「略語」がコミュニケーションを破壊する

本を読まなくなった日本人だが、SNSへの受信と発信で多用される「略語」が、それらを日常で使っている若者たちのコミュニケーション力を破壊している。

要は、発信側も受信側もそれぞれに意図した意味が通じないことがまま起きるということであるけれど、さらにこれらが発展して通じないままに放置することが蔓延しているというのだ。

そのために、もっとも安全な手段が「自己の殻に閉じこもる」こととなった。

すなわち、漫画ではなく現実の人間が「昆虫化」しているのである。

だから、善悪も含めた価値判断が、「本能に応じる」という原始化も当然に起きている。

このときの「本能」とは、「快楽追求だけ」という狭い範囲でのことなので、自身の快楽につながるコミュニケーションには応じるが、そうでないものは(本能的に)「無視(放置)する」のである。

人間同士のリアルな付き合いでは、こうした「放置」を行為として行うことは、極めて困難であった。
目の前の現実に、双方が存在するからである。

したがって、些細な葛藤から対立となり、なんらかの事件にまで発展することも多々あることであった。
もちろん、「人間ドラマ」のあらゆるテーマになりうる事象ならどこにでもあったことだ。

ところが、リアルな空間での人間同士の付き合いが、バーチャル化され、それが日常となったら、たちまちにして従来の「人間ドラマ」とは次元を異にする「ドラマ」が起きている。

それが、コミュニケーションをとらない、という究極の行動なのだ。

すると、これからの人間は、リアルとバーチャル空間でのコミュニケーションを使い分けることが要求されているのだとわかる。

このことは意外な問題の発生も予測させるのだ。

たとえば、「商取引」における、リアルとバーチャルの使い分けにどうやって対応するのか?を問題提起するからである。

従来のルールは、過去からのリアルな商取引をあくまでもベースにして、それにネットでの特性を踏まえて、従来からの商取引との関連でも混乱がないように調整されていた。
商取引自体は、あくまでもリアルだからである。

それが、商法の特別法としての電子商取引に関する各種法令の整備だったのである。

しかし、これからの社会で、バーチャル社会というものがますます認知されるようになれば、商取引上の契約の以前、より個人的である「民法」の世界でのバーチャル対応が求められることになって、それから商法に波及する可能性がある。

すると、普通の個人が、リアルな生活空間とバーチャルな生活空間とを使い分けて人生を送ることになれば、バーチャルな空間でのコミュニケーションの崩壊は、リアルな社会に影響しないはずがないことになる。

なるほど、どこかで聞いたことがある「気持ちの悪い世界」だと想像したら、内閣府が推進研究中の、「ムーンショット計画」が頭をよぎったのである。

知らないでは済まないことだから、全国民はこの「ムーンショット目標」のHPをみておくべきなのである。

このイカれた目標を、いったい誰が推進すべきといったのか?

リアルな世界における、選挙を放置すると、コミュニケーション力を失った政府が、殻に閉じこもってマッドサイエンスの研究に国家予算を投じても、殻に閉じこもった国民が自分の世界に政府が提供する「アバダー」をよろこんで利用するのだろう。

はたしてこれは、「夢の未来」なのか?「地獄の未来」なのか?

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