『チ。』は欧州を逆転させるか?

サブカル世界のなかで、日本の地位は圧倒的だと評価されている。

サブカル=サブカルチャーの対義語は、メインカルチャーである。
それで、おおいに影響された外国人が、メインカルチャーの扉を開けて、日本文化の深層に迫ろうと、まずは日本語を学ぶことになっているし、日本食のお手軽入門としてラーメンとカレーが世界各地でヒットしているのも、「マンガ」にこれらを食べるシーンがあるからだ。

当然だが、いまはインバウンドの旅行客がこうしたカルチャーを実体験し、それをSNSにアップしてどれもおなじではあるが、「絶賛」しているのである。

衝撃的なのは、「I教」の国からやってきた人物が、トンカツ定食やカツ丼、あるいは豚肉入りのカレーを頬張って、「(豚肉が)こんなにうまいとはしらなかった!」と破戒の動画まで出している。
帰国して無事でいられるのか?観ている方が心配になるのである。

これもひとつのグローバル化で、日本文化が世界文化に混じりだしている。

言語とは、思考に必須の基礎条件なので、日本語を学ぶこととは、そのまま日本思想を学ぶことにも通じる。
こうして、日本人の宗教観が一般的に「無宗教」といわれていたことの安易さのベールが剥がれて、あらゆるところに神が宿る宗教思想の深さも外国人にバレだしているのである。

薄れたとはいえ、キリスト教のいう「絶対神」との究極的対岸にある日本の八百万神を識れば知るほどに、はまり込むようにできている。
なぜなら、「十戒」をわざわざ書き出さなくとも、日本思想における当然が「不文律」で通じることの方が、「J教・C教・I教」徒にとっての驚きとなるからである。

この意味で、「不思議の国ニッポン」は、うそではない。
逆に、日本人が欧米の価値観を識れば知るほどに、泥沼の文化に嫌悪するようになるのも驚きではない。

「鬼畜米英」には、真理がある。

それだから、欧米に生まれて自国文化に違和感を覚えさせる日本発のサブカルが、最強といわれるゆえんがある。
つまり、目醒めさせてしまう、のである。

その最強中の最強が、「マンガ=コミック」の膨大な作品群である。

たとえば、『ベルサイユのばら』は、とっくにひと世代を超えてフランス人のフランス革命の教科書になっている。
超複雑な革命に至るまでの経緯と、その後の超複雑を、かくも視覚化した成功例はないからで、池田理代子氏がレジオン・ドヌール勲章(シュバリエ)を受賞した理由がここにある。

良くも悪くも、「ベルばら」は、フランスの「旧農奴」階級たちの役に立っている。
この圧倒的多数の支持に、エリート層が屈服したそれ自体が「革命的作品」なのである。

すると、中世ポーランドを舞台とした『チ。地球の運動について』の影響はいかに?が気になるのである。

ポーランドは、基本的にカソリックの国だし、なんといっても史上最年少にして史上初のポーランド人教皇「ヨハネパウロ二世」を産んだ国である。
そのヨハネパウロ二世(本名:カロル・ヴォイティワ神学博士)は、旧都クラクフ(17世紀までポーランド王国の首都だった)近郊の出身で、クラクフの司教から大司教、そして枢機卿となって教皇となった人物である。

なので、クラクフの教会には、日曜日にいつもそこから説教していたという窓に等身大の写真を置いて、あたかも見あげる大衆をいまも照らしているのである。
しかも、この旧都は、ポーランド国内では「珍しく」、第二次大戦における破壊から免れた街で、完全破壊されたワルシャワなどの都市とはまったくちがう。

しかして、ポーランド人は、執念でワルシャワの旧市街を「復元」した
あらゆる資料(写真や絵画だけでなく文書)と住人の証言から、石材の欠けや鉄門扉のサビまで細部にわたっての復元は、この街観光の目玉なのである。

ところで、そのクラクフにある、「クラクフ大学」に、あのコペルニクスが学んでいる。

よって、『チ。』のポーランド語版は、確実に衝撃的な内容として広がるだろうけれども、一方で、教会が厳しい態度をとるやもしれない。
ならば、フランス語版、ドイツ語版、英語版はどうか?

邪悪なEU委員会が、かつての教会にかわって「言論弾圧」をしているいま、この作品をどのように扱うのか?は、興味深い。

そのEU委員会を支えているのが、英・仏・独の現政権なのであるが、この3国とも歴史的な不支持がひろがっている。

一方で、バチカンを抱えるイタリアはどうか?

微妙なのである。

試金石とはこのことなのである。

異端として火あぶりにされたヤン・フスや、ガリレオ・ガリレイの「地動説裁判」における名誉回復などを公式に発表したのがヨハネパウロ二世だったのである。

それは1992年のことで、教会が地動説を認めてまだ33年しか経っていない世の中にわれわれは生きているのである。

「C教」が滅んで「I教」が残るわけ

大本は「J教」だが、こちらは血の繋がりなくして拡大しないことになっているから、世界に散らばった民族ではあるけれど、「世界宗教」にはなれなかった。

そのJ教の中から出ると信じられた「救世主」が、なんと、自分の名をかざす新しい宗教を立ち上げた、ことになっている。
むろん、これはその人物の死後のことであって、最初の「新訳聖書」が成立したのは100年後以降のことである。

なんにせよ、いろいろな確執もあって、初期の頃からの血生臭い対立の歴史は、そのまま「肉食の思想」を基盤としている。
たとえば、『ダヴィンチコード』で蒸し返された、「グノーシス派」とかの複雑は日本人には難解である。

これがまた、陰謀論の傑作『20世紀のファウスト-黒い貴族がつくる欺瞞の歴史』となってまとめられている。
もちろん、「陰謀論(Conspiracy theory)」とは、JFK暗殺後にCIAが発明したプロパガンダ用語である。

『チ。』における、「C教」の支配がその後の衰退につながっていることはまちがいない。
しかし、『チ。』以前のイスラム世界は、はるかに進んだ文化・文明下にあったことも事実である。

それで、「I教」の文化圏は、「C教」の支配下に置かれるという逆転となったばかりか、「石油」利権による虐待的な状況にも置かれたのである。

たとえば、ついこないだまでのサウジアラビアは、およそ観光収入を目論むことなどなかったばかりか、I教徒以外には滅多に「観光ビザ」での入国もできなかった。

この点からすると、「石油後」を意識するサウジアラビアの現体制は、まったくもって過去のサウジアラビアではない。
むしろ、本当に「石油後」をかんがえる必要があるのか?と疑うのである。

おそらく、西側(C教)からの洗脳に嵌っていないか?

ここでいいたいのは、イスラム圏の「(C教圏に比べて発展の)遅れ」が、かえって現代最強の世界宗教になった理由かとおもわれる。

つまり、「天国」を信じるものが支えているのである。

「I教」における「天国」とは、経典にあるように、「酒池肉林」のイメージである。
ために、現世においては、「酒」も「(豚)肉」も、さらに「肉欲」も禁忌の対象となっている。

預言者ムハンマドが「妻を4人まで認めた」のは、聖戦(ジハード)の結果、未亡人となった人口割合からの女性救済策であったが、「平等に愛する」ことが条件のために、現代では高所得者ほど4人も妻帯することは厳しくなっている。
なお、ここでいう「平等」とは、日本人が大好きな「結果の平等」をさす。

なんにせよ、「天国」を信じていることが重大なのである。

しかして、現代の最先端科学では、「アカシックレコード」の存在が物理学の事実として認識されている。
個々人の「生」のすべてが、宇宙の彼方にある壁に書き込まれ記録されている。

つまり、ここが現代物理学でいう「天国」なのだ。

「I教」として、これを認めるか認めないか?は、「C教」にとっての「地動説」と同じく、重大なインパクトがあるだろう。

日本人にとっては、「お天道様が見ている」が、本当だった、という意味となる。
「アカシックレコード」の解読に成功したら、わたしの人生もすべて、他人に晒されるのである。

神との契約が、「死」をもって終了する「C教」には、ますます厳しい。

研究者がこぞって、「仏教」へ帰依するというのも頷けるものの、日本の仏教は仏教ではない、という大問題がある。

崩壊の闇から、ヨーロッパで「神社」が流行りだしているのは、決してブームではなく、行き着く先の合理性なのである。

つまり、「I教」は「C教」よりも残る宗教とされるものの、日本の「日本教」が世界最強なのである。

来年からは、アメリカの都合からも、日本(経済)の復活があると予想できるのは、「心」の面でも最強だからであるけれど、これを自虐して否定したい向きとの闘争になるのも必定で、選挙での決着が求められているのはこのことをいう。

ロシア国防省の衝撃発表

昨年12月17日にモスクワの自宅アパートから外出しようとしたところ、電動キックボードに仕掛けられた爆発物で暗殺されたのは、ロシア軍化学防護の専門家イゴール・アナトリエヴィチ・キリロフ中将であった。

本件について、ウクライナ保安庁は正式に犯行を認めている。

ロシア軍が「特別軍事作戦」を発動した当初から、キリロフ将軍配下の放射線・化学・生物防衛部隊はまっ先にウクライナ国内に複数箇所存在している「化学研究所」を強襲・占拠して、そこでの研究内容を調査して発表していた。

これら「研究所」では、じつはアメリカ軍が「化学兵器開発」をやっていたのだが、この事実も、当時のビクトリア・ヌーランド国務次官(ネオコン=戦争屋の女王との異名がある)がアメリカ連邦議会の公聴会であっさりと認めている。

つまり、キリロフ将軍の報告は、アメリカも認めるものであったが、ウクライナのナチス、ゼレンスキー政権には非常に都合が悪いのであった。
なぜなら、この政権は、東部4州において、「自国民」に対して、化学兵器を用いていたからである。

そして、いつもの通り、「ロシア軍の非人道的蛮行」だと言い張っていたのである。

しかも、それをそのまま報道していたのが西側メディアであって、EU委員会もこの説にのってロシアを非難する態度を貫いている。

ところが、アメリカが政権交代して、「悪事」がバレたのである。

12日、キリロフ将軍の後任、アレクセイ・ルティシェフ少将がウクライナの核・化学・生物兵器に関する資料の分析結果を発表し、その模様を「マタタビの羅針盤3」さんが日本語翻訳した動画を上げている。

まことに衝撃的な内容である。

また、これよりすこし前の11月28日、ウクライナ検察(じつはアメリカが仕切っている)による家宅捜索をうけて、辞任したイェルマーク大統領府長官兼大統領主席補佐官のタックスヘブンにある個人口座が暴かれて、なんと、日本円換算して4000億円(400ではなくゼロがひとつおおい)もの蓄財がされていたことが判明した。

さすが、汚職大国、なのである。

自民党の裏金問題の総額は、清和会(安倍派)、志帥会(二階派)、宏池会(岸田派)あわせて、18億円弱であったから、「世界」のレベルからするとある意味情けないほどにチンケなのである。

これまでの西側諸国からの支援金のうち、どのくらいのカネが政府高官のふところに入ったのか?は、捜査中、であろうが、兆円単位になるとかんたんに予想できる残念がある。

つまるところ、ゼレンスキー政権の高官にとって、戦争が絶好の裏金ビジネス、になっているのである。

しかして、EU委員会は、凍結しているロシアの金融資産の強奪を試みているものの、貿易決済に不可欠なシステムを破壊することの警告を無視してまで強引にすすめる理由はなにか?が問われ、ウクライナの汚職のEU拡大版たる巨大スキャンダルが視野に入ってきている。

これは、あたかも、ローマカソリック教会の自滅をおもわせる事態なのである。

それでも教会はいまにも残っているが、EUの存続はほぼ絶望的な状況にある。
これはこれで、ヨーロッパの大衆(元農奴)にはよろこばしいことに相違ないが、あくまでも政府依存に洗脳されたやっぱり「元農奴」たちであるから、よろこばしいことだという認識に欠けているのも驚きなのである。

こうした変動に、あろうことかドイツ政府は、「兵制」を強化する法案を成立させて、徴兵制一歩手前までになっている。
当然ながら、対象となる世代=若者の反発はおおきく、より一層、AfDへの支持を高める「悪手」を打っている。

だが、AfD禁止法案もあるので、「悪手」としない理屈をもっているのだろうが、トランプ政権2.0と決定的な対立を呼び込んでいる「悪手」に気づかないのも驚きなのである。
そのトランプ政権2.0は、クリントン・ブッシュ・オバマ・バイデン政権の闇を暴き出していて、民主党に政権交代させるスキを与えなていない。

とくに、トランプ政権1.0を阻止(政権転覆)とした現職のオバマの企みについて証拠をつかんでいると発表済みであるから、あらためて「国家反逆罪」を立件させるのではないかとおもわれる。

アメリカ人は、こうした「損切り」ができるが、日本人にはできない民族のちがいが歴然としているのである。

そんなわけで、米・露は、次の世界、の地盤固めをしていて、旧世界のEUの絶望的な悪あがきは続くのである。

2025年の冬至を迎えて、明日からは「太陽の力」が増してくる。

あたかも、地球の運動と連動しているかのようなようである。

問題作『チ。』の問題

正確な原題は、魚豊(うおと)著のコミック『チ。 地球の運動について』(全8巻)のことで、「天動説」対「地動説」を巡る、中世キリスト教会が仕切るヨーロッパ社会の闇をクローズアップさせた問題作である。

そこで、この作品が提起する「問題」を、浅はかにも「解題」しようと試みてみたら、さまざまな問題にぶつかってしまい、なかなかに「結論」を得るのが難しいとわかるので書いておく。

そもそも、日本人とヨーロッパ人とは、あからさまな交流が歴史上「なかった」ために、あまりにも「育ち」がちがう。
これを、食文化とか農業上の気候や土地(土壌)とかの制約で、まったくちがう「文化」を形成したと明らかにしたのが『肉食の思想』であった。

対して、ヨーロッパから日本をみたときに、レヴィ・ストロースエマニュエル・トッドがいう、「家族」構成のちがいも重要な「区分」を可能としている。

さらに、日本の場合、縄文時代の記憶が無意識の民族の記憶になっていて、そこにある宇宙観は、まず太陽と月からなっていた。
太陽の神、アマテラスと、正体が不明のツクヨミとの関係は、明治5年までの「太陽太陰暦」として、日本人全員の生活を支配していたのである。

しかるに、その明治政府は、「欧化策=文明開化」の名目で、伝統的で習慣的な文化破壊を試みた。
「廃仏毀釈」もそれの典型であったし、キリスト教的な一神教ゆえの「自由経済」のために、「四民平等」を推進した。

このとき、「四民平等」の揺るぎない「平等」を達成するための「大権威」として、キリスト教でいう「三位一体の神」に代わって、日本では「現人神」を発明するに至ったのである。

ニーチェが100年前にとなえた「アンチキリスト」の預言通り、ヨーロッパにおけるキリスト教の絶望的衰退(『チ。』にある自爆)によって、「自由経済」の基盤が破戒され、科学万能主義から科学をあやつる上級者と、科学に従う下級者に社会を分断し、とうとうそれが「所得」になってあたらしい「身分制」をつくりだしている。

だが、ヨーロッパの人間は、ニーチェが示した「超人」とはならなかった。

このキリスト教の崩壊は、とうとうアメリカにも波及して、アメリカ社会の分断を押し進めている。
あたかも、アメリカで社会主義勢力が民主党内部で台頭しているようにみえるのは、「科学」をまだ信じているからだし、そうやって子供が公教育で洗脳されているのである。

こうした点をふまえると、GHQがやった「天皇の人間宣言」が、明治新政府が築いた日本社会の破壊しか目的にしていないことがわかる。
だが、日本人の無意識にある縄文の記憶が、運良くアメリカによるソ連への対抗手段としての日本経済発展に結合して、先進国にさせられた、のだった。

そこで、はなしをヨーロッパに戻すと、プロテスタントのドイツでナチスや、カソリックのイタリアでのファシズム、あるいはロシア正教会があるのにスターリンの全体主義が台頭したのは何故か?という問題に突き当たる。

これを丁寧に分析したのが、ハンナ・アーレントの主著『全体主義の起源』であるし、その例解としての『エルサレムのアイヒマン』であった。

さてそれで、『チ。』の舞台は、「異端審問官」がいる中世キリスト教社会である。

わたしは、記号論の権威、ウンベルト・エーコ教授が書いた世界的バストセラー小説『薔薇の名前』を想起する。
主人公の修道士は、『煩悩☆西遊記』の三蔵法師のような煩悩に生涯にわたってさいなまれるのだが、舞台当時、宗教としての権威がキリスト教会にまだあったことを示している。

しかして、この物語での「薔薇」は、あたかも原人のような「もの」で、日本人がしっているヨーロッパ人とはかけ離れている。
これぞ、ワーグナーの『ニーベルングの指環』における野人なのであるし、これらのひとびとが「農奴(serf)」であった。

なんにせよ、ギリシアを起源とするなら、なぜにソクラテスは死んだのか?にはじまる、「智」を断罪する歴史がある。

だから、『チ。』の「チ」とは、「智」=「知性」のことであろうし、現代の「反知性主義」との対峙もしっかり描かれている。

そして、現場でこれを裁くのは、アイヒマンのタイプ=悪の陳腐さ、あるいは凡庸さそのものの人間による。

しかし、一般に、人間とはふつうは凡庸な生き物なので、だれでもアイヒマンタイプにあたるのである。

これをどのように回避するのか?

ヨーロッパでは、シューペンハウアーの『幸福論』における「孤独」が、日本では、空海の「孤独」が、なぜだか一致点を見出しているのである。

なお、かくも酷い拷問と魔女狩りに明け暮れたキリスト教会の野蛮さが、とうとう「神は死んだ」こととなって、今度は「科学万能」によって、人間が酷い目にあっている。

この世に中庸がないのが、問題なのである。

司法によるグレートリセット

カナダの裁判所が、先住民の土地権利を認める判決をだしたことから、「グレートリセット」がはじまっている。

詳細は、「カナダ人ニュース」さんが伝えている。

当然だが、国境をまたいで、アメリカ合衆国側の先住民も権利主張の競争に参加しそうなのである。

これは、「建国の歴史の否定」につながる大問題に発展する可能性があって、カナダの極左自由党政権では解決できそうもないし、その意思すらないのではないか?と疑う。
しかも、こうした歴史の否定がまかり通るようになれば、世界各国のそれぞれの「事情」を揺さぶって、寝た子を起こすどころのはなしではなくなるだろう。

「民族主義」が台頭したのは、欧米列強による苛酷な植民地主義(帝国主義ともいう)の反動だったから、米ソ冷戦の時代には、この二極に与しない「第三世界」の区分があって、そのリーダー格は大英帝国に好きなようにされたインドだった。

いま「第三世界」は、BRICSに脱皮しているものの、どちら様にも内部には民族問題があるのも事実なのである。
つまり、カナダ「だけ」の問題ではなく、全世界規模の紛争になりかねない「火だね」なのである。

わが国の場合には、北海道と沖縄がやり玉にあがるだろう。

極左、菅義偉衆議院議員が、総務大臣時代と総理大臣時代にやったことは、みごとな禍根を残す、絵に描いたような悪政であった。
一般に、安倍晋三内閣から、菅内閣を飛ばして、岸田・石破に続く「歴代」の売国を批判するけれども、岸田・石破とは別格の悪辣が菅内閣によって実行されている。

それが、「アイヌ新法」だし、「ふるさと納税制度」だった。

しかも、実質「菅派」を、自民党神奈川県連が形成している。
衆議院小選挙区20の全部に自民党議員がいて、さらに神奈川選挙区で3人の議員がいるのは、「保守王国」ではなくて、かつての「革新勢力」に乗っ取られた姿なのである。

それでカナダなのだが、司法の一方的な「判断」は、いかなる「法」によるものなのか?という当然の疑問が湧き起こるものだ。
過去、先住民にした人でなしの行為は深い反省に値するが、7世代後の現代において「弁償」としての「土地所有権の復活」が適法性のあるものなのか?

しかも、そこが先住民の土地権利が残存すると知りながら購入したひともいないし、登記できたことへの賠償もない。
だが、建国の歴史から類推すれば、国中の土地が先住民の権利だとわからなかったのか?ともなって、首都の官庁街すらも返還あるいは弁償の対象になるのである。

ときに、わが国の霞ヶ関も永田町も、おおくの公的建築物には火災保険の加入がされていない。
なんとなれば、絶対的必要性から建て替えればいいわけで、その費用は税収からでも国債からでもなんでもいい。

まさに、国破れて山河ありではなくて、国破れて役所在り、なのである。

すると、国民がゼロになるまで役所は繁栄する屁理屈となるが、そんなわけないのである。
カナダは、どうするのか?

なるほど、トランプ大統領がカナダをアメリカに編入させろ、といった意味がみえてくるのであった。

「無知の知」をかんがえる

ソクラテスの言葉として有名な一句である。

彼が生きた時代は、紀元前470年(頃)から紀元前399年であるので、日本では縄文時代から弥生時代への変換点にある。
なお、この時期ギリシアのとなりのローマは共和制で、ずっと後の紀元前27年にオクタウィアヌスが、「アウグストス(尊厳者)」の称号を得て帝政に移行した。

さて、この句の意味は、自分は無知であることを自覚する、である。

奴隷制に支えられた当時のギリシア市民は、労働をしなかったので閑をもてあそび、その閑人たちが広場に集まってあれこれ議論するところから「哲学」がうまれた。
これが後の世界帝国たるローマにどのように影響したかは、そのまま欧米の基盤になったともいわれるが、本当のところ、深くかんがえていたとはおもえない。

古代は深くかんがえていた中国思想から、ぜんそくの重篤な発作で窒息・早逝した中島敦が残した作品に、『名人伝』がある。
春秋戦国時代の「列子」が原典というが、その春秋戦国時代が、概ねソクラテス時代とかぶるから、両者の似た主張はちょっとしたミステリーではある。

『名人伝』の主人公は、弓のとりことなって矢を放たずに鳥を射た「不射の射」を見せつけられたことから山に籠もり、とうとう弓を見てもそれが「弓」であることも忘れた、という議論をよぶ話で、ただのボケ老人の話ではない。

つまり、結末を読者に「かんがえろ」と委ねるようにはなしが仕組まれているのである。

いま、金融界で「A.I.バブルの崩壊」がいわれはじめている。
とてつもない金額が投資されて、A.I.開発競争が起きているが、開発されたA.I.が市場に出ても、ぜんぜん「カネ」にならないのである。

そのかわり、A.I.対応のデータセンター建設に、メモリやらが大量発注されて、パソコンメーカーが買い負けて、歴史的なパソコンの値上げ(4割以上か?)が予告される事態となっている。

多額の使用料を払う法人ユーザーはいるらしいがまだまだ小数だし、個人でA.I.を課金(サブスクリプション)してまで使うひとも、かなり限定されている。
かくいうわたしも、なるべくA.I.を使わないようにしているし、課金などいまのところかんがえていない。

そんなわけで、A.I.は騒がれているほど投資してもリターンがないと市場にしれた。

しかし、A.I.開発企業は互いに、人材の引き抜きやら共同開発やらと、合従・連衡しては分かれている不安定さもあって、もしも一社が破たんすると芋づる式の崩壊が懸念されているのである。

だが、前に書いたように、「A.I.:人工頭脳」といって騒いではいるが、『2001年宇宙の旅』に登場した、「HAL9000」のような完成度の高い人工頭脳のレベルではぜんぜんないし、『AIvs.教科書が読めない子どもたち』が太鼓判をおす、完成度の高いA.I.は絶対に完成しない、指摘を無視している結果だともいえる。

これを、過度の期待、という。

現実は、その低度なA.I.によって、じつは重大な問題のタネが蒔かれている。
それが、「かんがえることの放棄が習慣化している」ことなのである。
つまり、「教科書が読めない子どもたち」がそのまま成人になるばかりか、そんな子どもたちが今日も学校という政府機関で量産されていることの将来不安である。

この将来不安を、当の本人たちがかんがえつくこともないなら、かなりディストピアな未来到来の確立が高まるばかりなのである。

だから、思考ツール、としてのデジタル機器を上手につかうことが、いまどきの消費選択としては重要でかつ、「賢い選択」といえる。

デジタル手書きノートのまっさらな画面から、はて何を書こうか?となったときに、「無知の知」を意識するのと、白紙の紙で同様に意識するのとなにがちがうのか?と問えば、保存のちがいと、検索のちがい、の二つがある。

記憶としての知識は積み重ねることはできても、忘れるのが人間だからでもあるが、知識があっても発想ができないなら、無知とおなじだし、他人の言い分を全否定=全面的な自己肯定するのが現代のトレンドとすれば、それもまたソクラテスが2000年以上前に指摘したとおりとなってしまうのである。

ときに、わが国の縄文時代と弥生時代は、ギリシャ市民世界に劣っていたのか?といえば、そうではなく、武具もない、奴隷もいない社会だったことをかんがえれば、ギリシャ人がかんがえた理想社会が現実にあった、ともいえる。

この意味で、未来社会だったのである。

現代の自己中心的享楽主義

気がつけば、「現代とは、共有されるべき規範を喪失し、自己以外に依拠するところのできる価値を持たず、それが自由の名の下に享楽的消費と孤独な空白感へと分極化してきた時代であると考えている。」とは、ショーペンハウアーの『意志と表像としての世界』(中公クラッシクス)冒頭における鎌田康男(関西学院大名誉教授)の寄稿、「ショーペンハウアーの修行時代」にある一文である。

そもそもは、芥川龍之介全集378作品への挑戦からはじまるおおいなる寄り道であるけれど、鎌田康男氏のドイツ語論文に、『マイレンダーと芥川龍之介』があるのをみつけて、一周した感がある。

世の中には偶然が重なることがあって、膨大なページ数の本書の扉を開ける直前の横須賀線の車内では、清楚な若い女性が目の前に座っていて、スマホに熱中するいつもの光景を見ていたが、最初、光の加減かと思えた唇横の大きなホクロは、「マドンナ」と呼ぶ唇ピアスであった。

これに気づいたとき、この人物の口には、「モンロー」「スクランバー」「リップ」「ラブレット」と、それぞれの名称がある通りの場所に、「フル」でつけていたのである。

まだ20歳程度と思われるのに、どうしてこうした選択をしたのか?インタビューしたい欲求に襲われたし、金属アレルギーが心配になったが余計なお世話なのでそこは我慢した。

2004年、第130回芥川賞の『蛇にピアス』(金原ひとみ)を思い出したが、本人が生まれる前の作品ではないか?
すると、もう、こうした身体への装飾が「ふつう」になったということか?

それから、根岸線に乗り換えると、広い空席に滑り込むようにやってきた若い男性の姿は、一見してサラリーマン風なのであるが、なんとサンダルばきでしかも素足なのである。

こうした光景の直後に、本稿冒頭の文言があったのである。

そういえば、横浜市立中央図書館の近くに、「タトゥー・スタジオ」があって、開放的なこの店舗の流行ようは、外からでも施術中の様子がうかがえるほどなのである。

むかしの兵隊が独特の絵柄を入れたのは、遺体になっても本人確認が迅速にできるメリットがあったからだけれど、DNA検査法が確定した今においては、まさに「自己中心的享楽」としてのものになっている。

すると、ショーペンハウアーの求めた、自己の完成、とは程遠い、もっといえば対極的な廃頽が、一般化してしまっているといえるのが現代なのである。

しかし、日本人として興味深いのは、ショーペンハウアーが1788年の生まれであることの「遅さ」なのである。
彼は「孤独」を愛したが、これと同じ境地に至ったのは、774年生まれの空海なのである。

ざっと1000年早い。

前に、『源氏物語』と『西遊記』をくらべたが、ヨーロッパにおける有名な小説は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』(1605)がお初なので、それでも600年から日本の方が早い。

こうしたことを踏まえると、せっかくピアスをするのにかかった手間が惜しいのである。
本人はきっと「先」をいっているつもりでも、あんがいと古典的な逆行にいそしんでいるからである。

さてはいまさら、2000ページを超えるショーペンハウアーを読まずとも、空海の教えに耳をすませる方がよほど未来的ともいえるのである。

つまるところ、現代は、「個性の発揮」における二極化、すなわち、享楽的消費と孤独な空白感へと分極化してきた時代なのだろうが、その根本にニヒリズムがはびこって「自由経済圏」を破壊しているといえるのだろう。

なので、やっぱり「末法思想」が1000年続いているのだ。

そんなわけで、念のためにおおいなる寄り道をしている。

「大転換」が起きている

5日に発表された、「アメリカ合衆国国家安全保障戦略」による「大転換」は、まさに「文字どおり」だとはやくもわかってきた。
このほど、ホワイトハウスが否定している「長文の原文」がリーク報道されていて、そこには、「EU解体」と、「G7」の廃止及び、「C5創設」があると話題になっている。

まず、公式発表された方には、アメリカはEUを、「価値観をおなじくしない」と突き放し、そのうえで、世界の3極構造を明確にした。
米・露・中、である。

かつての、米・欧・日、ではない。

もっとも、米・欧・日での「欧」とは、事実上の(西)ドイツのことであったから、「日」を加えると、「旧敵国」となる。
これらの強大な潜在力をもつ独・日の二国を、アメリカにとっての戦後ヨーロッパの地域支配とアジア支配のために利用すべく、「育成した」のである。

むろん、宿敵ソ連を独・日で挟撃する、という大戦略もあった。

これを、昨日も触れた斉藤ジン氏のデビュー作『世界秩序が変わるとき』でも明言している。
市場関係者で、ここまで理解しているひとは、やっぱり珍しいから書籍もベストセラーになるのだろう。

逆にいうと、ふつうの投資家は、あたかもデイ・トレーダーのごとく、目先しかみていないのがふつうなのであって、機関投資家の中の多数のひとたちの安易な発想(頻繁に業界人と相場についての連絡を取り合っている)は、一般人でも驚くほどの無知ぶりを発揮しているのだが、動かす金額の大きさで、個人投資家を圧倒している。

これは、しっていること(世間の常識)が相場感を鈍くする、という異様な金儲けだけを優先させる現場感覚が免罪符になっていて、日常のストレスから精神の安定を求めると、難しいことは考えない方がいいという思考停止の自己免疫システムの発露でもある。

こんな歪んだ常識を社会一般に拡大すると、たとえば日本にあっての「高度成長」とは、上の斉藤ジン氏のいうように、アメリカ(カジノの胴元)による、一方的な勝ちゲームをやらせてもらえたことの結果であった。
なにせ、わが国の企業経営の実態は、源氏鶏太が書いた『三等重役』ばかりだったからである。

その重役たちが歴代で育成した重役たちが、いまの経団連の構成員になっているとみれば、なんの成長も進化もないのも納得できるのである。

だからか、わが国には「外部依存体質」が社会の中枢すなわち「芯」まで浸透したので、国家としての独自「安全保障戦略」を考案することもやめてしまった。
もう一歩踏み込めば、「国家安全保障戦略」がはっきりと描けなかったために、「国家安全保障戦略」があるアメリカの誘いに乗って対米戦争へと引きずり込まれたのである。

なので、こうした歴史をしっている、プーチン氏は、独自の「国家安全保障戦略」を描き、なお、それを粛々と実行している。
そうした視点から、「ロシア在住です」さんが、しっかりとしたロシアからの解説を提供していて参考になるのである。

なんにせよ、ウクライナ戦争の戦後世界を見据えているのが「アメリカ合衆国国家安全保障戦略」だからだけでなく、その主旨が過去からの経緯を大転換させる方針で貫かれていることがもっとも重要なポイントなのである。

上に挙げた斉藤ジン氏がうまくたとえている、アメリカはカジノの胴元で変わらないが、自分が儲けるための「客」を選ぶのが、「戦略」となっている。
だが、アメリカ一国だけでの胴元が維持できなくなったことが最大の変化で、このための新戦略が日本とドイツを取り込み、ロシアとの蜜月をもって、対中有利を意識しているのである。

この意味で、EUは中に取り込まれたから「価値観をおなじくしない」と断言しているのである。

それで、ハンガリー、オーストリア、イタリア、ポーランドを、EUから離脱させることを書いたのは、「反グローバリズムの闘い」=「新植民地主義との闘い」を全面に出して、EU解体そのものを意図しているといえる。

この巨大な流れの超ミクロな相似が、わが国の政界地図にもあるために、自民党の分裂や、戦後にできた既存野党の存立危機となってあらわれているのである。

戦後に封じ込められた、日・独の解放・独立をカジノの胴元が求めだしたのは、これ以上胴元からの直接支援ができないためという、切実がある。
だがそれは、一歩まちがうと日・独の破滅を意味するから、日・独もそれぞれが「国家安全保障戦略」を描かないと生存できないことにもなったのである。

これを誰が描くのか?

官僚ではない、政治家自身でないといけない時代がきたし、それを国民が責任を持って承認する判断を求められる、「正念場」になったのである。

S&P500の平均リターンは年率8%以上

複利の計算で、「年率7%」は、10年で元金が倍になるために指標として覚えておくと便利だ。
1.07の10乗(1.07^10)は、1.9672となって、約2倍となる。

つまり、この利率で投資すると、10年後には倍になって戻ってくるのだが、逆に、借金するとえらいことになる、とかんがえればいい。

いま、消費者金融のHPをみると、3.0%から18.0%と表示されている。
最高で「18.0%」とあるから、この金利が適用されたら、なかなか返済が困難になるのは予想がつく。

ふつうに銀行預金をするとどうなるのか?

メガバンクが年0.001%(10万円の預金で1円の利子)程度に対し、ネット銀行では年0.2%~0.6%(千円の預金で2円から6円)というが、これをどのように評価するのかをいうのは個々人それぞれの自由だけど、インフレ率が2%を超えている現代としては、普通預金をすると損をすることだけは確かになっている。

ときに、S&P500とは、アメリカを代表する企業のニューヨーク証券取引所における時価総額から算出した、いわば平均株価の指数をいう。

わが国とアメリカの経済で、株式市場と銀行を中心とした金融市場の構造はおおきくちがっていることはよくしられていることだから、一概に、ニューヨーク市場のはなしと東京市場の株式市場を単純比較することはできない。

しかし、わが国のバブル経済の崩壊以来、アメリカ式に近づける努力をしてきて、それがまた、わが国の「失われた30年とか40年」になっていることも、看過できないのである。

リーマンショックの対処方法を、わが国のバブル経済の崩壊経験から、アメリカ人に伝授しようとしたことのバカバカしさは、当のアメリカ人から阿呆扱いされる当然があったことでわかるとおり、当時のわが国の指導者たちの頭脳構造にはかなり深刻な問題があったことは事実だろう。

この意味で、大蔵省から財務省に看板を替えても、なかにいる法学部出の官僚たちの「経済オンチ」度の絶望的な状況が、いまだに改善されることもなにもないのは、ほとんど奇跡的な無責任の結果である。

たとえば、ベストセラーになっている斉藤ジン著『世界秩序が変わるとき』にある、武藤敏郎大蔵省・財務省事務次官にして、日銀副総裁のエピソードやら、「ミスター円」として名を馳せた榊原英資財務官のトンチンカンも、あるいは2021年『文藝春秋10月号』に掲載の「矢野論文」で物議をかもした矢野康治財務事務次官のトンデモも、しかり、なのである。

それにしても、「安全運用」で年率8%は当然の利回りを得られるアメリカと、わが国の状況をどうかんがえればいいのか?


国に追従する地方経済のヤバさ

「サスティナブル」という一言だけでも、それを発するひとの教養のなさを感じるのはわたしだけであろうか?
あるいは、人口減少が著しい地方だから、外国人人材を求める、という国が進めている移民政策にそのまま乗ることも、安易にすぎないか?とおもうのである。

こうしたことを「常識」として地方の経済人が述べているのを見聞きするにつけ、本人の肩書きの「重さ」との比較をして、当該地方の衰退が確実になるのではないか?と懸念する。

この言動のパターンこそ、近代学校教育の単純延長であって、「教科書は正しい」と信じ「暗記」する、あたらしい信仰の発露なのである。
つまり、「国はすべて正しい」と思考することの、「教科書」と「国」の言葉の置換にすぎないことをいいたいのである。

東京の難関大学に入学したエリートの、本人がぜったいに意識もしない「破壊工作」を何の疑いもなく実行できる現代日本がかかえる、内憂、だといえる。
そんな単純能にされた人間が、地方に帰ってきて、中央(国)のエージェントになることでの「地位」を得るのだ。

これぞ、ニーチェが指摘した、あってはならない姿なのだが、むろん、ご当人は授業でニーチェを学んでいても、それは単なる「暗記」の対象だけであって、その真意を吸収し、自己の精神の糧にするなどという面倒はしないし、できない脳構造に子供時分から学校で強制されたことも認識できないのである。

上のことは、ニーチェの『反時代的考察』にある四つの論文のうちの第三論文「教育者としてのショーペンハウアー」に記されている。

なので、こうした人物のヤバさは、一切の事実をみてもみえないことにある。

それで、ありもしない幻想を、ある、として語ることで、影響力を行使するのである。
なぜなら、地方で地位のある人物の語りは、これまた素直に浸透するからである。
「権威主義」の恐ろしいのは、権威ある人間が権威をかざすことだけでなく、一般人がまるで催眠術にかかったごとく丸呑みすることにある。

この「丸呑み」も、幼少時からの学校教育における訓練の成果なのである。

すると、学校に馴染めない生徒を、「登校拒否」といっていた時代から、「不登校」に変遷したのとはちがって、一貫して学校に馴染めない生徒の「まともさ」が光り出す。
しかしながら、近代の学校、とくに公教育では、まともなのは学校である、という定義をぜったいに変えないので、従わない子供に薬を用いるまでになってしまった。

このような地獄絵図の世界では、国が定めたコースからはずれたら救済がない恐ろしさだけがあるために、悪いのは本人である、に強制的に集約される。
つまり、学校とはなにか?が、まもなく問われだすと予想するのは、あまりにも安易な教育が、自己崩壊をはじめるだろうという予測に基づく。

けれども、ひと世代以上が現役として存在するので、気がついても効果があがるには世代が入れ替わるまでの時間が必要になるために、地獄は続くのである。

そんなわけで、地方から壊れていく運命を変えることが困難なのである。