家父長制の大家族から子供単位の核家族に変化したのが、わが国の近代史の特性である。
それから少子によって、超核家族という「おひとり」になったので、「墓仕舞い」のみならず、次世代の相続人がいなくなったのである。
むかしは長男が一括相続するのがふつうだったから、次男以下には「大部屋暮らし」の憂き目が予定されていた。
それでも多産だったのは、幼児死亡率がいまより格段に高かったための保険であったからである。
長兄が相次いで亡くなって、紀州藩を相続したかとおもいきや、本家にあたる将軍家まで相続したのが「八代将軍吉宗」である。
ために、「お庭番」を創設した吉宗には闇の噂が絶えないのである。
結局、徳川幕府は、家康が最大のライバルと目されていた、加藤清正の血を引く吉宗から、彼の血を継ぐ「御三卿」へと相続権が移行して、とうとう「御三家」の地位は沈没して、最後の最後になって水戸藩が注目されるにおよぶ。
それから明治新政府の文化革命が激しく展開して、いつからだかわからないほど古い、「太陽太陰暦:旧暦」が廃棄されて、いまの「太陽暦:新暦」が採用されたが、しっかりと「家族(制度)」は維持してきてつもりが、GHQによって完全破壊されるにいたる。
ついでに、言語の統一(「国語」の誕生)で、なんだかわからぬ「標準語」なる基準をもって、あとはぜんぶ「方言」という差別をつけていまにいたる。
どこかのローカル放送局が、「ご当地ことば」による「ニュース」を放送したのが、ニュースになったのは、150年前の常識が戻ったことの快挙だからである。
なお、ネットでラジオ放送を流している「radiko (ラジコ)」には、「方言ニュース」という貴重な番組がある。
日本語の統一を強制する組織なのに「多様性」を強調しているNHKと真逆の存在があることは、まさに「多様性」なのだ。
ヨーロッパ起源の「人類学的」からすると、家族の構成のちがいが、民主主義を生んだり、権威主義政体を生むというから、その民族がどんな家族構成を制度として保持してきたのか?によって、社会として重大な結果を生む。
アングロサクソンの核家族から生まれた個人主義から発生した民主主義が、家族制度とそれを支えたキリスト教の信仰衰退が、民主主義すら殺してしまう「ニヒリズム(虚無主義)」に席巻されると警告したのは100年とすこし前のニーチェで、だからこそ「あたらしい価値創造」を訴えたのだった。
しかし、それが簡単ではなく、むしろ全体主義へと向かうのは「ニヒリズム」の恐ろしさなのである。
そのニーチェは、ドイツの出なので、核家族ではなかったゲルマン・ドイツの伝統から、異質な個人主義の源泉を意識できたのであろう。
おなじく、核家族ではない日本とドイツの親和性がここにあるし、ロシアも同様なのである。
しかし、いまのドイツの都市部では、もはや二世代以上の大家族が暮らすことは皆無となって、ドイツ人のドイツのはずがぐちゃぐちゃになった。
日本は、「自・公・立憲共産」政権による家族破壊工作が推進されている最中なので、これらの政党を解党に導く必然が生まれている。
むろん、それとの時間競争が発生していて、「自・公・立憲共産」などが生き残って全体主義となるのか?それとも、もはや大家族には形式的に戻れないとしても、核家族であっても維持して民主主義を継続できるのか?が日本人の未来を決する大問題になっている。
未来の国家指導者、弱冠31歳のチャーリー・カーク氏を失ったアメリカの動揺は、家族の維持努力への攻撃に防御ができなかったことによる。
アメリカ大手メディアは、「カーク氏のヘイト活動がこうした結果になった」と報じ、その後、放送局社長が謝罪する事件にもなった。
このことも含めて、「動揺」しているのがアメリカなのである。
トランプ大統領は、アメリカ合衆国政府として「喪」にふすと発表し、全世界のアメリカ政府施設は日曜まで「半旗」とすることを発表した。
移民問題の根本に家族の崩壊がある。
よって、次の世界的な反グローバリズムの闘いは、家族を守れ!になるのだろう。