ふつうは「水と油」という。
セパレート型ドレッシングが「新発売」されたのは、キューピーの歴史によると1973年のことである。
どんなに振って混ぜても、元の分離状態になるのが面白くて一生懸命に振っていた記憶がある。
それまでマヨネーズが主流だったが、これを境に液体ドレッシングという「油」が主流になった。
ちなみに、インバウンドの外国人がはまる日本のマヨネーズは、「卵黄だけ」が原料でこれにうまみ調味料が加わる独自仕様だから、外国で主流の「全卵」とは別物なのである。
先日、横浜のJR桜木町駅前で、混声コーラスの歌が聞こえたのでなんだとおもったが、「核廃絶」を訴える元全共闘とおもわれる幸せそうな老人の皆さんの演奏だった。
いつかみた、「安倍政治を許さない」とあるステッカーをリュックにつけて歩いていた集団をおもいださせる不気味さの共通がある。
この独善はどこからやってくるのか?
ちょうどセパレート型ドレッシングが発売になったころ、「ウーマンリブ」運動の榎美沙子というひとがテレビのワイドショーによくでていて、子供心にどんな生い立ちのひとなのかを疑う違和感を拡散していた。
そういえば、アメリカでかならず政治問題=選挙での投票行動に直接影響するのが、「中絶問題」であるけれど、逆神の民主党が「女性の権利」をいうところがもう怪しいのである。
それよりも、レイプがふつうになっている社会が先にある。
かならず10年以上の「遅れ」でこうした問題も日本に輸入されるが、小・中学校の校内に仕掛けられた「盗聴器・盗撮カメラ」をどうやってみつけるかの研修が実施されるまでの被害がでていて、捕まる犯人が現職教師という無様であるばかりか、実の父親たちがネットワークをつくって、実の娘を撮影した児童ポルノを回し観していたことも暴かれる時代となった。
ローマの廃頽ここにあり。
一方、共和党は共和党で、「道徳社会の実現」なる対策をもって掲げるが、これはこれで「お花畑」なのである。
それで、リアリストのトランプ政権2.0は、レイプに厳しい対応をしていて、「中絶」については「女性の権利」とはしないで、「柔軟な対応」としているのも宗教絡みなのである。
すると、日本における「新興宗教」としての榎美沙子という教祖がいたとわかるし、その系統の布教活動の一派が全共闘なる運動だったのか?
彼らは、みごとに体制側のサラリーマンになったものの、退職後に、あらためて活動を再開したとかんがえられる。
それに、元が勉強エリートだから思想信条の自由がある公務員になって、行政から議会を牛耳る方法で実現させ、よって社会改変をするという方法が有効になったのである。
18日、首相官邸の役人が語ったという「核保有」発言が、セパレート型ドレッシングの様相をしめしている。
女性初の副大統領だったカマラ・ハリスの発言を「ワード・サラダ」といって、「意味不明」の代名詞としたが、わが国ではセパレート型ドレッシングの意味不明となっているとみる。
マスコミや野党政治家だけでなく、与党で防衛大臣を何度もやって、自身も防大出身という中谷衆議院議員も、なんだか「反発」するかつてからの「慣性の法則」に従っているところが興味深い。
防大はリアリストを養成することに失敗しているのか?
それはさておき、見事な「昭和」感覚が生きていることに驚くのである。
最も重要な視点は、「事情変更」の有・無である。
いま、昭和となにが事情変更されたのか?といえば、
・アメリカ軍の衰退(装備の劣化と人員不足)
・仮想敵国が大量保有する核と、中距離ミサイル群の圧倒による第一列島線の制御不能
・仮想敵国が東南アジア珊瑚礁に築いた「基地」によるシーレーン封鎖の危険 などだ。
むろん、これに、当ブログでも触れている5日発表の新たな「アメリカ国家安全保障戦略」も、じゅうぶんに事情変更と認めることができる。
アメリカは、かつての世界の警察官的行動はしない、と宣言しているだけでも、わが国にはおおいに「昭和」とはぜんぜんちがう事情変更なのである。
さてそれで、「犯人探し」という愚劣に血まなこを挙げるのだろうが、発言者本人の意図は、「核武装させない」ための「核武装論」だったともかんがえられるから、セパレート型ドレッシングだといいたいのである。
なにせ、勉強エリートしか高級役人になれないのだから、その思想背景は「左翼」にきまっているといっても差し支えないほど、わが国のエリート養成大学は「左傾化」している。
つまり、成績優秀なほどその国家観は「お花畑」で怪しいのである。
とすると、マスコミやらの「お花畑」チームが騒いで犯人探しをしている相手は、これらの仲間である可能性があって、その場合、暗視カメラもない中での「同士討ち」にもなるマヌケとなるのである。
これぞ「お花畑」チームの「お花畑」たるゆえんである。
なんとなれば、「お花畑」な脳は、どんなに事情変更の事実があろうが、ずっと「お花畑」でしかないので、かならずやセパレート型ドレッシングのように分かれる。
これをふつう、平行線というのである。

