「左翼」というファッション

「馬子にも衣装」なら、まだその場限りの感があるが、『王子と乞食』になると、なかなか笑える話にはならない。

この手の「交換モノ」では、まず、ふだん着ている「衣装」が入れ替わるのである。

あんがいと衣装の心理効果はおおきいので、外国人観光客が着物をレンタルして散歩したり、はたまた、「コスプレ」なるサブカルチャーが流行っているのも、一種の変身願望を満たしつつも、心のなかでなりきることの気分転換が心地よいからであろう。

ときに、女子の制服がセーラー服になったのは、大正期のことであった。

大正時代にできた風習が21世紀のいまにも続いているのが意外だが、江戸時代(幕末)生まれの教養が最後の世代に引き継がれて考えぬかれたものなので、完成度が高いのであるとかんがえれば納得できる。

逆に、そのような教養の素地が断たれた戦後の軽さは否めない。

それは、残念だがいまの後期高齢者たちの大方の言説が薄いことで確認できるし、彼らが若かった70年代こそ、アメリカンで軽いサブカルチャーのはじまりだったのである。
むろん、その軽さが嵩じて、学生運動真っ盛りとなり、60年安保からおおきく変容した「70年安保」になって、全共闘の大学紛争からも変容して「社畜」になっていく。

この意味で、わたしには、敗北した『坊ちゃん』を想起させるのである。

しかし、マーク・トウェインのアメリカ人は、ひと味もふた味もちがって、豊かな港湾都市のハイカラ(進取の気性)に左翼(進歩主義)が混じった、アメリカン・ポップ・カルチャーが、「正義」と結合して強固な思想に変容した。

それが、大陸内部の農業地帯を基盤とする「保守」の共和党と水と油になったのであるけれど、ニューヨークの東海岸と、カリフォルニアの西海岸の両岸で燃えさかることになって、さらに中西部の北、カナダ(マニトバ州、オンタリオ州)との国境にあるミネソタ州にも飛び火して、「(不法)移民防衛」に体を張っている。

しかし、どこまで本気なのか?が伝わってこない。

むろん、大規模なデモやら、連邦の不法移民排除の公務を妨害する行為から発砲の被害者が出るまでとなっているのだが、「同調圧力」という名の目には見えない大衆心理が作動しているともおもえるのである。

それが、2020年大統領選挙では、「TRUMP」と書いた看板を庭に掲げることもはばかられ、近隣からの「目」に怯えるようにもなったのが、2024年では逆転したことでもわかるのである。

それだから、あらゆる手段をもちいて「宣伝」するのは、まったくのプロパガンダ手法の手順通りとなるために、それは「古典的」手法なのである。

さてそれで、いつも通り「カナダ人ニュース」さんが、「グラミー賞」授賞式での話題を教えてくれている。

わが国もおなじで、基本的に「芸能人」のおおくは「左翼」をファッションとしている。

ただ、わが国には、「国が認定する顕彰制度=重要無形文化財保持者=人間国宝」が、文化財保護法第71条第2項にあるので、「芸能界トップ」に君臨する、歌舞伎などの役者や演奏者などは、あからさまな「左翼」をファッションとはしないで、直系ではないその娘とかが「ガス抜き」する構造になっている。

ここが、民間団体主体の「アカデミー賞」ともことなる点である。

しかし、「国営」か?「民営」か?といった議論で、むかしのハイエク(とはいえ70年代)などが「民営」の有利と正義を主張していたものだったけれども、人類に君臨しようと目論む「大富豪たち」が、かつての王族・王家よりも強大な富を手にするようになってからは、「民営」をそのままよしとする無邪気ではすまされない時代にされたのである。

すると、運営形式・形態ではなくて、本質を確認しないといけないことになった。

そのための情報が、これまた制御されることになっているので、すでに「ディストピア」の入口に入り込んでいるし、そのように追い込まれているのである。

左翼的な言動が、なんかインテリっぽくて格好いい、とはならない。

しかし、そんな軽さと正義から、その言動に慣れてしまうと、しらずしらずのうちに、自分で自分を洗脳するはめに陥るのである。

ファッション、おそるべし。

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