わが国の「ソ連化」がわかるひとつの典型例が、「祭り」のイベント化、である。
そもそも「祭り」とは、隣近所の一般人たちが「氏神様」でつながって主催するものときまっていた。
それで、地元の神社仏閣の宮司やら和尚が、香具師(てきや)の親分と縄張りのはなしをつけて、賑わいを演出したのだった。
ときに、神奈川県を代表する「祭り」に進化したのが、平塚の七夕まつり、である。
第1回目は、1951年(昭和26年)のことで、「仙台の七夕まつり」を真似て、地元商店主たちが主催して、飾りも商店主が独自性を競っていたものだ。
その仙台の方は、伊達政宗が発案して、「婦女子の文化向上」という名目があった歴史的なものである。
わたしも、子供時分に平塚まで「湘南電車」に揺られて、七夕まつりを何度か観に連れて行かれた思い出がある。
横浜にはなかった、「長崎屋」とか「十字屋」、「梅屋」といったデパートが珍しかった。
オリジナルの仙台は「旧暦」のまま、新参の平塚は「新暦」を採用していたが、いまでは、7月7日とは関係なく、7月の第一木曜日から最終日が日曜日となるように日程が設定されている。
これは、「平塚市」が、事実上の「乗っ取り」をやったからでもある。
江戸期の「祭り」には、ガス抜きの機能があった。
それで、幕府も各藩も、町民たちに好きなように企画させて、数日間のエネルギー爆発で施政へのうっぷんを晴らさせていた。
だから、下賜金として費用の援助はしても「主催」はしなかった。
いまは、これが逆転して、地元行政が「主催」をしたがる。
民主主義の世の中だから、行政が主催するのも民主的なのだ、という理屈になっている。
たいがいが、「観光課」の役人が担当するのも、「観光行政」のなかにふくまれるからである。
それゆえに、民間主催の「同趣旨の祭り」を許さない。
もしもそのような事態となったら、徹底的に弾圧するのが、民主的な役所の体質である。
つまり、むかしの幕府や藩主よりも厳しいのが、「民主」なのである。
平塚の例にもどると、元が商工会などからの気運でできたものだから、神社仏閣は関係ない。
なので、役所が主催になったら、「香具師」をどうするのか?となって、飾り付けをした通りから排除して近隣の公園に出店を集中させた。
すると、なんと、通りは閑散として、「香具師」のいる公園にひとびとが殺到したのである。
七夕飾りをみにくるひとがいないのには、もうひとつ理由があって、過去には商店主たちが身銭を切って自慢の飾りを競ったのに、いまはその財力も衰えて、役所の予算に依存したら、おなじデザインの飾りが連続する「単調」になったのである。
はなから、「祭り」とは称しても、商店街の「イベント」だったのものが、いまでは「社会主義のイベント」になったので、だれも見向かないのである。
こんな平塚にだれがした?と恨み節のひとつでもいいたくなるのは人情だろうが、駅ビルに地元商店がテナント入店できないことも含めて、東京の「コピー」だけの街づくりをやっている「成果」なのである。
おっと、七夕まつりなら、仙台のコピーだった。
今週は、テレ東の『アド街ック天国』で、横浜の「野毛」が18年ぶり2度目として登場した。
山田五郎氏のコメントに、「きれいなビルを建てることが再開発ではなくて、家賃が安いこと」との名言があった。
地方政府が直接手を出すことは、「きれいなビルを建てる」にひとしい。
しょせん、政府=行政は「予算手当」というカネでしか参与できないのである。
ならば、地元商工会でもなくて、直接に商店への飾り製作目的限定補助をするだけで済むはなしではないか?
これをやらない、市長も議会も、やっているだけ感というアリバイが欲しいのである。
そうやってかんがえたら、なるほど市民がこの「社会主義のイベント」をやらせている、民主主義なのではある。
そんなわけで、2025年の開催は、7月4日から6日までとなっている。
7日を、平塚市の休日にもできない根性なしに、6月2日を市立学校の休校日にする横浜市からの冷たい目線で眺めるのであった。