指して、労働党と政権争いしたとき、保守党もこの社会主義政策を推進して、労働党との競争をしていたのである。

これを止めたのが、マーガレット・サッチャーだったが、元の木阿弥に堕ちてしまった。

そのサッチャー革命の基本思想が、ハイエクだったから、じつはサッチャー女史は決して「保守派」ではなかった。
この当時の「保守理念」とは、高福祉の社会主義をいうからである。

ではなんなのか?
「自由主義」なのである。

当然に、この思想の背景には、「個人主義」がある。

しかし、個人主義思想ほど厄介なものもない。
「利己主義」と簡単に混同させられるからで、そうなると、あたかも「利他主義」の美しさに誘惑される。

「利他主義」こそが、全体主義の根拠となる。恐ろしい思想なのにである。
他人のために死ねといわれたら死なねばならぬ。
地球環境のためといって、個人の生活に不便やら経済的負担やらを強いるのは、利他主義とおなじ構造の思想からできている。

こうしたことを、個人主義の立場から成り立つ自由主義者は徹底批判する。

個人の自由の侵害にあたるからだ。

大袈裟に聞こえるかもしれないが、不便の強要は選択の自由への侵害になるし、経済的負担の強要は、(経済的)侵略行為にあたる。

目に見えない、戦争犯罪なのである。
なぜか?戦争は、些細な侵害を許した結果のあらわれだからだ。

たとえば、ウクライナでゲリラ戦が行われない不思議を書いたけど、反政府デモすらないのは、これらの行為が強制によって犯罪になるからである。

ただ逮捕されるならまだしも、直接的な身の危険があれば、恐怖が人々を支配するのである。

そうやってみると、「安倍氏を慕う」のも、いかがかとおもう。
どういうわけか、安倍氏が最後の保守人ということになっているけど、彼の長期政権がやったのは、どうみても自由主義の推進ではなく、むしろ、「戦後レジュームからの脱却」と口ではいいながら、「戦後レジュームへの回帰」をやっていた。

この点を突いて、文芸評論家の小川榮太郎氏は、岸田政権が安倍政権の完全なる後継だと評したのは、その通りである。
もっとも、「誰が」という名前よりも、「党」が優先するのが自民党だから、いちいち党内政権交代につきあってもいられない。

すなわち、保守系ということではなくて、自由主義度に注目しないといけないのだが、マスコミは、この視点を国民に与えると、さらなる共産化に不都合なので、「保守」を強調するのである。

これに乗じた、「保守」とは、「似非保守」ではなくて、「似非自由主義者」なのである。
そもそも、その「保守とはなにか?」に話が戻るからである。

わが国が大発展した、明治の成功と、戦後昭和の成功は、どちらも自由主義を基本としていた。

それが、規制でがんじがらめになって、いまや「起業」をするにも、経済局にお伺いをたてないと、許可されないソ連型体制となったのである。

規制緩和は、特定事業者にとっての緩和で、国民全体にあまねく広く緩和されないばかりか、その逆の規制強化ばかりになっている。

これをやっているのが、既存政党の談合政治で、果たして「あたらしい保守政党」がこれをどうやって壊すのか?が勝負なのである。

炊飯用土鍋の復活

玄米を自動で発芽させ、そのまま炊ける電気炊飯器の保温機能が故障した。

しらずにいたら、ご飯が腐敗してしまった。
もう10年以上も活躍したから、寿命なのであろうか?

ちなみに、いまどきの炊飯器の寿命をみたら、各メーカーとも5~6年とあるようだ。
それにしては、ずいぶんとイイ値段がするのは、「多機能化」のゆえであろう。

ご飯を炊くという単機能は、かまどの延長で、電気炊飯器よりも火力でガスが有利だった。

わたしが子供の時分は、近所でも薪のかまどで炊飯している家がチラホラ残っていた。
わが家は都市ガスが来ていたので、炊飯はもっぱらガス炊飯器だったが、こたつは練炭コンロの掘り炬燵だったので、冬になると毎夕、いわゆる七輪で練炭に火をつけるべく、新聞紙と薪で着火していた。

薪は、祖父がどこからか調達していた。
りんご箱やらだったのが、張り紙でわかったから、近所の八百屋に話を付けていたのかもしれない。
まだ、木箱がふつうにあった。

ところが、「電子ジャー」という新製品がでてきた。

これは、保温が出来る「お櫃」であったから、あんがいはやくわが家でも使い始めたのである。
しかし、ずっと保温状態にしておくと、ごはんが黄色く変色してきて、味も落ちた。
冷めてしまうけど、味がかわらない「お櫃」の優秀性はあったけど、温かいか冷や飯かの選択で、お櫃の冷や飯が負けたのである。

電子レンジが普及するのは、ずっと後のことである。

しかし、電子レンジがコモディティ化しても、「お櫃」は復活していないようだ。
わが家では、お櫃を買ってあって、泊のある来客のときには朝食用に使っていた。
この旅館のようなひと手間が、いつものご飯をぐっと美味くするのを子供でもしっていたから、泊まり込みのお客があるのは嬉しかったのである。

なので、お櫃に入れ替える手間をはぶく、炊飯電子ジャーが登場するのは、時間の問題だった。

これが、家庭におけるガス炊飯器も駆逐したのである。
以来、電気炊飯器の進化は、「炊飯」と「保温」の両方で発展することになった。

この意味で、「発芽玄米自動炊飯器」は、炊飯機能のひとつの終着点なのである。
だからか、先に、保温機能がダメになったのか?

そこで、わが家の旧機をもとに調べたら、購入に躊躇する価格設定に、進化していた。

他のメーカーを眺めると、炊飯だけの機能ではなく、蒸しパンやらなにやらと、多機能調理器具として販売されているのだとわかった。

アメリカが日本人に小麦を売り込もうと、各家に絶対にある炊飯器を利用して、「キッチンカー」なる特別仕様車で全国を巡回して、「新しい料理=洋風料理」を宣伝したのは、もはや「歴史になった」エピソードである。
日本の一般家庭に、オーブンが普及したのは、高度成長期の後期のことであった。

けれども、当時の主婦たちは炊飯器でつくる洋物料理に、「匂いがつく」といって嫌った。
炊いた白米の味がバタ臭く変わるのが、「気持ち悪い」という、嗅覚よりも、アメリカ人には理解できない感覚があったのである。

いまは、その感覚もアメリカ人並みに劣化した。

また、有名大学教授に、「米を食うとバカになる」と書かせ、「頭脳パン」なる奇怪なパンを販売したのである。

近年、さまざまな疾患の原因に、小麦グルテンが容疑者として挙げられているけれど、どうやら日本人には、グルテンフリーの米がもっとも相性がいい食材なのだと判明してきている。

ただし、日本人はコメを栽培してきたが、どこまで作り手がこれを食べることができたのかについては、あんがいと疑問が残る。
ヒエや粟などの雑穀を主食にしていたのも、事実だからだ。

この意味で、コメを喰えたのは、都市部の住人たちが主だった。

逆にいえば、都市部の住人たちには、ヒエや粟などの雑穀を手にすることのほうが難しかったのである。

いまや、「雑穀米」の方が、かえって高価になっている。
需要と供給の原則が、そうさせているのは、「健康志向」という価値観のためだといわれるが、都市部の生活者が、ヒエや粟などがどこで栽培されているかをしらないし興味もないのは、むかしのままなのである。。

とはいえ、炊飯器の保温機能については、「安全性」という観点から、いまでは数時間とかの設定しかできないのが主流だ。
この点で、だんだんと「お櫃」に回帰している。

それなら、梅干しを放り込んで、殺菌するのがよろしい。

しかしまた、その梅干しが、梅と塩だけでつくられているものをわざわざ探す時代になっている。
「調味液」なるものに漬け込んだのを、「梅干し」としているからである。

また、「減塩」というキャッチがあるものには注意がいる厄介もある。
高血圧と塩分の関係性が、疑われるようになっているのに、無理やり「減塩」の食材を選ぶ方が、健康には物騒なのである。

というわけで、あたらしい電気炊飯器を購入するのは、しばらくペンディングとして、発芽玄米炊飯器を購入する前につかっていた、「土鍋」を復活させることとした。

一言で、「やっぱり美味い」のである。

ガスの火力が電気を上回る道理が、ハッキリ現れる。
なお、土鍋の場合は、お櫃に入れ替える手間も要しない。
鍋の土が、適度な水分を保つからである。

10万円もするような電気炊飯器を買うくらいなら、2万円しない土鍋の合理性は、使った者がしるところだろう。
冷や飯ではなくて、どうしても温かいご飯が欲しいなら、防腐剤たっぷりのパックの「非常食」ではなくて、土鍋のご飯をチンすれば済む。

ただし、困ったことに、美味いからついうっかり残さないのが、玉に瑕なのである。

本の後始末

ラーメン屋とかにある、マンガ本のコレクションは何のためにあるのか?と個人的に思ってきたのは、「ながら食い」に対する抵抗感からである。

テレビを観ながら、本を読みながら、歩きながら、は、ぜんぶ「お行儀の悪いこと」だと躾けられた。
なので、良家には、家の食堂にテレビはなく、せいぜい客間とかの別室にあった。
はるかむかし、ロサンゼルスオリンピックの開催中(1984年)に、ミラノから北のコモ湖で有名なスイス国境の町にいるイタリア人の友人を訪ねたとき、テレビは客間とキッチンにしかなかった。

つまり、イタリア人の家でも、「ながら食い」はできないようになっていたのである。

いまは、いろんな研究が進んでいて、あんがいとむかしからのいわれがある習慣などに、科学的合理性があることが認められてきている。
もちろん、「ながら食い」も、消化に悪いことが判明した。

マクドナルドの1号店が、銀座三越の一角に開店したのは、1971年のことで、週末の歩行者天国を、若者たちが男女を問わずシェイクを片手に歩きながらすすったり、ハンバーガーをかじっている光景を武家出身の祖母がみて、「嘆かわしい」といったのが耳についている。

それまでは、「日本人がながら食いをするはずがない」とおとなたちがいっていたものだったが、開店するやいなや、あっさりと「そんなはずがあった!」になって、嘆きながらもあきらめたのである。

その嘆きの対象だった、若者たちが、いまは全員が後期高齢者になった。

「敬老」という気があまりしないのは、こうした文化破壊を目撃していた、その下のわたしらの世代である。
こういっては何だが、日本人の後世のために早くいなくなってほしい世代だとおもっている。

しかしながら、すっかり甘ったるい好好爺とかになって、孫を懐柔しているはずだから、ほんとうに始末が悪いのである。
ファストフード店にいる、若者たちが、この世代の犠牲者に見えて仕方がない。

もちろん、時間をかける、ことで達成された、日本人改造の成功なのである。

そんなわけで、最近では、戦後の記録に注目しているので、また蔵書がふえる。
これはたいへん困ったことだが、戦後の本は、紙の劣化も著しいのである。
なんでも、混ぜた薬品が悪さをしているらしい。
なので、なるべく電子化しようとしているが、なかなか進まないのである。

うまいスキャナーがないからで、もっぱらIpadで撮影している。
こうすると、そのままOCR処理もしてくれて、できたPDFが文字検索できるようになる。

それがまた、読むのにIpadとアプリが必要になる、という循環をつくっている。

残念ながら、タブレットに関してはIpad一強であって、他の選択肢は事実上ない。
前にも書いたが、目に優しい「E-ink」のIpadが欲しい。

こうした蔵書をどうするかの問題は、電子化をしてくれる業者に引き渡す方法もかんがえたいが、ことらは裁断されて処分もされるから、「紙」としての存在がなくなる。

書いてあることが電子的に分かればよい、ということだけの本というものがほとんどだろうが、あんがいと「希少本」もある。
だから、なかなか踏み切れないのは、どの本がどちらに当たるのか?を仕訳するのが、手間だからである。

しかし、そうはいっても場所がない。

押し入れも、机の下も一杯になってしまった。
それで仕方なく、「大掃除」をはじめた。

本ではなくて、その他の余計なものを始末しようという作戦だ。

すると、出るわでるわ。
わが家はゴミ屋敷か?と認識できた。

友人にはあっさりと、ブックオフにでも持っていったら?といわれたが、上の事情とおなじで、そうはいかないのである。

しかも、電子化の業者なら、200冊以上なら無料で引き取りにきてくれる。
ブックオフは、自分で持ち込むのがたとえ近所でもつらいのは、やっぱり紙は重いからだ。

そうはいっても、自分にも寿命があるから、最後にはこれらの書籍も完全に用なしになる。

そのとき、どこかに寄贈するとしても、やっぱりなかなか棄てられないでいるのは、いつか役に立つだろうという、あてのない気持があるからである。

3日で1冊を読破するのを、一生続けても、ひとりの人生では、せいぜい1万冊が限界だ。
たったの1万冊である。

横浜市立図書館は、150万冊の蔵書があるから、その半分でも、75回も生まれ変わってこないと読破できない。

いまのひとは、本を読まなくなったというが、人生がもったいなくないか?と心配になる。

スマホのゲームに夢中になっている、いいおとなを電車の中でみかけるが、いまどき新聞をみているのと同様に、なんだか気の毒になるのである。

人生の晩年を、「白秋」というのか?いや、「黒冬」だろうという正解は横にして、「青春」しかないのも気の毒だ。

地元の作家を「所蔵する」郷土愛

地方の図書館がとんがって充実すると、観光資源になる。
これに気づかない、観光資源開発の浅はかさとは、なんなのか?

「秋の遠足」と称して、水元公園を目指して出かけてきた。

お弁当をどうするのか?という問題に、
⑴ 横浜で「シウマイ弁当」を買って持ち歩く
⑵ 上野で駅弁を買って持ち歩く
⑶ 南千住の「アオキヤ」で、ジャンボパン・サンドを買って持ち歩く

ということで、アオキヤのジャンボなコッペパン・サンドに決めた。

購入したのは、メンチパン:300円、ハムカツパン:250円の2個で550円。
コロッケ・パン(270円)は揚げるのが間に合わず、断念してメンチにした。
あとは、トンカツ・パン(300円)という、4択のメニュー構成である。

1個に、それぞれメンチカツ2枚、ハムカツ2枚というボリュームなので、家内とふたりでも、これで十分な「お弁当」になるのだ。
あとは、どこかのスーパーの生鮮コーナーで、千切りキャベツとかを買って、これまた挟んでしまえば、贅沢な逸品となる。

ここのパンは、ヨーロッパでうけると思うが、おそらく店主はかんがえていないだろうけど、これを実現する投資の仕組みがわが国にはない。

贅沢といえば、少し歩いたところにある、わが国喫茶店の最高峰、「カフェ・バッハ」のコーヒーをポットで購入して、水筒に入れて持ち歩くという、究極もある。

すると、東京駅八重洲口とか上野駅から都バスに乗って、まずはコーヒーを仕入れる、というコース設定がよさげである。

荒川区といえば、東京でもマイナーなイメージがつきまとうが、そこは、「とうきょう」なので、贅沢な公共施設がちゃんとある。
なかでも、荒川区立図書館がある「ゆいの森あらかわ」がひときわ贅沢だ。

どうして、「ゆいの森」なのか?については、荒川区公式HPに、「人と人、本と人、文化と人が結びつき、楽しみ・学び・安らげる、豊かな森のような施設となるよう名づけました」とある。

へぇー。

わたしは、「ふれあい」とか、「草の根」とかといういい方が好きではない。
情緒は大切にしたいが、情緒を政治利用するのはいかがか?とおもうからである。

よくある、「ふれあい広場」とか、「ふれあい公園」とかというと、戦後日本の、皇居前広場とか、日比谷公園を代表に、横浜だと、横浜公園とか山下公園の植栽が、夜になるとカップルの巣窟だったことを思い出すのである。

この意味に近い、「ゆいの森」だが、全国的にマネはされていないようだ。

ここに、地元が誇る大作家、「吉村昭記念文学館」がある。
書斎をそのまま再現するなどの、入れ込みようで、たしかに吉村昭の作品を深く読んでみたくなった。

再現された書斎には、蔵書も揃っていた。
目についたのは、『慈恵医科大学100年史』で、作品、『白い航跡』を思い出した。
また、『富士市史』があったのを何故かと思ったが、ウィキペディアに、曾祖母から祖母、実母までが、いまの富士市出身だったからだろう。

始祖が、福島正則の家臣で、改易後に富士に移転したという家歴が富士市の歴史を調べることにしたにちがいない。
おそらく、「女大学」などの教養にあふれた、これらの「女たち」が、吉村の人格形成を決定づけたのではないか?

ただの、「おばあちゃん子」とはわけがちがう。

とはいえ、些末かもしれないが、吉村氏の自宅は、井の頭公園近くにあって、三鷹市に寄贈されていて、これを移築・公開するための寄付募集でクラウドファンディングが行われている。
財源の正当性でいえば、三鷹市に分があるのだ。

そんなわけで、三鷹市と荒川区が、「書斎」をめぐって競争しているのである。

ところで、荒川区西日暮里に昭和2年に生まれた吉村氏は、空襲で焼け出されるまでここに居住していた、というから、作家になる前の人生を荒川区で過ごした「だけ」といえば、せんない話となる。

このところ、図書館にまつわる話を書いているので、これを拡大すれば、自治体として「地元の作家や著作」にこだわるのならば、たとえ無名な作家でも、無名な作品でも、「ゆかり」があればしっかりコレクションすべきではないのか?

「有名だから」だけがコレクションの理由であるのなら、それは、過去のコレクションになる。
つまり、博物館化する。
その意味で、『吉村昭記念文学館』も、博物館化しているのである。

しかし、図書館というものの役割は、「記録」というものに特化した文化施設なので、いま、無名だとかという理由は、関係ない。

もしや、百年とか後に、「発掘」されることだって十分にありえるのである。

つまり、未来も見据えた活動ができるのが、図書館なのだ。
ここに、「郷土」という意味が付加されると、がぜん「観光資源」へと変貌する可能性がある。

だから、ちょっとでも居住していたとか、ちょっとでも言及されているとかで、十分な、「資料」となる。

すると、著者の経歴や、その著作にある中身を誰がどうやってリサーチするのか?という、「書誌」の重要性がクローズアップされる必然がある。
もう、これだけで、十分な知的職業人を採用しないとできないのである。

そして、その作業の記録もまた、後世へ引き継がれる。

つまるところ、図書館の重要性とは、ただ蔵書があって、これを読むことができる、ことだけでなく、「書誌を作り出す」ということの重要性こそが設置者や運営者側が意識すべきこととなる。

すると、わたしの著作も、神奈川県立図書館や横浜市立図書館の蔵書になるだけでなく、どんな「いわれ」や「ゆかり」があるのかもセットになって、市民に紹介されないといけないことになる。

それを期待して、寄贈してみてようか。

ちなみに、毎年1回は知人を訪ねていく、富士市だが、その富士市中央図書館には、「郷土出身の作家たち」というコーナーがあって、当然そこに、吉村昭も含まれていることがわかった。

来年は、図書館にも寄ってみたい。