「家畜」であって「社畜」ではない

JR品川駅の構内を見下ろす構造になっているカフェが話題のようである。

店内には、駅構内を通行するひとたちへの撮影を禁じる旨の掲示があることが話題のタネのようである。

その心は、社畜観察カフェ、という異名からも明らかで、通勤時の大量なる社畜が足早に出口方向へ通過していく姿が、まさに屠殺場へ向かう動物にみえるからだともいう。

それに、この通路は、「社畜ロード」と名付けられて久しい。

これには、「芝浦と場」として、いまは「東京都食肉市場」となっている施設が、極近所にあるから、という理由がかんがえられるけれど、そもそものはじまりは、「昭和11年12月に、それまで都内各地に点在していたと場を合併し、当時は葦(あし)が茂る埋め立て地に作られました」と解説がある。

もちろん、ここで忘れてはならないのが、「中央卸売市場法」(大正12年3月)の制定である。

どうしてこの法律ができたのか?についての、当時の事情はいまとはぜんぜん違うので、いまさらながらに、どうして21世紀の現在にも、「公設」の中央卸売市場が必要なのか?という議論があるのは、現代の事情がもはやこうした施設を必要としなくなっている点があるからだ。

そうやってかんがえると、「社畜」を品川駅で語ることは、食品供給に対する、冒涜ともなりかねない恥ずべき話なのである。

それならば、新宿駅や東京駅も、社畜であふれている、といえる。

昭和天皇の御大葬で来日した、ブータンの前国王(現国王の御尊父)は、お付きのひとに、東京駅駅頭(丸の内口、東京中央郵便局付近)に向かわせて、日本人の通勤風景を観察させていた。

国王の調査目的は、日本人の幸福さ、であり、報告は、「老若男女のほぼ全員が、無言で怒ったような顔つきで歩いており、とても幸福度に満ちているとは思えなかった」であったのだ。

当時、ブータン王国は世界最貧国レベルの経済統計値であったから、王様が提唱された「国民幸福度で世界一」ということの意味が、当時(昭和の最後)の日本人にどこまで通じたかはわからない。

しかも、このときすでに、「バブル」がはじまっていたのである。

それで、バブルが崩壊すると、このときのエピソードが注目されるようになったから、反応の時間は数年というほどの鈍感さを日本人は示したのである。

品川駅にはソニーの本社があるが、ソニーの半導体工場をヒマラヤの雪解け水に目をつけた計画があったけど、世界で初めてソニーの工場進出に「NO」を突きつけたのも当時の王様だった。

国民の所得が向上しますよ、という経済発展の誘いに、国王は、国民全員が雇用されるわけではないから、格差が生じる」と返したのである。

先々代の急逝のため、わずか16歳で国王に即位した先代は、自身の側近を英米のエリート大学出身者ばかり起用したようにみえたけど、だからといって、英米の経済学をそのまま導入しようとはしなかった。

英米の損得勘定と、国王の損得勘定は、ぜんぜん別の価値観による計算式があるのである。

この当時だって蔵書数で定評のあった、横浜市立図書館で「ブータン」と検索したら、4冊しかヒットしなかったほど、日本人には関心のない国だったのである。

利権政治を金権政治というなら、明治維新からわずか二代50年ほどの後の大正4年からのバブル、「(第一次)大戦景気」では、英米の価値観に染まりきっていたのが日本人で、以来、民間企業も「利権獲得」から「確保」こそが利益の源泉だとしたので、その価値観に盲目的に従う子飼いの政治家を育てた結果が昭和の反動となって、敗戦からいまに続くのである。

あたかも政治家だけが悪いという、憎悪を煽るきれい事で、国民の汚れた本音を隠すから、気がつけば、奴隷国家からとうとう家畜国家になったのだった。

この意味で、日本人は一大プロパガンダ作家、司馬遼太郎から卒業しないといけない時期に来ている。

なんにせよ、自分の頭でかんがえることができなくなったら、それはもう、「家畜になった」としかいいようがないのである。

残念ながら、企業内生活と無意識訓練の「習慣」がそうさせるので、「頭脳の生活習慣病」ともいえるから、自覚症状がないために深刻化する。

そうやって、社内昇格するために、トップ・マネジメント層も家畜化してしまうけど、質が悪いのは「君臨する」という事態に及ぶからである。

それが、いま存在する、経団連やらの財界人の姿なのである。

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