水素バスに初乗車した

2025年の1月、人生初の「水素バス」に乗ったので記念に書いておく。

「都バス」でみかけてはいたが、乗車したことはなかった。
このたび、「横浜市営バス」で初乗車したのである。

結論から先にいえば、特段乗り心地などの進化はなかった。

このバス車両が一台でいくらするのか?が不明なのだが、これが「怪しさ」の原点にあることを、横浜市などは気にしていない風情でいる。
何度も書くが、国を除く地方自治体は、「二元政治」なので、市長(行政)だけの意向で、なんでもできる、というものではなく「議会の承認」が不可欠なのである。

つまり、購入費用を当局が公表しないことも、議会承認を経てのことになるのだろう。

ここに、「ぐるみ」という構造が現れるのである。

もちろん、地方自治法できわめて曖昧な、県との関係においても相似形である。
神奈川県は、「脱炭素推進」のための補助金制度を民間にも普及させようとしているからで、これらも知事(行政)の単独ではできず、県議会の承認が必要だ。

もっとも、狂った日本政府が推進しているから、トップダウンでやっているだけという話ではある。

1959年(昭和34年)7月に開業し、1972年(昭和47年)の年度末に廃止となった、つまり13年しか営業しなかった「トロリーバス」を思い出すのである。

このときに廃止の理由として市民に説明されたのは、「車両更新にあたって、ふつうのディーゼルバスと比べて多額の費用がかかる」というものだった。
トロリーバスであろうが、内燃機関のバスであろうが、バスはバスの機能しかない、から、安いにこしたことはないという論理である。

ならば、どうしてトロリーバスを採用したのか?ということはぜんぜん議論されなかった。

ちなみに、横浜市のトロリーバス路線は、横浜駅西口からの「循環系統」一路線だけで、内回りのほぼ半分の経路に、その後市営地下鉄が走ることとなり、バスの乗車率が激減したのである。

なお、トロリーバスも市営地下鉄の整備も、法的な根拠は、昭和25年法律第248号「横浜国際港都建設法」であった。

ところで、「水素(H)」は、地球上に水素そのものとして存在していない。
この原子番号1番にあたる物質は、酸素やや二酸化炭素に比べて軽すぎるために、人工的にでも水素とした存在したとたんに、宇宙へと拡散されるのである。

地球の弱い重力では、水素を空気中に留めることができないからである。

また、水素原子が最小であるため、あらゆる物質を通り抜けるのである。
たとえば、ペットボトル入りの清涼飲料としての「水素水」がすぐに販売されなくなり、アルミボトル製に変更されたりしたが、結局市場から消え去ったのは、製造時に充填したはずの水素が、容器の分子構造を抜けてしまってしばらくすると「ただの水」になるためだった。

それゆえに、水素は水素単体としてではなく、たとえば「水(H2O)」として別の原子(この場合は酸素)と結合して存在している。

ために、人類が水素を単体として得るには、水を電気分解することになる。

それで問題になるのは、水素を得るためにかかる電気の量と、得られた水素がもつエネルギー量(ざっと3割)が、圧倒的に電気消費の方が多くなることである。
だったら、電気をそのまま動力としてつかった方がぜんぜん「エコ」なのである。

これも、トランプ氏がいう「環境詐欺」の典型なのだ。

いま、水素自動車の完成車を事業として製造できるのは、世界広しといえどもトヨタ自動車だけであるが、トヨタは会社として政府からの補助金目当てに開発したという、いわば「詐欺」に加担したことの心の痛みはないのか?と問いたい。

この世界最大かつもっとも利益をあげている自動車メーカーの倫理は、いわれるほど高くはないのである。
たとえば、先月23日に出た、「トヨタイムズ」の、「イチローさん、次いつ出社しますか?」”世紀の偉業”へ豊田章男から”世紀の現物支給”?」を精読すると、この企業の「センスの悪さ」を通り越した、経営上の噴飯が見て取れるのである。

「田舎企業」を自負するのはいいが、「田舎もんの」狭くてどうにもならないトップの自己憧憬・自己撞着をみせつけられると、まったく情けなくなるのがわかるだろうか?

これが、「世界のトヨタ」の本性だから、世界が思想汚染されるばかりか、気づいた世界から相手にされなくなるとき、わが国の産業の自滅と評価されることになるだろう。

持続可能でないものを「持続可能性」という、ダブルスタンダードが、先月29日のワシントンD.C.における旅客機と米軍ヘリの衝突事故になって現れたようだ。
管制官の採用における、「DEI:Diversity(多様性)、Equity(公平性)、Inclusion(包括性)」をやった挙げ句の、致命的な管制ミスによる事故ではないかと疑われているからである。

「水素バス」とまったく異なる話に展開したようだが、じつは地下茎におけるつながりでみると、おなじ話なのである。

ダメ女将が仕切る店のダメさ

基本的に個人経営の店にみられる現象である。

料理人のご亭主による料理の味はたいていの場合、悪くないという特徴も共通してあるものだ。
これもダメなら、店の存続は絶望的だ。

なので、どん事情でふたりが一緒になったのか?がわからないという、余計なお世話になる。

もしや婿養子なのかもしれないと勝手に想像を膨らませるのは、やっぱり女将さんの接客がぜんぜんなっちゃいないからで、本当は店に出るのが嫌いで仕方ないのかと思われる。

しかし、女将さんがそんな血筋なら、ふつうは母親たる大女将の背中を見て育ったはずである。
だから、大女将は直接具体的指導をせずとも、自分の娘なのだから接客がふつうにできるはずだとして放置したのかもしれない。

とはいえ、現場を見学すればどうにもならない接客は一目瞭然のはずだから、なぜにその都度指導をしなかったのか?とまた疑問が膨らむのである。

花登筺の『細うで繁盛記』では、主人公の加代が育った家が、祖母の一代で大阪は難波の超一流料亭を創ったことに設定されていて、一人息子の長男の嫁には同業から娶ったとある。

しかし、この同業者は、住宅を高級住宅地に定めたために、母たる現職の女将とは別の空間で育ったので、接客業には向かない嫁だったともキャラクター設定されているのである。

それを見切った祖母は、加代を可愛がってあたかも英才教育を施したようになっている。

少女の加代が学んだのは、祖母の経営哲学であり、客の心理学であった。
この物語の哲学とは、繊維問屋で栄た「船場商人」のもので、元を糺せば「近江商人道」のことである。

これを最上位概念の「戦略」として、接客における心理学を「戦術」として展開・応用することでの『繁盛記』なのである。

困ったことに、接客業をしていたらゆっくりテレビを観る間もないから、こんな典型的な「接客研修教材」を放っておく手はないのに、家庭用ビデオデッキが発売される前の時代の放送だったので、電波とともに消え去ってしまった。

ところが、客側たる一般人が観ていて、記憶に焼きつけたのである。

そんなわけで、今でもたまに当たる女将によって接客が崩壊している店を体験すると、自分が漫画の中に入り込んだような気がしてしまうのである。

そこで展開される場面は、女将本人がなんら向上心を持ち合わせないことの不思議空間が醸し出すなんともいえない重く澱んだ空気で満たされているのである。

ただし、調理場にいて顔が見えないご主人が作る料理は、旨い。

ありきたりだが、飲食店で客が買っているのは料理そのものだけではないことを客が実感できる店となっている。

それゆえに、滅多に足を運ばないが、腹を満たすだけ、という割きりならば時と場合によって選択肢の端っこに位置するだけの存在ではある。

ただし、せっかく足を運んだのに閉店・終業のリスクがあることの覚悟がいるのだった。

華麗なる最年少報道官デビュー

28日、27歳のキャロライン・レビット女史がトランプ2.0政権発足後初の定例記者会見で、華麗なるデビューを果たしたことが話題になった。

彼女は、トランプ政権1.0での日本で、「ホワイトハウスの浜崎あゆみ」と称された、ケイリー・マクナニー報道官の補佐官だったキャリアがあるため、最初の挨拶で「おなじみの顔がたくさんある」とまったく動じずに語りだしたのである。

オールドメディアに対する、ネットを中心とした独立系ニューメディアの厚遇を宣言したり、旧政権の「ウソ」とはちがって「真実だけを語る」と宣誓したり、さっそくオールドメディアからの切り込んだ質問に、骨髄反応的スピードで完璧な論理の切り返しをするなど、完全に仕切っていたのが観る者の印象に残った。

つまり、彼女の一存でかはしらないが、メディアの世代交代を宣言し、オールドメディアの終了を政府見解として世界に発表したことこそが、歴史的な意味のである。

こうした人物が、涌いて出てくるアメリカ合衆国の人材育成こそが、本当の衝撃であって、今後、ロシア外務省の49歳になるマリア・ザハロワ報道官と渡り合うことになるのであろう。

アメリカ、ロシアのどちらにせよ、日本ではかんがえられない「(抜擢)人事」なのだ。

わが国の場合、政府報道官にあたるのは、官房長官ということになっているし、外務省にも「外務報道官」はいる。
しかし、大臣官房国際報道課にあっての長として「局長級」という、わけわからんがあり、日本国民すら、世界の顔たる外務報道官が誰なのかをしらないではないか?

唯一記憶に残るのは、NHKのニュースキャスターだった高島肇久(はつひさ)氏が、「抜擢」された、2002から05年までの特別だけである。

ようは、「あたりさわりのない官僚答弁」こそが、最上である、という価値観が現れているのである。

ここでいう「あたりさわりのない」とは、国内法はもとより、国際法に照らして、という枕詞がつくので、事実上の「国連基準」がそこにあるという意味である。

まったくもって、かわぐちかいじの代表作『沈黙の艦隊』における、自衛隊=国運そのものを国連に委ねるというバカげたアイデアが、そのままリアルになっているのである。

しかし、この作品において、日本人はこれを「美談」あるいは「理想」として観ているか、あくまでも「エンタメ」として観ているかに分かれていて、とくだんこの作品(実写映画版もある)に関しての議論がないことも、まったくの「異常」とさえ論評しないふつうがある。

しかも、本物の自衛隊が、実写版では「協力」しているのである。

ようは、防衛省としての「プロパガンダ」になっているから、外務報道官も「無言」を貫くのであるし、オールドメディアはこれについての質問すらしない「談合」がある。

レビット女史がいう、前政権の「ウソ」とこき下ろしたことの延長線に、このような日本政府とオールドメディアの双方による「ウソ」があるのだ。

とにかく、「国連:連合国:戦勝国」に弱いのが、戦後日本人の民族的な特性になった。

だから、味をしめ(日本をナメきった)た国連はそこにつけ込んできて、「皇位継承」についてまで、「勧告」をだすなどという内政干渉を平気で言ってくるのだが、それを「正解」だと信じる愚か者がいるのは、文科省の独占教育による成績優秀者ほど洗脳されていることの証左なのである。

すると、レビット女史の「育ち」が、俄然興味深い。

カトリック系の高校からおなじくカトリック系のカレッジを出ているのだけれども、実家がアイスクリーム屋さんだったことを考慮すると、アメリカの古風な一般的な家庭育ちだということがわかる。

それが、いつから「思想」になったのか?

おそらく、「退任後」に、「自伝」を発表するだろうから、いまから楽しみなのである。

それにしても、アメリカやロシアとは、明らかに「体制」がことなるわが国は、いったいどんな「体制」なのかと自問すれば、やっぱり「官僚国家」としての「集産主義」しかみえてこない。

なにせ、日本における「ミッション系」の学校でさえ、政府助成金欲しさに、「信教の自由」にかこつけて、「祈りの時間」を授業時間に含めることができないのである。
これをだれも「宗教弾圧」だとはいわないし、かくほどまでに宗教色を嫌うのは、底辺に共産主義思想の強制があるからである。

このようなまねを、「打破せよ」と、彼女たちの口から言われる屈辱を、これから味わうことになるのは、まったくもっての「屈辱」ではあるものの、甘んじなければならぬと覚悟しないといけないのがいまの日本の姿なのである。

日本の体制はカフカの『城』である

いまさら古い西洋の小説を題材にしても、ピンと来ないだろうけど、トランプによって大転換をはじめたアメリカを眺めていて突如目の前に古めかしい「城」が姿を現したような気がした。

もちろん、ここで姿を現した「城」も、ひとつのイメージに過ぎないから、決して実在する城ではない。

もっといえば、形状が見えないはずの、「城の運営システム」が、あたかも幻影としてでもそびえ立つようにチラッと見えたか見えなかったか?という程度のものなのである。

あらためて、『城』は、1922年に執筆されたが、24年に作家が41歳の若さで亡くなったので、未完のまま遺稿として26年に発表された長編小説である。

カフカといえば『変身』が有名なオーストリア=ハンガリー帝国下のプラハ出身(当時「チェコ」という国はない)の作家だ。
カミユの『異邦人』と実存主義哲学小説の双璧を成すといわれている。

つまり、カフカらしい不思議な世界が「城」で展開する。

物語は、測量士である主人公kが、見知らぬ土地の城に雇われたものの、いつまで経ってもその城にたどり着かないドラマなのである。
それだから、作品自体が「未完」とはいえ、あまり「未完」な気がしないのは、読者もまた、哲学者カフカの手中にあるということになっている。

この物語でいう「城」とは、kの雇用主としてみれば決して物理的な存在ではなく、何かしらの意志を持つむしろ「システム」の象徴なのである。

ゆえに、物語の奇妙さは、この城とそれを取り巻く住人たちの奇妙さ、という内容構造になっている。

すると、「城」を、たとえば「霞ヶ関」とか、「永田町」とかに置き換えると、気持ち悪いほどに現代日本と合致するのである。
もっといえば、「自社」のことを「うち」というとき、それは「城」の住人としての「うち=城」ともいえる。

中小零細企業なら、個人が特定できる「おやじ」とかですむかもしれないが、大企業となると、一般社員は「経営陣=取締役が多数いる」のひとりひとりがなにをかんがえているのか?についてしらないし、そもそも自分がどんな条件で雇用されているのかもしらないのが、「(日本)企業」というものなのである。

その組織の本質は何か?を追及しようとしても、長年勤めた社員すら、ましてや外部の人間ならなおさら、決してたどり着くことができないのである。

いまフジテレビで起きている現象が、まさにこれだ。

わが国が敗戦にあたって、「国体護持」のために決断が遅れたという物語も、そこまでして護るべき「国体」の本質とはなにか?に、ついに戦後体制はいまだにたどり着いていないことのひとつの事例なのである。

これが「外資」となると、少なくとも明記された「ジョブディスクリプション」がある。

はじめて「移民政策を推進している」と明言した石破首相の方針から、なぜに経団連=日本企業でジョブディスクリプションが普及しないのか?はこれまた謎なのである。

岡っ引きの、社会保険労務士とか中小企業診断士への普及カリキュラムが間に合わないだけが理由か?

さらに、それら日本企業の経営陣ですら、株主のひとりひとりがなにをかんがえているのか?をしらないし、自分が株主総会で承認されたことの真の理由だってしらないだろう。
「ものをいう株主」は、経営陣にとってうざい存在でしかないのも、質問に答える能力が経営陣に不足しているだけでなく、質問者の側にも傲慢さがあるからだ。

あたかも、トランプが「ワシントンの沼」と呼んだごとくである。

そのトランプは、復活して、いま本気で「沼の水を抜く」大掃除をやっている。
対して、マスコミも含めたわが国の「城」は、旧態依然のままどころか、より城郭を増築・拡大しているようにしか見えない。

つまり、国民は、kのように努力しても決して「城」の全貌すら見ることができないのである。
そのまたわかりやすい象徴が、「国家予算」の使われ方で、「一般会計」すら不明瞭なのに、その数倍規模の「特別会計」に至っては、完全に「闇の中」にある。

トランプ政権2.0が停止したすべての予算執行を、ワシントン地方連邦裁判所が「差し止めた」のも、民主党政権の意向を汲んだ裁判官の存在という、激しい政治的「闘い」の場になっているものを、日本のマスコミは嬉しそうに書きたてている。

これまでの巨額ウクライナ支援の「監査」をすると宣言したトランプ政権2.0に対し、わが国の国会における政府答弁の「ちゃんとウクライナに届いているはず」という、信じがたい無責任があるのは、日本政府が「城」だからであると議事録に残して告白したのである。

なお、ゼレンスキー氏は、とっくに各国支援の半分程度が「(何者かに)抜かれている」と発言しているし、ゼレンスキー氏を含めたウクライナ政府高官たちがヨーロッパやらの保養地などに多くの豪華不動産を所有していることは、当該する「現地」の住人にはとっくに「しれたこと」になっている。

しかして、現実の日本国民はkとおなじ立場かといえば、まったくの真逆で、「城」を雇用しているのが国民という構図のはずではなかったのか?
だがしかし、国民はkと同様に、絶対的な「被」雇用者=国家にとっての奴隷としての位置付けに固定されているのである。

すると、「城」のなかにいるのは、エスタブリッシュメントだということがハッキリしてくる。

なお、ここであえて「奴隷の定義」をいえば、「自らの労働に対して、正当な報酬が与えられない存在」のことである。

すると、はじめて「勝ち組」の概念がみえてくる。

「自らの労働に対して、不当に多額の報酬が与えられる存在」ということになるので、「株主」の強力な「飼い主」としての立場がハッキリする。
つまるところ、経営陣すらも奴隷化(奴隷の管理者:羊飼い)したことがわかり、それをあえて「勝ち組」なる用語でヨイショしているにすぎない。

しかして、そんな「城の体制」に、労働者も住人として取り込まれたのがわが国の姿である。

これを、現代の「黒船」である、トランプ政権2.0が体制転換を仕掛けてくる。
しかしそれは、ペリーの艦隊が目指したものではないし、ましてやGHQが目指したものでもない。

ここに、150年来の価値観の転覆があるから、かえってペリーが目指しGHQが目指したものを全面的に受け入れた、植民地としての旧態依然としたわが国の「城」は、自己防衛のために「城郭の拡張」をして対抗している醜態がみえるのである。

はたして、城の住民たる日本国民は、内部から反乱を試みるどころか、なにが起きているのかさえも気づかないでいるから、金・銀の海外流出(英国が主導した)で大インフレとなった幕末以下の状態にある。

政府が独占する学校教育=受験勉強で排除されている、徳川幕府滅亡の理由は、大英帝国による日本経済の破壊による体制転換=植民地化だった。

その大英帝国から独立したアメリカの伝統価値(モンロー主義)の復活を目指しているトランプ政権2.0が、逆・体制転換を仕掛けてきている大事件がこれから日本という「城」で起きることなのである。

ミレイ氏二度目の痛快なやらかし

世界経済フォーラム2025年、年次総会は、トランプ氏のビデオ参加に続いて、アルゼンチンの「トランプ」こと、ミレイ大統領が二度目の参加で、またやらかしことが、この邪悪な団体=世界経済フォーラムへの痛快なる破壊だとして話題になっている。

演説の全部を、「Harano Times Official Channel」さんが翻訳音声をつけてくれていて聞きやすい。

どうもよくわからないのは、主宰するクラウス・シュワブがどうしてトランプ氏やミレイ氏を参加させて、好きなようなことをいわせてこれを黙って聞いているのか?だ。
このひとたちは、世界中の政府をつかって「言論統制」をやらせている張本人ではないか。

まさか、「大統領」とか「国家元首」という肩書きに滅法弱いのか?

これをふつう、「権威主義」といって、相手の権威に乗じる、「虎の威を借る狐」のことをさし、けっして褒められるかんがえ方・行為ではない。

しかし、どこか変態チックな匂いがするひとたちなので、一種の分裂症的な素地があるのは当然といえば当然か。

それゆえに、「コモンセンス革命」が現実となったのである。

今年の「政権交代」が確実な、カナダでは、保守党党首が世界経済フォーラムへの自党の政治家の参加を禁止している。
いまのトルドーが、クラウス・シュワブお気に入り指名の「若手リーダー」だったことに当てつけていることはまちがいない。

だが、政権を奪取したら、首相自らが参加して、破壊的演説をやるかもしれないのである。

とはいえ、カナダを「51番目の州」にすると発言したトランプ氏の目線は、「北極海」にあるから、グリーンランドとセットの提案になった意味もここにある。
果たしてカナダが「州」になることを受け入れるとはにわかに思えないが、グリーンランドはすでに微妙な情勢になっている。

さて、ミレイ氏のアルゼンチンは、インフレ退治はすすんだものの、政府公務員やらの大削減やらで失業者が増大し、補助金が途絶えて「国民貧困率」が急上昇している。
政府の「プライマリーバランス」がとれても、国民生活の貧困化をどうするのか?は、なんだか日本がやっているモデルのようにもみえる。

ときに、社会主義計画経済から、自由経済への「転換」とは、まさに「体制転換」のことだ。

自由経済を社会主義計画経済へ転換させるのに、どれほどの手間をかけたのか?をかんがえると、あんがいと「洗脳レベル」という深みに議論はすすむ。
もちろん、その「洗脳装置」こそが、「テレビ」、「ラジオ」、そして「新聞」であった。

これらが、社会主義を「理想」(典型なのは「福祉国家」への憧れと自慢)として、国民の常識にしてもなお同じことを繰り返すから、じつは一番先に手をつけないといけないのがこれらマスコミの「転換」なのである。

ミレイ氏がアルゼンチンで、どんな「情報転換」をしているのかについての言及はないが、おそらく「X」を推奨している可能性が高い。

日本では、「フジテレビ問題」が、いよいよ「他局」にも波及をはじめて、また、事故のごとく長年活躍してきたラジオ・パーソナリティが突如の「番組降板」と「引退」を発表するにいたって、いい意味での「崩壊」がはじまっている。

もはや10代から20代のわが国の若者たちは、テレビを観ない層、として定着したので、去りゆくテレビ世代=団塊の世代の減少とともに、政府の「洗脳が解ける」日もやってくるかもしれない。

しかし、決定的なのは、ミレイ氏やトランプ氏のような指導者不在という痛恨がある。

北米でトランプ政権2.0、南米でミレイ政権、ヨーロッパには、プーチン政権やハンガリーのオルバン政権と、要所を押さえはじめた自由経済推進運動が「真の敵」にしているのが、世界経済フォーラムに参加する大富豪たちによる「金融支配」なのである。

その牙城が、IMFであり、BIS、それにFRBなのである。

これら、「民間企業」の大株主こそが、「真の敵」であるがゆえに、トランプ氏もミレイ氏も自国中央銀行を攻撃しているのだ。
トランプが大統領令で、中央銀行発行のデジタル通貨を「禁止」した背景も、これが理由であろう。

日銀を攻撃する自由経済推進運動は、日本にまだない。

周回遅れどころではない状況がわかるので、ミレイ氏の主張を傾聴すべきなのである。

自律社会は持続可能性を拒否する

トランプ大統領が経済政策の柱にあげている「アメリカを暗号通過大国にする」一方で、FRBによる「中央銀行デジタル通貨発行(CBDC:Central Bank Digital Currency)禁止」が打ち出されたから、俄然、1976年に唱えたハイエクの『貨幣発行自由化論』に注目があつまっている。

もちろん、日銀もずっと研究しているものだった。

トランプ大統領と共和党トランプ派が推しているのは、そもそも中央銀行たる「FRB廃止」だから、これが具体化するほどに、世界的な議論となり、日銀の存続問題も無視できなくなる必然がある。

いまようの流行言葉でいえば、「中央銀行の持続可能性」に関しての疑問、ということになる。

デジタル通貨といえば、すでに流通している「デジタル人民元」が比較対照としての話題になるものの、残念ながらいわれるほどこの議論にインパクトがないのは、人民元そのものが「ドルペッグ制」の通貨だからで、あたかも人民元がそれだけの単独で世界に流通・信用を受けているものではないからだ。

つまるところ、「通貨バスケット」としてかんがえれば、ドルと人民元はおなじくくりの扱いにある。

しかも、人民元の価値を決めるドルとの「相場」は、中国政府が完全に管理している。

これは、「資本(移動)の自由化」を絶対に許さない基本方針があるからで、もしも自由化したらドルへの交換が無限大=経済崩壊となると当局が懸念するほど、人民に人民元の信用がないからである。

それもこれも、中国経済が発展すれば必ず民主化が浸透する、という「説」による「笛の合図」で西側からの巨大投資があったことで隠蔽されているのである。
いまさらだが、こんなインチキな説を唱えたのは誰だっけ?という問題が、アメリカの学会に深く横たわっているのである。

それが、シーモア・M・リプセットによる、『政治のなかの人間』で、経済が発展すると民主化しやすいという、「因⇒果」を「果⇒因」にしたトンデモ大学者の発想にあった。

ちなみに、「量子論」における「量子もつれ状態」では、時間を遡って結果を変えてしまうことが確認されている。
人間の「脳」は、量子コンピューターであることが解明されてきているので、もしや、リプセットの説は「あり得る」になるのか?

さて、ケインズとの経済論争に「破れた」と評価されているハイエクではあるが、彼は経済学から離れて、法哲学の世界に向かったのでノーベル経済学賞を受賞したときは、本人も驚いたという。

そのハイエクは、自由主義の権化でもある。
ケインズとは罵り合いの「論争」だったが、個人的な交遊は生涯続いていた。
また、ハイエクが『隷属隷従)への道』を発表すると、ケインズはこの書籍を絶賛している。

しかし、その「自由論」は、「自律社会」を最善とするから、社会主義思想に浸かりきった21世紀の現代の人間には中途半端な「論」にみえる。

なぜなら、「結論」とか、「計画性」という概念すらないからだ。
もちろん、すべての根拠に「自由な自律重視」があるためで、計画しないための計画が唱えられている。

あたかも、コップの中の水にインクを垂らして観察できる、「ブラウン運動」の分子のように、自由運動をする個人が作り出す自由社会は、自律社会なので、これをむやみに撹拌したりしても、その努力は報われないというのと似ている。

もちろん、ハイエクは「自由放任主義」を認めてはいない。

まったく、道徳を重視したアダム・スミスの『道徳感情論』を、洗煉させたのがハイエクなのだとわたしはかんがえている。
おそらく、アイン・ランド『肩をすくめるアトラス』も、アダム・スミスとハイエクの影響を強く受けているだろう。

ようは、自律社会は、わざわざ「持続可能性」について計画なぞしない。
する必要もないのは、自律社会ならば、勝手気ままに起きる「紆余曲折」ではなく、意識的な「試行錯誤」で、「よりよい状態」を求めるからである。

では、より良い状態とはなにか?

それこそが、伝統の叡智による道徳社会の維持を前提とした発展のことなのである。
ただし、リバタリアニズムも、ついには、グローバル全体主義に行くつく可能性があるとの警告がある。

だから、なにがなんでも古いものなら全部いい、とはならない。
各国がそれぞれに、なにを取捨選択するのか?こそが、自律社会における試行錯誤なのだ。

しかし、古いものにいいのもがたくさんあるのも、歴史の波に洗われてきたからこそで、それをふつう「古典」と呼んでいる。

「古典」を無視した、持続可能性こそ、無謀というものだということなのである。

地殻変動のフジテレビ問題

テレビを観ないので、「フジテレビ問題」などは、個人的にはどうでもいい話である。

しかし、絶対安定・安泰のはずの「テレビ業界」に地殻変動が起きていることは、意外と重大事なので書いておく。

なぜに「テレビ業界」が、絶対安定・安泰のはずなのか?といえば、プロパガンダ装置として、「政府と一体」の存在だからである。
つまり、「政府」という存在が絶対安定・安泰だという、地殻、そのものが揺らぎだした現象といえるから国民には重大事なのである。

写真が誕生する前の長い時間、人類は「文字」と「絵」でしか対象物を表現できなかった。

その写真をパラパラと何枚もめくると、目の錯覚によって対象物があたかも動いてみえるので、これから「活動写真」へと進化し、音を記録する「録音技術」の発明で、はじめて「画像」と「音声」が融合し、「映画」ができ、この情報を電波に乗せて送・受信する「テレビジョン」が完成した。

日本は文化先進国だったので、街道筋につくった「文字」だけの「高札場」が、壁新聞のような効果で、政府の法令がみれば分かるように発布されていたのである。

つまり、「高札場」は、一般人が字が読めることを前提としている。

これがどれほどの「ハイレベル」かは、文明国からやって来たはずの欧米人が驚愕したことでもわかるのである。

ところが、人間は「退化」することもある。

それは、便利さとの交換(トレードオフ)になるために、国民の多数をコントロールしたい政府は、なにがなんでも映画やラジオ・テレビを利用する。
そのために馴らさせ、果ては視聴行動を習慣化させるために、「エンターテインメント」をもって国民の警戒心を解くのである。

それでもって、情報発信の独占体としてのテレビ(局)を構築した。
これら一連を、「(情報)認知戦」という。
戦を仕掛けるのが政府であって、仕掛けられるのが国民となっている。

その媒体が、放送局、という構図であるし、わが国にはその裏にまた、巨大広告代理店、がある。

ところが、忽然として「X」が登場し、政府の情報統制を破っただけでなく、トランプ政権2.0による、政府からの検閲を禁止する大統領令で、ラジオ・テレビの欺瞞がいよいよ一般人に姿をあらわにしだしたのである。

圧倒的支持を得た共和党トランプ派を推すひとたちの既存メディアへの信頼度は地に堕ちて、だれも視聴しなくなり、既存メディアそのものの経営が危機にさらされて、よくやくロサンゼルスタイムスに至っては、極左編集部員全員をオーナーが解雇するまでになったし、ワシントン・ポスト紙はアマゾンの創業者に買収された。

こうしたことの余波が、敗戦以来の植民地となった日本にもやってきたのである。

しかし、突然の「中居くん引退発表」で、わが国は「J事務所」に次いで二度目のおなじパターンによる幕引きを図っているが、どうもそうはいかない状況なのは、「地殻変動」の情勢が1年もしないで急激に変化しているからである。

さて本件については、苫米地英人氏が詳細解説している。

「X」とかのSNSとテレビの議論に混乱が生じる原因は、放送局には、「編集権」があることが原因だ。
逆に、アメリカでは「X」などのSNSサイト運営者に、「編集権」を放棄させることでの「免責」を与えたことの区別なのだ。

苫米地英人氏が、上の動画で指摘した、テレビ局の「編集」には、番組外でのタレントとの打ち合わせも含まれ、その行為の延長に「中居くん事件」がある、ということなのである。

だから、こうした構造的な事象そのものが、電波法と放送法に抵触する、という議論である。

一方で、日本政府がやろうとしている「X」に対する検閲は、アメリカにある「免責」についての重大な違反を、政府が自分からやるといっていることにある。
トランプ大統領は、これを大統領令をもって禁止したのを、日本政府は逆に推進しているのである。

また、ザッカーバーグ氏は、就任前のトランプ大統領に、自社が運営する「Facebook」やら「Instagram」などでの検閲を中止し、「X」同様の「パブリックコメント式」による閲覧者への注意喚起とすることを表明しているから、もはや「アンチ・検閲」は世界潮流になっている。

そこで、テレビなどの「編集媒体」が、疑いの目で注目されるのは当然なのだ。

ようは、「未編集媒体:XやFacebook、ポッドキャスト」、対、「編集媒体:テレビ、ラジオ、新聞」という構図となって、未編集媒体による編集における曝露がさかんになることを意味している。

裏をかえせば、「国民言論」対「政府の言論統制」という構図になっていることなので、いまや日本政府が追い詰められてきている。

それが、総務省の「停波しない」という見解であって、これすら、対象がフジテレビを特定して想定しているのではなく、「前例」ができることでの全局が対象となることの官僚的発想から生じる予防の論理なのである。

あたかも、統一教会に課税するとしたときの、既存宗教団体が一斉反発したごとくである。

だが、政府のこうした態度は、より広く深く、テレビ局業界そのものへの不信を増長させる。
たとえば、民主党バイデン政権が徹底的に政府を武器化して、トランプ氏を狙い撃ちした訴訟を繰り返すたびに、トランプ氏への支持率が上昇したごとくである。

いまや、このパターンに「自・公・立憲」政権ははまり込んでいるのだが、それこそが、アメリカ民主党とおなじ思考をしている証拠の披露にもなっているのである。

おそらく、TBSも、日本テレビも無事ではすまない。
残るのは、地方のテレビ局だけになるかもしれない。

「停波」などしなくとも、もはやテレビは自然に滅亡するしかないのである。

上院承認人事と機密解除

大統領就任の20日にまっ先に承認されたのが、上院議員のマルコ・ルビオ氏で、国務長官に正式に就任した。

これで、地元フロリダ州のロン・デサンティス知事は、後任上院議員の指名をすることとなる。

また、23日には、ジョン・ラトクリフ元国家情報長官のCIA長官人事が承認されたことを受けて、ケネディ兄弟とキング牧師暗殺に関する機密解除の大統領令が出され、「いよいよ」感が高まってきている。

なお、国家情報長官候補のトゥルシー・ギャバード女史への公聴会は30日の予定だと発表されたので、承認決議はその後となることが確定した。

ピート・ヘグセス国防長官候補については、元妻の妹が姉への「DV」を訴えて話題になっているが、元妻本人はこれを否定するおかしな展開となっている。
それでも、3人目の閣僚として24日夜に承認された。

なんにせよ、ズルズルとはじまるのが「欧米的」特徴なのである。
ただし、このスピードは明らかに「遅い」のであって、その理由は、民主党とRINOによる議事妨害だと一般人にさえ認識されている。

これは、「卒業式」はあっても、「入学式」がないことの延長にあるともいえるから、あちらのひとたちは特段「おかしい」とはおもわない。
儀式好きの日本人なら、「入学式」から「始業式」も含めて、一斉スタートがないと納得できないから、このズルズル感には大いに困惑するしかないというちがいがある。

わが国「漁業」における、「オリンピック方式」をやめるにやめられないでいることの文化的な原因がここにある。

わかっていても、北欧漁業のような科学的資源分析に基づく「個別割当」という概念を受け入れられないのは、同様に文化になっている「漁協運営方式」における利権がからむからである。

それで、愚かにも分かっていて、自滅する、ことになっているのである。

さて、ルビオ国務長官と初対面の、わが国外務大臣は、ツーショットでもいったい何を協議したのかよくわからないヘラヘラ笑いだったが、その横のルビオ氏の硬直した顔は、ひとつの憶測を物語っている。

つまり、反米日本についての厳しい対応を練り直す覚悟ともいえそうなのである。

もしや、「反中」とセット扱いされる可能性があるのだけれど、可能性ということでいえば、「米軍撤退」だってあり得るのである。
防衛費負担がどうのこうのといえるのは、「米軍がいる」ことをあたかも「永久の前提」とするごとくだが、何事も「永遠」はない。

Dr.ファウチとボルトン氏に対する、シークレットサービスの警護を解除したトランプ大統領のコメントは、まさに「永遠とはいかない」と理由を説明し、「金持ちなのだから自分で雇えるはず」ともいった言葉が、そのままわが国の防衛にもいえるのである。

日本も、むかしは「請願巡査」という制度(1881年(明治14年)4月から1938年(昭和13年)に廃止)があった。
これは、請願者(個人や自治体)が全額負担して、警察官の警護を受けるものだった。

つまるところ、現代日本人は請願巡査の制度をすっかり忘れているが、国防に請願兵隊をしかも外国兵を呼び込む異常を通常とする非常識がまかり通っている。

トランプ氏の政権理念は、「コモンセンス革命」(常識回帰)だということをもう忘れたか?

そんなわけで、「有言実行」を貫くトランプ大統領は、「機密解除」に関する大統領令を早速だしたのは上に書いた通りである。

大統領府の「記録係」は、連邦上院の人事案審議における妨害や積極支持の議員活動をしっかり記録して、それを中間選挙における「落選」と「当選」の強力な糧にするだろう。

あるいは、すでに「地元」選挙民(対象議員の支持団体も)への情報発信をはじめているにちがいない。

その意味でも、司法長官とFBI長官人事承認が早くとも2月中旬頃になるというのは、特段の「記録」に値する「最重要国内案件」となっている。
これに、商務長官、通商代表などの「経済担当人事」がいつ決まるのか?

もちろん、日本大使の人事承認だってある。

ようは、前政権の影響力をすぐさま消滅させたくない、という民主党側の意思がみえてくるのである。
これを、「自・公・立憲」政権は見越している。

これら人事が確定してから、おもむろにトランプ政権2.0による対日行動がはじまるのであるから、凄まじい攻防戦の果てに「日本」があると意識しておくとよいのである。

ダボス会議でかました!

23日、トランプ大統領は、オンライン参加の「ダボス会議」で、期待通りかましてくれた。

「ダボス会議:世界経済フォーラム」の構造的な位置づけは、各国のDS ⇒ 国連 ⇒ ダボス会議 ⇒ ビルダーバーグ倶楽部 という順の建て付けになっている。
世界の頂点にあるのは、「ビルダーバーグ倶楽部」だが、その下の「フロント」としての位置づけが「ダボス会議:世界経済フォーラム」なのである。

なお、「国連」は、初代の「国際連盟:League of Nations」と、いまの「国際連合: United Nations:じつは連合国」とで、違いがあるという説が一般的だが、実情はおなじなのである。

国際連盟の発足は、1920年(大正9年)1月10日で、終了したのは、1946年(昭和21年)4月19日であり、一方の国際連合は、「国際連合憲章」が1945年6月26日で、活動を開始したのが同年10月24日となっている。

約10ヶ月の引き継ぎ期間があるとはいえ、戦争前から「連合国」なのだから、第二次大戦における「枢軸国」の敵としてみれば、これらの組織の実態はおなじなのに、あたかも別物としてみせているのである。

そもそも、アメリカ民主党の悪名高きウィルソン大統領が発案しながら、アメリカ自身は加盟もしなかった国際連盟とは何者なのか?と問えば、日本を利用するための「国際組合」なのである。

これを予言したのは、幕末の最高頭脳、福井藩の橋本左内が書き残し警告しているのに、日本政府はこの警告を無視したことに悲劇の結果がやってくることになったのである。

さてそれで、トランプ大統領の紹介は、ダボス会議を主宰するダース・クラウス・シュワブ卿が行って、「基調講演」のあとは、世界の財界重鎮からの質問形式となった。
講演の内容は、圧縮版の就任演説と同じだったので、「新味」はなかったが、真っ正面からシュワブ卿が半世紀をかけて構築してきた「アジェンダ」を完膚なきまで否定したことは確かである。

なので、会場からの拍手はあったが、その実は積極性に欠けるものだった。
つまり、これを観ている世界の人々からの歓喜の拍手が無音でわいたのである。

わたしが注目したのは、ヨーロッパについての質問で、はっきりと「付加価値税」に対するアメリカの不利についての認識があることを明言したことである。

これは、NATO諸国の防衛費負担GDP5%要求よりも厳しい。

なぜなら、EU加盟各国の付加価値税収が、そのままEU委員会を支えているばかりか、共通通貨「ユーロ」維持のための供託金になっているからである。

おそらく、EU委員会とECB(ヨーロッパ中央銀行)、さらにEU離脱派までにも、電気が走るような衝撃発言だったのではないか?
当然に、わが国の消費税にもおなじ理屈がいえるので、アメリカ民主党の直営店、日本政府にもビッグバン級の強烈インパクトがある発言なのである。

マスコミは、引退した「中居くん」の話をダラダラやって囮にし、「フジテレビ問題」にも触れつつも、トランプ政権2.0による「貿易問題としての消費税」について日本人に説明するようなことはやらないと決めて(おそらく政府:内閣官房から要請されている)いるようだが、そうは問屋が卸さない事態になること確実なのである。

ときに、バンカメ(Bank of America Corporation)のお偉いさんには、「あなたの銀行は、保守派(=共和党支持者)に金を貸さない」と渇をいれたのもトランプ大統領らしい。
貸金業ビジネスをちゃんとやれ!と尻を叩かれたトップの困惑した表情は、日本人にとって鳩に豆鉄砲というよりも、ほとんど身分を明かした「水戸黄門」に近い。

フジテレビの次にやり玉に挙がりそうなのは「TBS」だという噂があるけれど、読売新聞と日テレについては、新任のアメリカ大使によってどういった指示を受けるのか?という見世物もあるだろうし、本丸のNHKだってまだ放置されている。

それにしても、これが世界のリーダーたちか?と残念なのは、なにしろ、繰り出される質問が「目先の経済だけ」というお粗末が透けて見えるからである。
日本の経団連が、これを猿真似しているのだと心底納得できた。

これは、エリート教育の間違いが「世界共通」になっていることの証拠でもある。

「わたしが話しているのは若者たちがウクライナの平らな土地で弾丸にあたって死んでいることのムダを嘆いている」と唐突にいい出し、議論の次元のちがう話までしだしたことの核心すら、同じ穴のムジナたちで埋まる会場のひとたちには伝わらなかったのだろう。

まさに、倫理崩壊。

これがダボス会議:世界経済フォーラムに集まってくるひとたちの本性なのだとトランプは身を以て暴いたのである。

けれどもそんな醜態を暴かれた側は、ぜんぜん気づきもしない。

それがまた、終了後の「退場の場面」で明らかとなる。

この様子から、「なんだ、期待したほどじゃなく、たいしたことなかったな」程度の雰囲気が伝わってくるからである。
いわば、駄作映画を観た後の雰囲気なのである。

使命感も何もない、あるのは金儲けと自分らの選民状態を確認したい心理だけの「虚空」なのであった。

トランプはそんなイリュージョンの「タネ明かし」を、あっさりとやってのけてサッサと画面から消えたのである。

控えにいたホワイトハウスのスタッフたちと、ガッツポーズを取り合ったのが目に浮かぶ。

「先制(事前)恩赦」の無効性

バイデンの最後っ屁である、これも歴史的な恩赦であったのは、「先制(事前)恩赦」という途方もない緩さを複数人に連発したことである。

一般に、「大統領令」としての、ふつうの恩赦にはふたつの盲点がある。
・恩赦を受けた者は、議会での証言拒否ができないこと。
 つまり、拒否や偽証は恩赦以外のあらたな犯罪となること。
・大統領恩赦の適用範囲は、「連邦法の刑法」に限定されること。
 つまり、「州法」と「民事」には適用されないこと。

だが、突如でてきたあたかも万能な、「先制(事前)恩赦」なる妙ちくりんな恩赦とはどんなものなのか?がよくわからないのである。

そこで、これを調べた人物がいて、「Rumble」に動画を挙げているのを『トランプ派チャンネル【黒森1】』さんが整理して挙げてくれた。
なお、情報元のグラント・スティンチフィールドさんの動画は、https://www.youtube.com/watch?v=WXiAq7M-CuYにある。

ようは、恩赦の「定義」がまずは重要な確認事項である。

日本の法務省の定義によれば、「行政権によって公訴権を消滅させ、あるいは刑の言い渡しの効果の全部または一部を消滅させること」とある。

アメリカの場合は、1915年の連邦最高裁判決「バーディック対合衆国」に定義があって、「恩赦には、有罪の推定と自白の承認を伴うとし、さらに、恩赦は違法を不問に付す」とあるようだ。

つまり、今回バイデンが最後っ屁をかましたオールマイティな「先制(事前)恩赦」は、「恩赦の定義」から成立しないことがわかる。
なにせ、犯罪そのものを犯し、有罪だという推定も本人の自白もないからだ。

すると、以下のような点に対して「推測」をすることができる。
⑴ 民主党バイデン政権はなぜこのような無理を通そうとしたのか?
⑵ トランプ政権2.0は、これを指摘せずにスルーするのか?

まず⑴については、たとえ対象者が「ぬか喜び」しようとも、われわれは最善を尽くした、ということのゼスチャーである、とかんがえられる。

ために、対象者のひとり、Dr.ファウチの言葉として、CNNは、「ファウチ本人が、恩赦に非常に感謝していると言った」と放送しているし、同時に、「(自分は)何も悪いことはしていない」と語っているとも報じている。

これぞ、恩赦の定義に当てはまらないために、「語るに落ちた」というものだ。

「わたしがこの国の科学だ」と言い切った人物も、さすがに「わたしがこの国の法律だ」とはいえないし、法律の専門家でもないから、まさに「語るにおちた」のだし、これにCNNが加担してしまった、ともいえる一種の「放送事故」になった。

一方で、マーク・ミリー将軍も、バイデン一家も、「軍法」が適用される可能性がある。

ミリーは軍人だから当然だが、じつはこの人物は「外国への意図的な情報漏洩」を認めている(自白した)ので、「通常恩赦」の対象者だ。
ただし、「外国への意図的な情報漏洩」とは、ふつう「国家反逆罪」が適用されるので、これを放置できるか?という問題がある。

加えて、バイデン一家の罪も、「国家反逆罪」にあたる。
また、軍のトップを務めたミリーは、トランプ政権2.0が重視する「軍の立て直し」をするはめになった元凶だという意味もある。

さらにいえば、バイデン政権で国防長官だったオースティン元将軍も、「天下り規定」に反しているから、いまごろ震えながら寝ていることだろう。

すると、元大統領として「大統領免責特権」があるバイデン本人が、ポツンと独り自宅に取り残されて、あとはグアンタナモ送りとなるのか?という事態になっているのである。

トランプ政権2.0では、誰がバイデン政権を動かしていたのか?という調査も、トランプ氏からの命が発せられている。
機密文書持ち出し問題で「不起訴」となった理由の、「記憶力のない、気の毒な老人」がそのまま通るはずがないからである。

ゆえに、追い込む側となったトランプ政権2.0は、⑵の実行をどうするのか?となっているわけだ。

これまでの民主党政権のような、悪い意味での合理主義なら、舌なめずりしながら「猟」をするのだろう。
しかし、就任式で語った「unity:団結」をどうするのか?があるのだ。

ヴァンス副大統領の細君は、若くして最高裁判所長官と最高裁裁判官のふたりからアシスタントとして選ばれた才媛だから、上の「判例」もしらないはずがない。

つまり、「けじめ」の付け方を協議していることだろうと推測できるのである。

ただし、連邦下院議長は、これら「恩赦」されたひとたちを議会証言させると発言したので、逃れるには、「恩赦の拒否」をするしか方法はない。
だが、「無実」のはずはない「あぶり出し」をバイデン民主党がやったのだから、自分から罠にかかってしまったのである。

トランプ就任演説は、「格調高い理念」ではなくて、あたかも「実務的内容ばかり」だと書きまくる、日本のマスコミの読解力がメチャクチャなのは「わざと」だから無視するとしても、アメリカをひとつにするための「団結」をどうやって具現化するのか?の題材に「恩赦」が対象になっているのである。

何にせよ、困った前例となる「先制(事前)恩赦」を歴史的に有効のまま放置もできない。

智恵の絞り方として、どんな「大岡裁き」が繰り出されるのかを観察したいものである。