「渡来人」とは何人なのか?

縄文から弥生に時代が移ったのは、弥生人たる渡来人が縄文人を追い詰めて人口が逆転したからだ、と説明されてきた。

なので、弥生人は古代からの日本人たる縄文人を虐殺して、日本を乗っ取ったごとくにとらえているおとなも結構な数がいる。

歴史講師の茂木誠先生が、この辺りの事柄について冷静だが熱く語っているので書いておく。

昨今の遺跡の発掘研究やDNA解析から、縄文人と弥生人とはどうやら緩やかな交わり(混血)があったことは事実として、虐殺などの痕跡たる証拠はどこにも発見されていない。

あるとすれば、茨城県にある鹿島神宮の近くに現存する、「高天原鬼塚」を発掘したら出てくるだろう戦闘の痕跡ぐらいだとかんがえられる。

さてそれで、その弥生人の多くが「渡来人」だということになっているのは、縄文人とは明らかに別のDNAだからである。
すると、この「渡来人」とは何人なのか?という問題になる。

およそ2300年前からはじまるとされる弥生時代の、わが国周辺国とは、第一に朝鮮半島が挙げられるが、この時代のこの半島に国家はない。

さらに、縄文時代の後期、いまから7300年前に起きた「鬼界カルデラ噴火」では、南九州が瞬時に全滅し、その後九州全体の全滅となって、中国地方、四国だけでなく近畿・北陸にも多大な影響を与えたことは、火山灰の降灰状況とその地層分析からも異論がない。

当然ながら、気候にも影響して人間どころか植物すら生存できない状況が長期(数百年以上)にわたって継続したとかんがえられている。

それで、避難した縄文人が海をこえて米作を揚子江周辺に伝えたという説があり、弥生時代に逆輸入した可能性が指摘されている。
少なくとも、朝鮮半島から米作が伝わったという痕跡は一切なく、いまや完全否定されている。

また、朝鮮にも呉の国にも、倭人との関係の血統にまつわる伝説が存在しているのも、状況証拠として重視されている。

すると、「渡来人」とは、倭人の血縁的関係者ではないのか?になる。

これが言語学的にも解明されてきていて、日本語の由来、ではなくて、渡来人が話していた言葉が、「和語」だった可能性が高いのである。

その結晶が『万葉集』にあるという。

庶民から貴族・天皇までが寄せている「歌」は、当時のひとびとが同じ言語を用いていた証拠だからである。
しかも、天皇の御製には、庶民の女子を恋に誘うものまであって、身分差があまりなかったこともうかがわせるのである。

このことは、「日本」という概念が、日本列島から離れて、現代人がかんがえるよりかなり広い範囲であることを示唆する。
簡単にいえば、当時の人びとに、現代のような「国境」の概念すらなかったからである。

つまり、いまでいう「グローバリズム」の本筋が、この時代には自然にあったということなのだ。

逆に、いまのグローバリズムのなんと人為的で偽善にみちたものであることかがわかるのである。

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