元ナチス親衛隊員への拍手喝采

世の中がここまで狂うのか?と目を疑う出来事が、カナダで起きた。

詳細は、『ニキータ伝』さんが教えてくれている。
以下、これを参考に書いておく。

国連総会やら、ワシントンD.C.を訪問していた、ゼレンスキー大統領は、21日深夜、カナダに到着した。
アメリカでの日程も不可思議なのは、バイデン氏との会談をするためにワシントンD.C.を訪問したことになっているが、バイデン氏もニューヨークの国連本部にいたのである。

どちらにせよ、人気に陰りがみえてきている両政権なので、なんだかなぁ感があるけれど、バイデン氏には「弾劾調査」が、ゼレンスキー氏には、「援助疲れ」があるし、この両人にはそれぞれに「カネに汚い」という、習性がみてとれる共通がある。

日本円にしたら、兆円単位の援助金(現金)と、それにならう軍事物資(物品)のどちらもが、本当に、ウクライナ国家がちゃんと受けとっているのか?という、日本人からしたら当たり前のことが、いまや「誰にもわからない」状態になっている。

領収証も、物品受け取り検品証もないのである。

途上国でよくある、「着服」とか「横流し」が、おおいに疑われる。
物騒なのは、「兵器」がどこに横流しされているのか?ということで、ひそかに世界を不安定にさせているのである。

もしや、贈る側も「わざと」ではないかと疑うのは、アフガニスタンに米軍が放置した、時価で数兆円を超える武器・弾薬の行方と同様だからである。

数週間前には、ゼレンスキー氏の義母名義で、エジプトの紅海にある高級リゾート邸宅が購入されたことが、ニュースになった。

30年以上のむかし、森繁久彌さんたちが旗振りした、「ソマリアへ毛布を送ろう」という運動があって、船がエジプトの港に着いたら、一枚の毛布もなかったことが事件になったことがある。

「船荷証券」だけがあったのだった。

そんなわけで、「戦後」になったら、これら援助金と援助物資の「ゆくえ」について、国際調査があるかもしれないけれど、「なくなったものは発見できない」ということになって、お茶を濁すか、失脚した?ゼレンスキー氏のせいにするのかはしらない。

さてそれで、カナダは、邪悪の権化、世界経済フォーラムの主宰者クラウス・シュワブ氏の選んだ、「世界若手指導者」のひとりが、ピエール・トルドー元首相の息子、現職のジャスティン・トルドー首相なのである。

ちなみに、この「世界若手指導者」に日本人で、栄えある指名を受けているのが、河野太郎氏だ。
平塚市と茅ヶ崎市の有権者のほとんどが、この全体主義者の恐ろしさをしらないのだろう。

もちろん、カナダの全体主義は、トルドー政権によってどんどん進展し、いまやアメリカ民主党・バイデン政権の「憧れ」にもなっている。

しかして、そのカナダの歴史も、移民の歴史である。

ウクライナ移民の歴史は、はじめ、まだオーストリー=ハンガリー二重帝国時代からの移民(主に西ウクライナから)で、第二波は第一次大戦(帝国の崩壊)後、第三波が第二次大戦後のソ連支配を避けた移民たちだ。

カナダを構成する民族では第5位。
世界では、ウクライナ、ロシア、の次にカナダとなるウクライナ人の規模で、ウクライナ本国への郷愁は、いまや3世、4世の心のなかの話になっている。

今回の戦争が、第四波となって、18万5千人以上のウクライナ避難民を受け入れている。
とにかく親ウクライナ、反ロシアを貫いているのがカナダ・トルドー政権なのである。
これに、世界経済フォーラムの匂いがプンプンするのは、わたしだけか?

トルドー氏が、ウクライナ支援に大盤振る舞いするものだから、なんと、カナダの国家公務員たち約10万人が大規模デモを実施するという、「事件」がおきた。
外国支援のカネがあったら、高インフレのいま、まず給料を増やせ!というわけである。

そんなお国の事情があることをふまえて、このトルドー政権がゼレンスキー氏歓迎としてやったのが、カナダ連邦議会での演説、というお膳立てだった。

ところが、ここに、御年98才のご老体が招待された。
なんと、この人物は、元第14ナチス親衛隊義勇師団「ガリシア」の生存者で、第三波カナダ移民のひとりだった。

ソ連からの逃亡者は、自由主義のひとたちだけなく、同じ穴のムジナゆえに憎悪の対象になった全体主義者も隠れていた。

この師団がなにをやったのか?については、上の『ニキータ伝』さんが伝えているが、ここでは、「筆舌に尽くしがたい」ので、割愛する。

第二次大戦では、当時ドイツ領で、ナチス本部がベルリンから疎開していた西ウクライナを指すとおもわれるが、なぜか省略されて、「ウクライナ独立を求めてソ連と戦った退役軍人」と紹介されると、トルドー氏からゼレンスキー氏、カナダ国会議員たちが一斉にスタンディング・オーベーションでの万雷の拍手となったのである。

そして、カナダ連邦下院議長のアンソニー・ロタ氏は、「ウクライナ系カナダ人の英雄」として、「その功績に感謝」の意を表した。
ちなみに、カナダの上院は貴族院で選挙はない。

この模様が世界に報じられて、「ナチス礼賛だ!」と大騒ぎになっている。

ご老体本人は、まさか生きているうちに、こんな名誉がやってくるのか?とどこまで思ったかはしらないが、満足げな笑顔で応じていたのである。

「カシュマール!」ロシア語で、「悪夢」という意味だというが、このカナダの暴挙に、当然ながら世界のユダヤ人が反発しているが、総選挙間近の隣国、ポーランド政権は、カナダとウクライナに大反発して「謝罪」を要求している。

この波は、今後日増しに高まるだろう。

それでもって、ロタ議長は、「誰が招待されたのか全く分からなかった」と発言し、ヘンテコな謝罪をしたのだった。
なお、ロタ氏は、「全部が自分の責任」として、議長をサッサと辞任したけれど、トルドー首相はどこかへ雲隠れしている。

しかして、世界はなにが正しいのかを喪失したというよりも、全体主義の狂気に晒されているのである。

それはまた、どこまでが事実で、どこまでが作家の創作か区別がつかないと訳者がいう、『オデッサ・ファイル』の事実が明らかになったともいえる。

都合がいいニュースが観たい

人間は感情の動物なので、自分に都合がよかったり、気分がよくなる情報に触れたくなるのも、人情、なのである。

逆に、自分に都合がわるかったり、気分が落ち込む情報は避けたいから、知らないふりをするものだ。

このところ、ゆえあって、横浜市立中央図書館通いをしている。
横浜市には、すべての行政区にも市立図書館があるが、中央図書館の個別勉強机の充実が、なんといっても魅力なのである。

また、図書の貸し出しは、ネット予約ができて、市内主要駅にある、「行政サービス・センター」での受け渡しも行われているから、地元行政区の図書館窓口に行かなくてもいい。
返却も同様に、どの区の図書館でももちろん、市内にある行政サービス・センターならどこでもいいから、すこぶる便利なのである。

わたしが、横浜市に住んでいる理由で最大のポイントが、この図書館サービスの充実なのである。

毎日いると、わかるのは、新聞閲覧コーナーにいるひとたちが熱心に読んでいる姿が、プロ野球やらの結果次第であるとわかるからである。
ご贔屓が、「勝った記事」を何紙も読んで気持ちよくなりたいのである。

日本を代表した建築家、村野藤吾設計の文化財、旧横浜市役所(1959(昭和34)年9月に竣工)が、星野リゾートさんの手によって、「旅館」にならんと改修工事が行われている。

それでもって、高層建築の新庁舎を馬車道側に建てたけど、コンセプトが、タコ足状態で関内地区の民間ビルを借りていた、部局をぜんぶ収用して、家賃を節約しようという、阿呆の発想が貫かれたのだった。

阿呆というのは、公共部門そのものである、自治体は、国の機関とおなじで、「完全消費者」だからである。
それなら、市役所なんてムダに建築せずに、民間から永遠に賃借した方が、市の公金を地元に活かした使い方になるのである。

大家が地元民というだけでなく、働く職員が、毎日終業後に一般国民に戻ったらいくはずの、飲食店だって、わずか数㎞先とはいえ、無慈悲にも客を失うはめにあうのだ。

もちろん、昭和34の新築時にあったはずの、「面積要件」が、数倍どころではないことになったのは、「行政の肥大化」という法則による。
つまり、昭和34年当時に想定していなかった「業務」が、どんどん増えただけで、「本庁」だから、「行政区の区役所」とちがって、直接に人口増加は関係ない。

むしろ、人口増加で増えた税収をいいことに、いらなくても「必要」という例の論理で、業務やら事業を増やすことが役人の仕事になったのである。
これから減る人口に対して、どうするのか?という時代になっているのに、どうするのか?をかんがえる者がいなくて、SDGs対応とか老人施設を増やすムダをかんがえている。

利権に目がくらんだ市議会議員たちは、こんなこともわからないふりをするのである。

霞ヶ関から永田町にかけてある、国家中枢の建物群は、ぜんぶが「火災保険」に加入していない。
天変地異があろうが、空襲があろうが、必要だから新築するのは、その原資が税金だからである。
ゆえに、火災保険料がムダになる、と発想している。

この官尊民卑の勘違いは、どんな事情からこの国で消滅するのか?
いまは想像もできないけれど、なにが起きるかはわからない。

「異変」という形で伝わってきたのは、アメリカにおける各種世論調査で、トランプ氏の支持がバイデン氏を凌いでいる、という、トランプ派には気持ちいい話となっていて、そうではない側は、この調査をやって発表したマスコミが、「外れ値かも」と自分たちの調査を否定しているおかしさに現れている。

「空気を読む」のは、あたかも日本人だけの得意技かと思っていたら、いま開催中の「国連総会」では、各国代表団が見事に態度に表して、わが岸田首相の演説はまばらで、さぞやゼレンスキー大統領の人気は凄まじいのだろうとみたら、岸田氏と似たり寄ったりの閑散だった。

それをまた、ウクライナの国営テレビが、満員の総会だと映像加工して放送したら、なんとゼレンスキー氏の姿が会議場にあった!のである。
自分が登壇して演説しているはずが、それを本人が議場席で聴いているの図になった。

これは、ウクライナで「政変」が起きているのでは?と連想させる。
「偶然」ではなくて、「わざと」だと思われるからである。

また、英国諜報部を語る人物は、ゼレンスキー氏が国連から帰国した折、大統領辞任を発表する可能性に言及している。
もはや、ロシアとの和平の時期だということに、アメリカ側も、EU側も合意して、ゼレンスキー氏のハシゴをはずしたといっている。

これまた、どういうわけかといえば、西側各国の「ロシア制裁」というウソが、これから冬にかけてバレるおそれがあるからだ。

アメリカも含めて、ロシアに感謝しているはずなのは、ロシア産のガスも石油も、供給が止まっていないからで、当初あった「SWIFT」(西側の銀行決済ステム)からのロシア排除とは、ロシアのぜんぶの銀行が排除されものではなかった「ウソ」だったことでわかる。

さらに、ストに突入した、全米自動車労組は、旧執行部経験者が仲介して、現役執行部と同席での共同会見をやると決めた。
なんの会見を仲介したかといえば、「トランプ氏との会談」なのである。

もしやこの会談は、アメリカの労働組合にとって、歴史的となるやもしれない。

なにせ、アメリカの労働組合は、伝統的に民主党(日本なら社会党)支持と決まっていたのに、まさかの共和党トランプ派と手を結ぶ可能性が出てきたからである。

じっさいに、旧執行部経験者は、バイデン民主党に失望したと発言していて、現役執行部もこれに同調しているのである。

さては、これも「都合のいいニュース」かもしれないから、今後の動きを注視したいものである。

古典「ホーソン実験」をしらない罪

「ホーソン実験」について、少し触れたので、改めて書いてみようとおもう。

もう100年前の1924年から32年にかけて、アメリカのウエスタンエレクトリック社の「ホーソン工場」で、行われた、「生産性向上」に関する実験のことをいう。
1929年の「大恐慌」発生時期をまたいでいることに注目したい。

なお、念のため、「生産性」とは、「産出(output)÷ 投入(input)」の式で表せるもので、何となく文学的なものではない。
また、一口に、「生産性」といったら、ふつうそれは、「付加価値生産性」あるいは、「労働生産性」の略語である。

一般に、「経済活動」とは、付加価値を増やすことができなくては成立しない。
付加価値には、利益も、人件費も含まれるからだ。
それで、「付加価値÷労働者数」が労働生産性になって、「付加価値÷総労働時間」を、人時生産性というのである。

だから、自社の付加価値を増やすことの意味がわかっている経営者は、人件費を減らして利益を増やしたようにみせても、付加価値「自体」はなにも変わらないことをしっている。

むしろ、従業員の生活を含めて、いかに人件費を増額できるか?をかんがえるものだ。

それがまた、少子化時代の企業経営にとって、採用確保や中途退社防止に有利となるひとつの条件だと心得ていることの証となって、学生や従業員から選ばれる企業になる、という意味に直結する。

人件費をとにかく減らしたいとかんがえる企業経営のもとに、自らすすんで就業したいとかんがえる者がいかほどいるかを思えば、話は簡単なのである。

ところが、こんな簡単な話に、偏差値エリートの経営者達が気がつかない。

どこか、あるいは、権威あるひとが書いた本でも読んで、それを丸暗記しただけにちがいない。
または、学生時代に成績でかなわなかった同輩が、高級官僚にでもなっていて、同窓会かなんかのおりに、人件費が高いとぼやいたら「下げる努力がたりない」とでもいわれたのを鵜呑みにしたのか?

役人という生き物には、はなから「付加価値生産性」という概念がない。

だから、民間の指定管理者に公共施設の管理をまかせても、役人側に「コストパフォーマンス」の概念がないので、なにがなんだかわからなくなるのだと書いた。

その結果、指定管理者がくる前の業務をやっていた役人が、クビにはできないから配置転換するだけで、役所内の「人余り」をつくり、民間の「人手不足」になるのであった。

ホーソン実験をやった歴史背景に、当時のアメリカは慢性的な「人手不足」であったことがある。

それに、民主主義が広がって、ひとびとの「権利意識」も拡大し、さまざまな「権利の法制化」があったし、もうこの時期から、「資本と経営の分離」が盛んで、株主と労働者の保護が求められていたのである。

この実験で、「経済人」という概念が否定されて、「人間は感情ある動物だ」という当たり前が確認され、それが「新しい労務管理の手法」となったのである。

逆に、まだ100年前のわが国は、農村からの労働力供給に余裕があったので、慢性的「人余り」であったから、労務管理については、「温情主義」を前提とした、「封建的家長が仕切る家族主義」が企業には根深かった。

欧米の価値観をそのまま鵜呑みにすれば、「新しい労務管理の手法」へと移行したアメリカの「先進性」にため息がでるけれど、「温情主義」を真っ向否定できるのか?という問題がある。

それよりも、かんがえるべきは、この上に乗っていた、「封建的家長が仕切る家族主義」が、それなりに厄介であることだ。
家長たる経営者が優秀だと、とくだん問題ないが、そのひとの後継者が凡庸だと問題になるのは、「絶対王政」や「独裁(たいていが「一代限り)」のように不安定だということである。

あたかも、『銭の花』における、大阪商人の権化、「糸商の旦さん」のごとく。
そして、作家は、「大阪商人の唯一の武器である信用という暖簾への尊重が、死してもなお、残っている」と書いた。

「死してもなお」を残すために、加代は、後継者たる義娘、志津江に子供時分から女将教育し、中高生となったら社会常識へと切り替えて幅をもたせ、とうとう、ハワイのリゾートホテルへ研修に出すのである。

ちなみに、作家は、リゾートの温泉旅館・観光ホテルと、街中の旅館・ビジネスホテルをちゃんと「需要:利用目的」で区別した記述をして、しっかり読者を教育している。

これが、大阪商人をよくしる作家が表現した、個人経営としての理想といえるのである。
とはいえ、「暖簾」に象徴されるのは、「ブランド」であると解すれば、規模の大小を問わない。

しかして、ホーソン実験は?となれば、そんなものは、わが国の伝統社会では当たり前のことだった。
人間を使うことが競争だった、戦国大名で、天下取りを争うような人物たちは、経験値から人間の本性とは感情なのだということをしっていたし、そうでなければ「下剋上」されてしまうのである。

しかも、戦が絶えない時代に、次の戦で命を落とす可能性は、戦国武士にとっては常識の日常だった。

ゆえに、あのひとのためなら死んでもいい、という感情の高ぶりなくして、戦国大名はやってられない。
もしも、ホーソン実験をしらない日本人経営者がいたら、それは、歴史をしらない人物という評価になるのである。

組織のトップたる経営者が歴史をしらない人物だというなら、それは「罪」である。
いま、日本企業の悲惨は、株主(過半が外国資本)も歴史をしらない人物たちになっているからだ。

残念ながら、一般人の個人株主ではなくて、機関投資家やらの大株主のことである。
多数を占める株式による企業の意思決定に関与して、なにを経営者にさせたいのか?

将来価値の増大ではなくて、支配を楽しむのは、根深く深刻な「罪」なのである。

花登筺の『銭の花』をつまみ読み

原作は、花登 筺(はなと こばこ)『銭の花』(静岡新聞夕刊に連載)だったけど、主たるテレビ視聴者が関東だったために、番組名は、『細うで繁盛記』になった。

ドラマは、製作:よみうりテレビ、放送:日本テレビ系列、第一期:1970年1月8日から翌71年4月1日まで、第二期:1972年1月6日~翌73年3月29日である。

関東では、「銭(ぜに)」といういい方が馴染まない、という判断があったからのタイトル変更だという。

群馬の山奥出身の祖父は、「おカネ」とはいわずに、「おあし」といっていた。
なんで「おカネ」のことを「おあし」っていうの?と聞いたら、「足がついたようになくなるからだ」と返事があって、へぇと納得したのを覚えている。

当時、10円玉を一枚もらえば、好きなものがなんでも買えたのだったけど、手に握りしめて駄菓子屋へ行くので、小銭入れさえもつ必要がなく、そのまま駄菓子屋のお婆さんに渡してすぐになくなってしまうものだった。

自分の足が、「おあし」そのものだったのである。

関西弁は、テレビの演芸番組でしか耳にしなかった。
小6のとき、別のクラスに大阪から転校してきた男子が、本物の関西弁であったのが珍しかった。
もちろん、彼の関西弁が、さらに細かく何弁だったのかはしらなかった。

ロクに話したこともなく、そのまま別々の中学校に入学したので、以来、お目にかかったことはない薄い縁になっている。

そんなわけで、まだリアルで関西弁を耳にするのが珍しかった時代に、このドラマは夜8時の寝る時間を超えている9時半からだったのに家族で毎週観ていて、主人公「加代」(役は新珠三千代)の差配に感心していたのである。

いま思い出すと、よくできたドラマであった。

脚本は、原作とおなじ花登筺。
白眉は、「配役」の仕事にあったかと思う。
役柄設定にドンピシャな役者たちが、演出を支えたのが遠い記憶ながらにもわかる作品である。

半世紀前の小説だし、きっと図書館にはあるだろう、と思ったら、あまりの貸し出し人気だったのか?3,5、6、7巻しかなく、1,2,4巻は欠如している。
ちなみに、神奈川県立図書館には、全巻所蔵となっているが、全巻貸し出し不可となっていた。

そこで、5から最後の7までを、つまみ読みしてみた。

舞台は、戦中からはじまって、場所は、被災した加代が嫁いだ伊豆熱川(東伊豆町)の温泉街である。
小説中、熱川に電車を通す話が具体化されて出てくるのは、昭和30年前のことになっていて、本物の電車が開業した、昭和36年のことも書いてあるが、それは、最終第七巻でのエピソードとなっている。

伊豆半島の先端は、相変わらずの交通網(「伊豆縦貫道」はブツブツ状態)なので、横浜からだとなかなか「遠い」(時間距離で渋滞に巻きこまれる)イメージがつきまとう。
それで、どうしても避けたくて、御殿場の山側に目がいくのである。

しかし、改めて、東伊豆町立図書館の蔵書に本作があるのなら、何日か滞在して、「全巻読破」も悪くないと思った。

ドラマの記憶が多少あるので、文章を読んでいても映像的にイメージできるのが、わたしにとって楽な読書にしている。

大阪船場のバリバリの「あきんど(商人)」で、加代の恩人、「糸商」の旦さんは、大友柳太朗だった。
加代の師匠でもあったのが、祖母ゆうで、浪花千栄子が演じていた。

このひとたちの集団が、「大阪経済界」だったのだから、なぜに大阪経済圏の衰退となったのか?は、個人的に興味の中心になるのである。
本作中にも随所にみられる、「あきんどの発想法」は、いわゆる東京の「経済人のもの」とはことなる。

「あきんどの発想法」は、ずっと「人情」と「数式」でできていて、「経済人」のドライさとはちがって、「ウェット」なのだ。

しかし、「経済人」という、『ロビンソン・クルーソー』ゆずりの発想は、1924年から32年にかけて実施された、「ホーソン実験」で、否定されてしまっている。
「損得だけ」の経済人ではなく、人間は感情の動物だという、「あきんどの発想法」の当たり前が証明されたのである。

これが、いまだに世界経済の「誤解」のもとになっている。
現代の、「儲け主義」や「拝金主義」が「資本主義」だと信じる(あえて「マネー資本主義」とも表現する理由)、経済人を肯定している発想からのものだからである。

この意味で、加代の成功譚である本作が示す「あきんどの発想法」は、あんがいと「ホーソン実験」を根拠とした「正統」なものなのである。

それと、加代は、「旅館方式」の限界から、「ホテル形式」へと転換させるエピソードが、やはり最終巻に登場する。

戦後の日本人の発想法が、悪い意味でアメリカナイズされたことの限界、という意味だ。
なので、東京を中心とした、「ホーソン実験」を無視した、「経済人」がはびこるのである

すると、この小説は、温泉旅館とホテル(温泉ホテル・観光ホテル)の、一種の「経営読本」なのであるが、当事者たちは「定本」として意識しているのだろうか?との疑問がおきる。

東伊豆町立図書館で借りられる、本作シリーズの状態が、ひとつの回答になるのではないか?

ちょっと熱川に行って確かめてみたくなった。

全体主義EUは内部崩壊する?

こないだ、スロバキア総選挙が秋にあってどうなるか?と書いたが、北の隣国ポーランドも10月15日に総選挙がある。
スロバキアの総選挙は、前倒しになって、30日とあと一週間に迫っている。

30年程前になった、旧ソ連圏だった東欧の体制転換では、どの国も社会主義統制(計画)経済から自由主義経済に移行するのに苦労した。

それは、各国が「ソ連衛星国」といわれたように、東欧諸国は無理やりにソ連依存させられる枠組みの、巨大な計画経済圏に組み込まれたからで、自主的な経済運営ができなかった状態が40年以上も続いたからである。

ソ連共産党の幹部だった、エリツィン氏がクーデターで失脚したゴルバチョフ氏に代わって大統領になったけど、このひとは、「自由化さえすれば」計画経済が自由主義経済に簡単に転換すると単純思考して、英・米の餌食になったのである。

もちろん、アメリカ政府も千載一遇のチャンスとばかり、ノーベル経済学賞学者もいれたデレゲーションを組んで、ロシア経済顧問団としてエリツィン政権への助言者となったが、これも「自由化さえすれば」計画経済から脱却できると諸制度を破壊する活動をして、特にロシアの資源を餌食にする片棒をかついだのである。

「本国」ロシアのこの体たらくで、困り果てたのが東欧諸国だったけど、戦後初めて自主的な経済運営のチャンスを逃さなかったのである。
なぜなら、東欧諸国は、「戦前」には、自由主義経済を経験していたからで、農奴の田舎国だったロシアとは決定的にちがったのである。

その成功者が、ポーランドだった。

スロバキアの話でも書いたように、ポーランドもその大きな国土の利用可能な土地のほとんどが、農地なのである。
けれども、「GDP」という指標でみたら、農業は数%にしかならないので、たいしたことはないようにみえる。

ところが、「ポーラ(真っ平らな)・ランド(土地)」という国名の由来通り、それと、プロイセン時代の皇帝からの命令で、とにかく「ジャガイモ畑」が地平線に続く国なのである。
つまり、食料自給率が100%を超えているから、この分、農産物輸出国でもある。

コロナ前だが、ポーランドを旅した経験からしたら、ジャガイモは1㎏40円ほどだった。
それに、ロシア人もそうだが、ポーランド人も半数を超えるひとたちが、ふつうに「ダーチャ:別荘」を郊外にもっていて、そこで家庭菜園(といっても広い)をやるのもふつうなのである。

土地がありあまる国情も、わが国とはぜんぜんちがう。
ワルシャワからクルマで1時間半ほどの別荘分譲地は、日本風に120坪の面積で、だいたい50万円という相場で、なんとクレジットカード決済も可能だった。

だから、ダーチャをもたないひとが、都会のスーパーとかで野菜を買うというほどのもので、消費一方のわが国とは比較にならない常識がある。

さてそんな中、またもや「ウクライナ」が話題の中心になっている。

ただし、話のきっかけはウクライナではなくて、全体主義EU委員会の強制的な行政命令である。
それは、ウクライナ産農産物のEU域内輸出にあたって、EUが「ウクライナ支援の一環」として、「非課税」としたからである。

ここで、「EU」という機構のややこしさ、あるいは、欺瞞について、このブログでは何度も書いてきたけれど、最高意思決定権は、「EU委員会の委員長」にあるという、おそろしくも、世界最大の行政機構が国家群を支配する構造になっていることなのである。

これを、「国連」も真似て、パンデミックに関する「規約」と「条約」をWHO名で改定し、まずはWHOから全体主義の世界政府にするという魂胆になっている。
来年、5月に、この決定のための総会が開催される予定で、わが国の自・公政権側は、たとえ年末あたりに総選挙があっても、ぜったいに「争点にはしない」で、しれっと賛成票を投じるにちがいない。

それで、EUには一応「議会」があるけれど、EU委員長の権限に対抗するように、はなから設計されていない。
つまり、最初から、選挙で選ばれないEU官僚というひとたちの好きにできるのがEUなのである。

ただし、これが日本一国で「極」でつくっていた官僚国家の強みであると判断したのが、原因だから、いまの全体主義EUの原本はわが国なのである。

そんなわけで、黒海の港町オデッサからの輸出が、ウクライナの収入源で、輸出先はエジプトとかの慢性的食料不足にして貧困国だったのである。

ところが、何かを待つように(イランの核開発を阻止すべくイスラエルの行動)ジワジワとしか動かないロシア軍のために、黒海が事実上封鎖されて、海上輸送ができなくなった。

それで、陸路をもってウクライナ産農産物をヨーロッパ大陸からエジプトとかに輸出しようではないか、となったのである。

ここが、現場をしらないEU官僚が頭の中でかんがえた浅はかの限界であった。

あなたの自国領を通過するだけだから、「非課税」にしてあげようよ、が、ただでさえ「安価なウクライナ産農産物」(だからエジプトとかが買える)なのに、「強烈なディスカウント」になったために、通過国の流通事業者たちが、一斉に「買い付けを」はじめてしまったのである。

これで、EU官僚の目論見はあっさりと破綻して、事実上の「横流し」が発生したが、あろうことか、販売者のウクライナが、エジプトやらまでの陸上輸送コストが節約できて「高く売れる」となったために、「どうぞどうぞ」になって正規輸出に変換されたのだった。

これが、通過国の農家に大打撃となって、その最たるものが、選挙目前のスロバキアとポーランドなのである。

両国とも、「反EU]が国民の総意(農業は有権者が多数)にもなって、大ブーメランになりそうなのである。
それでとうとう、ウクライナへの武器支援から経済援助も「止める」という政権判断になってしまった。

EU脱退の大波が、山津波のようになるのかどうか?期待をもって注目したい。

気の毒で語れない、のも狙い

世界から情報隔離されて、なんでも「オミクロン株(XBB.1.5)対応ワクチン」と自称する得体のしれない注射を、まだまだ打つと国も、横浜市(20日から、あろうことか生後6カ月以上の全員が対象)も張り切っている。

その横浜市は、市長選挙で圧勝した現職の主張こそ、「候補者で唯一の専門家」であった。

なにせ、横浜市立大学医学部教授であったのだけど、ずっこけたのは専門が、「医学」でも、「遺伝子工学」でも、もっといえば「医師」でもなくて、「統計学」だったことだ。
しかも、立憲民主からの推薦だったので、自民とちがう、ことも「売り」だったのである。

それが、世界から情報隔離されていることにも気づかない、阿呆だったのである。

12日、サウスカロライナ州議会で、超重要証言があった。
それは、注射液にDNAの混在が見つかったことで、人間への遺伝子操作が疑われるから、ただちに接種者の「幹細胞遺伝子」を調べるべきだ、とのことだった。

「遺伝子」だから、本人には一生だが、これが遺伝すれば世代を超えて自己免疫疾患を、自分のDNAが引き起こしかねない、という恐るべき警告だった。
旧ツイッター、「エックス」を検索されるべし。(日本語も可)

この情報をしれば、地方自治体の長として、「まった」をかけるのが当然だろう。

人の口に戸は立てられぬ、とは、どんな内緒(機密)話でも、たいがいが漏れ伝わるのが、人間の習性に由来するものだからである。

なので、「黙して語らず」に、「墓場まで持ち込む」のは、よほどの固い決意があってのことになる。

その典型が、山崎豊子の小説で、これも作り話と現実を混同させる、『沈まぬ太陽』(『週刊新潮』1995年~99年までの連載)であった。

現実との混同は、このひとの得意技で、『不毛地帯』(『サンデー毎日』1973年~78年までの連載)がその先鞭をつける作品である。

   

小説家は、あくまでも「作り話」を創作しているのだと主張するのだろうから、読者が勝手に物語と現実の出来事とを連動・関連づけさせるのは、小説家の責任ではないといいたいのだろう。
ただ、なぜにこの両者を酷似させるのか?に、悪意さえ感じるのはわたしだけなのだろうか?

ただし、日本人読者・視聴者の、簡単に騙される気質を利用して、ヒット作になるように書いているのだといわれれば、それはそれで、プロの「売文商売」としての立場は理解できるものだ。

だから、現実の瀬島龍三氏とか、このひとを政権ブレーンにした中曽根康弘氏が指揮した、JAL123便の悲劇とかは、わたしには、『皇帝のいない八月』(松竹、1978年)という荒唐無稽となぜか結びつくのである。

 

ちなみに、JAL123便の件は、いまでも「大疑問」がある、「事故ではない重大事件」とみるひとが絶えない。

この根底に、わが国政府の「棄民」の歴史が横たわっている。
「棄民」とは、ときの政権なりが、自国民を「棄てる」という意味だ。

明治新政府の原初にあった、日本人奴隷貿易の明治新政府による放置こそが、「原初」だった。
明治政府(薩・長)が憎んだ、徳川幕府は、豊臣家を滅亡はさせたが、豊臣秀吉がやった「バテレン追放令」は、幕府の「国是」(グランドストラテジー)として、開国まで続いたのに、なのである。

秀吉の「バテレン追放令」こそ、キリシタン大名たちが信仰心を理由にやった、自国領民の宣教師による「組織的奴隷貿易」の根を断つためだったからである。

なので、象徴的な「からゆきさん」のことは、政府として触れたくないのも、道理となる。

 

つまるところ、政府の無謬性へのこだわりが、政府をして国民と乖離させ、政府自体がマフィア化する原動力となるのであった。

この、「政府の無謬性」とは、圧倒的な難易度に設定した、受験エリートたちのつくる、人為的な、奢りの意識が、組織としての常識に変容したときに、永遠性をもって国民を支配する階級であると自己認識することで、どんどん強固になるようになっていて、個人では太刀打ちできない官僚内での生活習慣になるのである。

だから、「心ある官僚」は、ぜったいに現れない。

自称であっても、「心ある官僚」を演じて売名したいなら、「元」となるしかないのである。
ただし、国民は、「元」であっても、騙されてはいけない。

いったん、「無謬性」という伝染病に染まったものは、よほどの自己免疫がないと、まともには戻れないし、そもそもが、受験エリートでしかない。
だから、その学歴にだって、だまされてはいけないのである。

国民の8割が、「お注射」を何度も接種したので、わたしにとっての確信犯的お仲間は、2割の小数派でしかない。
なので、もう、めったなことはいえなくなったのである。

5回という経験者の友人は、2度目か3度目の直後に、右腕にしびれを感じるようになって、いまではたまに麻痺した感覚が出現するという。
本人も、自分から思い当たる節は、お注射しかない、というけれど、外国出張のために仕方なく接種し続けたのがいけなかった、と語っている。

こうなると、もう、気の毒でこちらから語れない。

せいぜい、「ワクチン問題研究会」の記者会見を観るように勧めるまでが限度なのである。

けれども、アメリカで続々と内部告発やらが発表されて、「注射薬」の開発元がわかった。
それは、保健省でも、民間の各製薬会社でもなく、なんと、国防総省(しっかり「特許」もあった)だったのである。

だから、製薬会社は、EU議会でも正直に、「感染予防を確認するための実験はしていない」と証言したのだだろう。

では、「なんの薬」なのか?

少なくとも、国防総省による「生物化学兵器としての開発」だったものを、アメリカ国民のみならず、世界中の一般人に民間製薬会社の「大儲け」を通じて使用したのである。
なお、この開発過程で、ファウチ氏の年収は6割以上引き上げられて、アメリカの国家公務員で大統領も及ばない最高額に達したのだった。

そんな人事・行政権は誰がもっているのか?
それが、SESの終身雇用高級官僚たちなのだ。

わが国政府も、民間製薬会社との「密約」を国会にも秘密にする、トンデモが、自・公政権によって平然と行われていて、これさえも情報隔離されている国民はしらないのである。

あまりにもあんまりな話なので、気の毒で語れない、のも政府の狙いだとすれば、将来どこかの時点で、わが国も「民主政府」になったあかつきには、関係者全員逮捕 ⇒ 有罪とならないといけないほどの組織犯罪である。

しかし、自・公政権は、そんな「民主政府」になるはずはなく、急いで全体主義化を講じているのであった。

全米自動車労組のストライキ

トランプ政権の「絶好調」から一転し、民主党・バイデン政権になってからのインフレが、80年代のスタグフレーション時代を思い出させるレベルになった。

政治目的が、国民のための政治から、国民支配のための政治に変わったために起きている現象で、政権自体の根本思想が、グローバル全体主義のコンセンサスがあるための、破壊活動となっている。

なんだかこれに、FRBも同調して、金利上昇の手を緩めないのではないか?と疑いたくなる。
金利を上げられない、徹底的「円安」誘導が日本経済潰しのグランドストラテジーに合致した、一石二鳥もある。

「長官・副長官」といった大統領が指名する政治家クラス(連邦上院の人事案承認が必要)だけでなく、その下に君臨している、本当に「終身雇用」の高級官僚(SES)たちが、オバマによって大量採用された「オバマ・チルドレン」で、グローバル全体主義者が選ばれていた。

このSESが、むかしからの政治任用(猟官制度)で、政権交代するとやって来る各省庁の管理職を、絶対的上から目線で監督して、国家機構が積極的に国家の破壊活動に日々努力しているのが、民主党・バイデン政権の本質なのである。

そんなSESたちを抱えて、トランプ政権の4年間に出した成果は、あまりにも画期的だった。
けれども、ホワイトハウスさえ、SESが仕切っているので、内部のガタガタは凄まじかったと、トランプ氏が任用した高官達が曝露している。

いまは、文字どおりの「大統領府」として、国家破壊の司令塔になっている。
これをソックリ真似ているのが、わが国の自・公政権であって、首相の苗字がどんなに代わろうが関係ない。

「党の支配」とは、そういうものだ。

なので、「内閣改造」にばかり話題を挙げて、「党人事」をいわないのは、政党組織として自・公の狙い(グローバル全体主義による日本破壊)を国民から隠したいからである。

そんなグローバル全体主義に染まった政府を支援しているのが、むかしからの左派マスコミ(もちろんグローバル全体主義を信奉している)だから、目指す目的が一致している。

これに、SNS企業(社主たる経営者とほとんどの従業員)が同調して、エックス(旧「ツイッター」)以外を形成している。

つまるところ、露骨な言論統制を、マスコミとSNS企業が「自主的」に行うという、前代未聞の事態が、いま現実となっている。
それで気を良くした、ホワイトハウスが、マスコミ各社に「指示書」を出して、連邦下院によるバイデン弾劾訴追調査の阻止を行政府が命じる憲法違反も、堂々と行われるようになった。

さすがに、かつて憲法擁護の論争をさんざんやってきたわが国では、いまの日本国憲法が欠陥だらけであっても、政府がマスコミに報道を露骨に統制することまではしていないようだけど、「裏」ではどうなのか?がある国なので、国民としてはそれなりに疑っておいた方がいい。

さて、アメリカでは、全米自動車労組(UAW)のストライキが起きて話題になっている。
賃上げ要求と、週4日制(週休3日)も要求にある。

後者の要求に、『ニューズウィーク日本版』が、労組の主張を掲載している。
なんだか、わが国戦後の争議にあった、「人間性回復闘争」のようなのだ。

賃上げ要求は、当初4割台という「高レベル」で、あたかも日本では「あり得ない」とか、「労組幹部の暴走」という見方が主流だったけど、このひとたちの「協定書」は、4年に1回というレンジなので、直近で4年前の協定書が交渉の出発点であることを忘れたら、話が見えなくなる。

本稿冒頭に書いたように、4年前は、トランプ政権下のアメリカ経済「絶好調」の時期だった。
なので、4年間の賃上げ協定は、4%台という、それでも衰退する日本では驚きかもしれないけど、「低水準」だったのである。

日本で驚きの理由は、アメリカ人労働者の賃金が、日本人の倍あるからで、だいたい1000万円だ。
これに、4%台の賃上げが協定になったのである。

ところが、民主党・バイデン政権による破壊的インフレ政策(わざと)で、歴史的な7%にもなったから、実質「目減り」という事態に、たった2年弱でなってしまった。
この減った分を取り返して、いまのインフレに合わせてイーブンにして、さらに将来のインフレ見合い分の賃上げ要求を加算すると、4割台という計算になるのだった。

経営側の「あり得ない」が堅いので、いまは3割台の要求になっているけど、さてどの時点で妥結するのか?(わざと)長期戦になりそうな気配なのである。

もちろん、労働組合というのは、なぜだか政治史の流れのなかで、左派(社会主義志向)というのが当然だという常識になっている。

これに、フリードマン夫妻が書いて出版当時わが国でも大ベストセラーになった、『選択自由』(1980年)で、消費者を守るものは誰か?とか、労働者を守るものは誰か?といったテーマで、自由主義経済学の立場から、皮肉な解説が試みられていた。

残念ながら、消費者を守るものは消費者団体ではなく、労働者を守るものは労働組合ではないと書いている。

それはまた、マクロ経済でいえば、インフレ時の賃上げ水準が、適正を欠いて、上がりすぎるとインフレの中身に、「粘着性」がある要因となるのが、賃金だからである。
いったん上がった賃金は、なかなか下がらない(これを、「粘着性」という)からである。

それゆえに、民主党・バイデン政権を絶対支持している全米自動車労組の頑張りとは、より激しいインフレを実現して、もしやトランプ再選となっても、容易に経済の正常化を困難にしようとする、破壊活動ではないかと疑うのである。

すると、悲惨になるのは、一般組合員の生活だが、それがまた過激な行動の原動力、たとえば、21世紀にしての、「人間性回復闘争」とかとなれば、民主党・バイデン政権の破壊目的と合致して、全体主義がより早く実現するという、「夢」に向かっているともいえる。

労組本来の存在意義は、そこにはない、逆ではないか?と思うのだが、ねちっこいのは、やっぱりグローバル全体主義の共産脳なのである。

東方経済フォーラム2023

ウクライナ前、プーチン氏は、世界経済フォーラムの年次総会に出席したので、「おや?」と思ったら、堂々とこの組織の批判演説をぶちかまして、言い終わるやサッサとモスクワに帰ってしまったのだった。

いま、世界経済フォーラムに堂々と反旗を掲げる政治家は、現職ならプーチン氏の他にみあたらない。
トランプ氏も現職のときに、批判して、落選の憂き目となったのである。

だから、世界経済フォーラムからしたら、ウクライナでプーチン氏に一矢を報いようと企んだにちがいないが、残念ながら、そうは問屋が卸さなかった。

このところになって、ようやく西側メディアもウクライナの劣勢・敗戦について報道するようになったのは、自己保身のアリバイ工作でもあるのだろう。

我が社は、真実を報じました、とウソばっかりをいいたいのだ。

さて、2015年からはじまった、ロシアが主催する「東方経済フォーラム」は、名前からして「世界経済フォーラム」への当てつけではないのか?

会場は毎年、ウラジオストック(「東方を征服せよ」が由来の地名)にある、「極東連邦大学」での開催となっている。

当然だが、毎回プーチン大統領も必ず出席している、肝いりの会議なのだ。

ずいぶん前に、新潟からウラジオストックへ観光旅行をしたことがある。
搭乗機は、ツポレフで、機体に錆があったのを覚えている。
鉄でできている飛行機に、はじめて乗った。

飛行時間は1時間半ほどであった。
当時のツアー・パンフレットには、「日本から最も近いヨーロッパ」とあった。

残念ながら、いまは、ウラジオストックに飛行機で行くには、なんとトルコ航空でイスタンブール乗り換えか、モスクワまで行って戻るしかない。

その後に観光で訪ねた、ルーマニアのブカレストの荒んだ雰囲気が、なんとなくこの当時のウラジオストックと似ている気がしたのは、まだ共産時代の残滓が残っていて、それなりの不気味さもあったからだった。

なにせ、ソ連極東艦隊の司令部があって、軍港としての機能が優先されていた、「閉鎖都市」だった。
なんぴとも、特別許可がないとこの街に入れなかったのである。

そんな特別感が残る地域なのに、食生活においての日本食、とくに醤油の普及は目覚ましく、料理店で醤油がテーブルになかったのは、ロシア料理店とウォッカのバーだけだった。
きくと、シベリア出兵で3万人の日本兵が駐留したときに、醤油も味噌も、海苔も普及したらしい。

鰹節が貴重なので、手軽なテーブル調味料として醤油が欠かせないものになったという。

さてそれで、プーチン氏はずっと、ロシア経済の発展の重心は、「東方:アジア」だと繰り返し表明してきている。
いわゆる、ウラル山脈の西側にある、モスクワやサンクト・ペテルブルクの地域ではなく、東側のシベリア以東だといっているのである。

果たして、国家が主導する大規模開発が有効なのか?という事に関しては、このブログでは否定的な立場にある。
なので、いかにプーチン氏の肝いりとはいえ、どうなのか?には慎重にならざるをえない。

すでに、先進国たるわが国では、国家によるイベントすら「なんなのか?」という事態になっていて、それが、「東京オリンピック」だったし、いま計画がヤバくなっている、「大阪・関西万博」なのである。

ただし、たかが2週間とか半年の期限あるイベントが、景気高揚をさせるのだとかんがえる方がどうかしている。

中国大陸では、事実上国が認めていた大規模な不動産開発が行き詰まって、えらいことになっている。

少しズレるが、ニューヨークやロンドンでは、コロナ禍で在宅勤務が普及したために、商業用・事務所用の賃貸物件が大穴を開けていて、これが商業銀行の経営危機にもなりそうなのである。

需要と供給の情報に敏感なはずの民間でも、大間違いを冒すのだ。
ましてや、国家をや。

「東方経済フォーラム」では、具体的な投資案件はさまざまあるようだが、インフラ系が注目されている。
北極海航路の開発で、最先端の砕氷船を建造する計画だという。
ずいぶん前には、潜水貨物船の構想があったと記憶している。

プーチン氏は、寒いロシアにとって、地球温暖化は喜ばしいことだと発言した「前科」がある。
北極海の氷が薄くなれば、地球儀を真上からみたら一目瞭然、当然にロシアには「地の利」となるのである。

日本が主導権を握るはずの計画だった、シベリア鉄道の高速化とは、鉄道線路の整備もあったが、貨車のコンピューター管理システムで、留置時間を大幅短縮する計画も込みとなる、兆円単位の大型プロジェクトだったけど、ウクライナで敵国認定されて、どうにもならなくなったのだろうか?

それとも、この計画は、日本との経済交流再開時まで「温存」したからか?、今回、プーチン氏は、シベリア鉄道には言及せず、サンクト・ペテルブルクまでの長大な高速道路の建設計画を発表した。

当然だが、シベリアの天然ガス田からは、ウラジオストックまでのパイプライン建設の計画もあるし、ナホトカには、世界最大規模の肥料工場もすでに建設中のさなかにある。

わが国が喰らったロシアからの、経済制裁で、化学肥料の原料輸出を止められたので、昨年から農業危機になったのである。

なお上記のそれぞれの個別案件プロジェクトには、しっかり日本企業が参加している光明がある。

マフィア化して世界経済フォーラムやらの全体主義・戦争屋に追随するばかりの日本政府(与党)は、日本経済の発展にも、世界経済の発展にもぜんぜん寄与しないアホさかげんを世界に露呈している。

こないだ、いまやスイス最大の大銀行UBSが、世界各国の資産増減統計を発表し、成長拡大したロシアに対して、こぞって西側は減少(最大の減少はアメリカ、次がEU)するという、プロパガンダする側には困った資料が話題になったものだ。

日本人も、ロシアに経済制裁をしていると思いこまされているが、本当はその真逆だと気づかないといけない。

なのに、間違いの最たるものでもっとも基本となるのは、「ソ連とロシアの区別がつかない」ことが、なによりも重症なのである。

まったくもって、テレビ・ドラマと現実の区別がつかないのと、おなじ病理なのである。

見えない「神風」のラッキー?

台風だって見えないけれど、雲や雨・風は見えるし感じる。

もう10年以上前だが、搭乗した小松空港から羽田行きの飛行機が、名古屋あたりから太平洋に出て北上する旋回コースを辿ったとき、たまたま右窓側座席にいて、沖縄を襲いつつあるダブル・台風が、ふたつのエリンギのような形をしているのがハッキリ見えた。

なるほど、衛星画像だと真上からの平らな雲の姿だが、真横からだとこうなっているのかと感心した。

むかしのひとでも、見通しがいい山の上からなら、こんなふうに見えたのではないか?
それが、三重県志摩市波切(なきり:大王崎灯台がある)の「わらじ祭り」になっている。

太平洋の黒潮に乗って、九州から高知、志摩、銚子、仙台あたりまで、志摩でいう「波切音頭」が点々と各漁村の郷土民謡になっているのは、「海」で結ばれた人間行動のつながりが見えてくるものとして興味深い。

「人」の字は、「金八先生」を持ちだすまでもなく、「支え合う」という象形文字からできている。
古今東西、人間とはそういう動物なのである。

だから、組織化して活動をするのが、習性だ。
それで、似た習性の犬と万年単位でつき合っている。

組織を動かすのは、「リーダー」と呼ばれる人間で、組織はこのリーダーの才覚の大きさによって命運が決まる。
才覚あるリーダーのもとなら、生きのびる可能性が高まって、そうでないと「自然淘汰」されてしまう可能性が高くなるから、リーダー選びは生存をかけた真剣だったろう。

なかなか淘汰された側の記憶は残らないが、そのうちに「歴史家」が現れて、どのように淘汰されたのか?が後世に伝わることとなった。
そうやって、歴代の歴史家たちが歴史研究を進化させて、生きのびる法則と淘汰される法則を見出してきた。

ところが、人間の性(さが)は、単純ではないから、わざわざ淘汰される法則をもとに行動するひとたちが出るものだ。
このひとたちの特徴に、「自分たちは特別なのだ」という、根拠のない自信があるのは、握った「権力」の大きさに比例する。

それで、歴史家は、「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」(ジョン=アクトン卿の言葉)という法則を、警告として発したものだが、絶対権力者は絶対に自身が特別なのだという信念を曲げないし、曲げた途端に、権力の座から引きずりおろされることを知っている。

それは、古今東西、「死」を意味するのである。

だから、権力者は死に物狂いで、自分の権力を守ろうと努力し、対抗して引きずりおろしたい面々は、虎視眈々とチャンスを狙う(陰謀をめぐらす)のである。

すると、たいがいの権力者の神経はすり減って、他人からしたら失敗を繰り返すようになるのは、「疑心暗鬼」の賜なのである。
最後はかならず、自分自身しか信じるものがいなくなって、とうとう自分でさえも何者なのか?が分からなくなるのである。

発狂寸前か精神崩壊、これが権力に溺れた者たちの末路だと相場がきまっている。

そんな権力者をトップにした組織では、もっと巨大な圧力に勝手に成長するのは、「こっくりさん」とおなじ力学の仕組みなのである。

ましてや、淘汰される法則に権力者が乗っている組織なら、「邪悪さ」が支配する。

たとえば、活動費やその予算が足りないことに「邪悪さ」ゆえに我慢ができず、裏金やらの手当に余念がなくなって、組織目標がいつのまにかに、その余年がない方にシフトする。
アメリカなら、情報部門が多数になって、いまでは18もの機関が、「国家情報機構」となっている。

それで、国家情報長官という役職ができて、これらをコントロールすることになってはいるが、読者ならその座に就いたら自分ならどうするかを想像すればわかるように、なにがなんだかわからない、ということになるのは、火を見るより明らかだ。

その中のたった一つの組織の、CIAだけでも、傘下に1000以上の投資企業を持っていて、独自に活動資金を稼いでいるのである。
これは、あたかも、「ナチス親衛隊」とおなじ構造になっている。

わが国の場合なら、道路公団ひとつでもこうだったし、民間の話題ならBIGMOTORが旬になった。
結局、内情の詳細はわからないままになっているから、他国をバカにして嗤えないのである。

それでもって。わが国に見えないラッキー?なのは、人民解放軍の腐敗度合いが、どうやらこうやら修正不可能なレベルまでいっている可能性が出てきたことだ。
もちろん、この「軍隊」は、ナチス親衛隊とおなじで、国家の軍ではなく、「党」の組織なので、この軍の腐敗とは、自動的に党の腐敗を意味する。

これはなにも特別なことではなくて、30年以上前まで存在していた、「ソ連共産党」の事例をみても、共産党(全体主義)の共通としていえる、構造的な欠陥に基づく腐敗だ。

すなわち、邪悪な設立目的による、淘汰される法則が最初から内包された組織なので、そのトップからなにからが、ぜんぶ腐るようになっている。

掃き溜めに鶴は、存在しない。

「鶴=異質=反乱分子」だと認定されたら、よってたかって首を絞められるからである。

この組織の崩壊を、じっさいに経験しているプーチン氏に見えているからこその、脱中華を謳った、露朝会談だったとしか考えられない。

すると、こんどは、数万から何十万、何百万人だかわからない、「ボートピープル」が、わが国を襲うことになるだろう。

そのとき、ほんものの「神風」が吹くのだろうか?
さぁ?

医療産業とは「商売」である

こんな商売があるのか?とロマンをかきたてたのが、池波正太郎の『剣客商売』だった。

 

この「作りばなし」は、池波正太郎が惚れこんだ、歌舞伎役者の、中村又五郎がタイムスリップして江戸の町に現れて、「剣客」として、数々の事件を解決するという、まさに作家のロマンに読者が引きずり込まれる、という、これぞ「売文(商売)」の商品そのものであるのだ。

おなじ「売文」でも、「新聞」やら「記者」やらと名がつくと、略して「聞屋」と呼ぶ職業差別があった。
知ったかぶりとか、聴いてきたようなウソを書きたてて、「講談師」よりもインテリを装うので始末が悪いと嫌われたのである。

「お前、大学なんぞを出ても、聞屋にだけはなっておくれでないよ」とかと息子にいう、まともな母が激減して、いまどきは、新聞記者に就職が決まると、大喜びする母親ばかりになったのである。

「聞屋」の実態があからさまに動画になって、デジタル・タトゥーとして話題になったのが、安芸高田市の若き市長と、地元紙中国新聞編集次長と記者との、マンガでもあり得ないほどのトンチンカンなやり取りだった。
安芸高田市公式ユーチューブチャンネルでの再生回数は「前編」だけで、194万回(18日現在)になっている。

1日現在、2万7千人弱の市が、全国的に有名になった「作品」になっているのだった。
市はいかほどの収入になっているのだろうか?

その聞屋のなかでも、日本を代表する、「経済紙」は、むかしから「財界広報紙」と揶揄されてきた。

「経済紙」に加えて、いわゆる「一般紙」と、「スポーツ紙」という3つのジャンルがあるわが国の「聞屋」の世界で、「経済紙」だけが、ライバルの存在しない一社独り勝ち状態をキープしている。

ここでも、GHQの支配がみてとれるのである。

日本経済新聞社のHPには、「理念・ブランド」というタグがあって、さらに、「Our History」を選択すると、余計な宣伝文句がダラダラと書いてあるので、読まずに下までスクロールすると、また「History」が出てきて、「日本経済新聞の誕生」がおもむろに混じっている。

なお、最下段に「時系列で日経の歴史を見る」というリンクボタンも出てくる。

なんだかわざと隠しているのではないか?と勘ぐりたくなるが、その「日本経済新聞の誕生」をクリックすれば、冒頭、「昭和21年3月1日、戦時中の『日本産業経済』の題号が改め」、と出てくるのである。

この記載だけで、あとは読む価値がないほどに、GHQ支配の状況がマイルド化されて、あたかも自社の自由判断だという「作りばなし」になっているのである。

当然だが、GHQ民政局が支配した日本人の生活だったから、ライバル紙を作らせないと決めたのも、これでわかるのである。
GHQ様のお陰が、いまでも続いているけど、これを書かないのが「聞屋」だと、むかしの母はしっていた。

ちなみに、地方は、「地銀」とともに、「地方紙」がかならず、道府県に一社(都は特別)の独占となっているのは、国家総動員体制のなかで、GHQにも都合がいいから残ったのである。
それで、アメリカ軍政になった、沖縄には、二紙体制(琉球新報:明治26年創刊、沖縄タイムズ:昭和23年創刊)として、本土にない「民主主義」を沖縄にもたらしたことになっている。

なお、地銀としての都の金庫は、「富士銀行(公務部)」一行だったので、いまは「みずほ銀行」となっている。

さてそれで、あたかも未来ある「医療産業」と書いたのが、この「経済紙」だった。
これに追随したのが、「一般紙」で、一般紙しか契約していない家庭では、あたかも「常識」のように受けとめることにさせられるのが、これまたGHQが構築したプロパガンダの実態なのである。

なによりも、国民が間違えてはいけないのは、病院も診療所も、あるいは介護施設も、ぜんぶが、「商売」でやっている事実である。

変な刷りこみとなったのは、山本周五郎の『赤ひげ診療譚』(1958年3月~12月、「オール讀物」連載)だった。
これに、オバケ番組『水戸黄門』の枠にあった、『大岡越前』で、小石川療養所の医師を好演した、竹脇無我の爽やかさのおかげで、医療が商売ではなくてボランティアになったのである。

それで、一般紙の筆頭、朝日新聞が、「医は仁術」という、恐ろしくも間違った刷りこみを日本人にしたのである。
時は、老人医療費が無料(「税金化」されていただけだが)だった、よき時代のことである。

  

これで、時代劇と現実を混同するように差し向けたのである。

それからの例でいえば、『おしん』の義母、お清役を見事に演じた、高森和子に脅迫状が届くとか、佐賀県が、佐賀県民の性格はこんなひととはちがう、と公式コメントしたのも、ドラマと現実が区別できない、驚くほど情報操作が容易な日本国民の国民性に問題があるといえる。

そんなわけで、医者にいくと病気にさせられる。
医者は、保険点数表の中にある病気なら、なんでもいい権限を、医師国家免許で「皆伝」されているのである。

この点だけ、「赤ひげ」は、お節介な医師であった。
ちゃんと、仮病を暴いて、仮病をいった患者の心のなかまで診療したのである。
いまなら、仮病を見抜いても本人がいうからと、薬を出して売り上げとするのがふつうだし、眠れないからと、精神科とかなら本物の病気になるような投薬処方をされるかもしれない。

そして、そんな医者が、繁盛店の人気になるのである。

「敬老の日」ではあるけど、ちゃんと「敬ってもらえる」正々堂々とした人生だったかを、自己診断したいものである。