「故人」資産のスマホが開けない

残念なことに、わたしの妹が亡くなった。

まっ先に困ったのが、故人と交友関係のあった人物たちへの連絡が、スマホのロック解除ができないために、どうにもこうにもならないことになったのである。

スマホの提供者側は、いまや、「スマートフォン=個人(情報)資産」と位置づけている。

それで、「事前」の準備をユーザーに呼びかけて、本人から指定されていれば比較的スムースに「ロック解除」が可能なようになっている、という。

けれども、この「事前措置」をしていなかったら、かなり絶望的な状況になってしまう可能性が高まるのである。

本稿では、この理不尽な状況が、どのような観点から「つくられてきた」のか?を考察してみたい。

そもそもの原因に、「個人情報絶対主義」がある。

しかし、その「絶対主義」の源泉に、狂人ジャン・ジャック・ルソーの狂気にみちた思想があった。
それが、「アトム化」である。

「アトム」とは、古代ギリシャ哲学でいう、「原子」のことで、現代科学の「原子=陽子、中性子、電子などの量子からなる」とはずいぶんとちがう、「原始的な独立したツブ(粒)」をさす。

それで、ここから、マルクスとエンゲルスの「唯物論=共産主義」に発展するのである。

ここから、ルソーは、個々の人間も、社会から切り離してみたときの「個人」としての存在自体を、「アトム=粒」として規定したのである。

人間を「粒」=「物体」としてしかみないゆえの、「絶対的平等」の甘言は、高級マンションに暮らし、外国製高級車を乗りまわす上野千鶴子が唱える、「みんなで貧乏になりましょう」なる暴論(支配者の贅沢と被支配者の貧困を目指すという意味)そのものなのである。

これは、世界経済フォーラム(ダボス会議)の主張でもあるから、国境を無視する共産主義こそが、グローバル全体主義の根幹である。

この意味で、さいきんの「経済物理学」=経済現象を物理学的な手法や観点で解明しようとする学問、と位置づけられていて、「ビッグデータ解析の重要性」もここにつながっているけれど、「個=粒」を集めて「粒が集団で流体行動する」という観点そのものは、共産思想を基にするともいえるのである。

わが国で「個人情報保護法」が全面施行されたのは、2005年の4月からのことであった。

「自民党をぶっ壊す」とかという、短いフレーズの繰りかえし(典型的なプロパガンダ手法)を得意とした、「変人」小泉純一郎内閣のときである。
しかし、この内閣以来、自民党は「日本をぶっ壊す」努力を重ねてきた、じつは極左政党に変容して、とうとう共産党まで呑み込んで共産党の衰退にみえる相対現象になっている。

これは、たとえばいまでも「保守政治家」と見なされている安倍晋三内閣を、左派が嫌って、「安倍政治を許さない」と叫んでいたこととの矛盾にもみえるが、じつは、安倍晋三内閣の本質が左翼政権のために、旧来(本家)左翼が行き場を失ったことの「恨み節」なのである。

そして、この「個人情報保護法」の極大解釈が社会常識に転換される、わざと、が学校や職場の「まじめ」さを政治的な「空気」にかえることで、「卒業名簿」や「町内会名簿」に住所や電話番号が不記載となり、いよいよ隣の人はどこの人?となる、「アトム化」が普及し、都会における「地縁」が消滅して「郷土愛」が文字だけのものになったのである。

90年代からはじまった、「携帯電話=ガラケー」で、ドコモが「iモード」サービスを開始したのが年代最後の1999年のことである。
そして、「個人情報保護法」の極大解釈が浸透をはじめた2008年に「iPhone」が日本発売となったのである。

スマートフォンは、これ一台で電話帳・住所録はもちろん、メモから録音も可能だから、家庭に配布されていた「電話帳:ハローページ」が消滅し、かつては玄関に設置の黒電話の横にどの家にもかならずあったし、家族共有だった「紙」のインデックス付き「電話連絡帳」も消えたのである。

こうして、「家族共有」の破壊が進んで、「アトム化」はますます広く・深く進展し、とうとうスマホが「個人(情報)資産」となったら、「故人」情報になったとたんに、こんどは家族(遺族)も、やすやすとアクセスできない「過保護」な設計になっている。

すると、もっともかんたんな「故人情報」を開ける方法は、信頼できる家族・友人やらと、相互に「アクセス・コード」の交換をしておくことに尽きるのである。

それがまた、それぞれのスマホのデジタル記録となっても、自分だけでない他人への「交換」というアナログが、「もしものとき」にもっとも安全・安心だという結論となって、何のことはない、やっぱり人間は「アトム」なんかでは生きていけない動物なのだと確認することができる。

むろん、仕込まれた「コロナ禍」も、アトム化の手段であったので、わが国における「村八分」の伝統(どんなに社会的に制裁されても、火事と葬式だけは除く)すら破壊する、「家族葬」がこれまた普及して、「葬儀」という人生最後の「式典」すら奪われている。

そのまた元凶に、「故人情報」が家族にもわからないために故人が呼びたいかもしれない交誼のあったひとたちへの連絡を不能とすることが、人為による社会の「仕組」にされていることに気づくのである。

つまり、「家族葬」とは、「アトム化」の追い込み猟(漁)成功の結果としての「追いつめられた姿」で、隣近所との交友・交流も破壊しているひとつの姿なのである。

さてそれで、最新の量子力学から、ロジャー・ペンローズ『量子脳理論』の発展で、『死は存在しない』なる仮説が解明されたら、アカシックリコードとの関連も含め、「知らぬが仏」が完全否定されるときがくる可能性がある。

これが、「アトム化」を雲散霧消にして、「お天道さまがみている」の常識回帰となれば、いよいよ「故人情報」を開けるための人的繋がりに重きを置くような社会となるにちがいないであろう。


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