「童謡」が量産された時代

大正期のことである。

いま、我われが口ずさみ、懐かしさを感じる童謡の多くは、「大正期」に量産された。

登場するのは3大スター詩人の、北原白秋、野口雨情、西條八十であり、西條の弟子に金子みすゞがいる。

そもそもは、鈴木美恵吉の「童話集」たる『赤い鳥』刊行からはじまる。
刊行にあたっての文章に、モットーがあるので確認しておく。
資料は、『大正史講義文化篇』(ちくま新書)から、川原和枝著「第10講」である。

・現在世間に流行してゐる子供の読物の最も多くは、その俗悪な表紙が多面的に象徴してゐる如く、種々の意味に於いて、いかにも下劣極まるものである。こんなものが子供の真純を侵害しつゝあるといふことは、単に思考するだけでも怖ろしい。

・西洋人と違って、われわれ日本人は、哀れにもほとんど未だ嘗て、子供のために純麗な読み物を授ける、真の芸術家の存在を誇り得た例がない。

・「赤い鳥」は世俗的な下卑た子供の読みものを排除して、子供の純性を保全開発するために、現代第一流の芸術家の真摯なる努力を集め、兼て、若き子供のための創作家の出現を迎ふる、一大区画的運動の先駆である。(以下略)

古い表記なのはしかたがないが、書かれていることの内容に驚くのは、現代がまさに「俗悪」ばかりで、しかもその「俗悪」をおとなが意識もしていないで子供に与えることの無責任である。

ようは、大正時代よりも酷い時代になったと嘆じるしかない。

これを、「退化」というのである。

『赤い鳥』の賛同作家は、泉鏡花、小山内薫、徳田秋声、高浜虚子、野上豊一郎、野上弥生子、小宮豊隆、有島生馬、芥川龍之介、北原白秋、島崎藤村、森林太郎(鴎外)、森田草平らであった。

まさに、当代第一流の芸術家、の面々である。

こうした当代第一流の芸術家(平成・令和)の絶滅で、結局のところ彼らが書いた、いまでは古典ともいえる「童話」が残り、さらに、「童謡」へとつながって、西條八十と野口雨情、そして、北原白秋の作詞に曲がついて、ついには「日本人の心の歌」にまでなった。

そして、いまでは「巨匠」として扱われる、金子みすゞの作品が読み継がれているが、彼女は西條八十の弟子であり、その生活の不幸で自ら断った短い生涯がなおさら郷愁をさそうのである。

しかも、同時代に、「民謡」が生まれた。

なんと、各地に残る「民謡」とは、ほとんどが「大正生まれの新曲」なのだ。

現代に、将来、「日本人の心の歌」といえる「童謡」も、はたまた「民謡」も失せた。
つまり、現代日本人は「歌を忘れたカナリヤ」になっている。

西條八十が「民謡発見の旅」を昭和5年に大阪朝日新聞の依頼ではじめた。
すると、全国的にしられた民謡はごく僅かで、しかも、各地の民謡さえもえらく少ないことを「発見」する。

『稗つき節』も『五つ木の子守唄』も、西條は発見しておらず、「僕が歩いた後に、観光PR用に唄い出されたものだろう」(西條八十全集)と残している。
あの日本民俗学の始祖、柳田國男も「現存している我国の民謡の文化史的価値は存外に小さい」と書いている。

たとえば、静岡県の『ちゃっきり節』(昭和2年)は、白秋の詩作で、静鉄(静岡鉄道)が開園する「狐ヶ崎遊園地」のPRとして依頼してできたと記録されている。

国会図書館と東京都立中央図書館でしか閲覧できない、『全国観光地歌謡集成』(昭和14年刊)には、昭和のはじめからの10年間で、約800篇の地方小唄が作られていて、「社歌」なども含めると、「大正以来この数十年間は、人々が新しい歌によって新しい集団に吸収されていった時代」と前掲『大正史講義文化編』の「第12講」(筒井清志著)にある。

つまり、「童話」、「童謡」から、「民謡」へ、さらには「社歌」と同時進行でつながっていくさまは、産業化による「大衆が登場」し、明治の国家からの目線ではなく、民間からの主張が地域や企業活動を含む社会集団の団結に利用することがはじまったことを意味している。

おそらく、これが「大正デモクラシー」の基盤だったのだろう。

ちなみに、「大正ロマン」とは、前掲書「第13講」にあるとおり、なんと、1970年代に流行った「造語」で、竹久夢二の絵と化学反応を起こしたのであった。

これより前の、1960年代に「大正の再評価」が起きたことによるというが、それは昭和37年が「大正50年」だったことで、当時、壮年となった「大正生まれ」たちが自己主張をはじめたからでもある。

その記念碑的な書籍が、昭和36年から翌年までにシリーズで刊行された、『我ら大正っ子(1~4集)』(徳間書店)であった。

1集:中曽根康弘、森光子、石井久、佐藤一、水上勉
2集:藤間紫、田中角栄、力道山、岩井章、牛山善政
3集:吉田正、松岡洋子、石田博英、河合茂、佐藤英夫
4集:高木彬光、山口シヅエ、三木のり平、長谷川鏡次、藤間正子

それにしても、少子を嘆く割に、あたらしく、しかも後世にのこる童話も童謡も生まれないのは、殺伐とした時代である。
とはいえ、明治の成功と挫折のうえにあった大正期とは、その明治生まれの壮年たちがつくった時代であり、大正生まれの壮年たち世代が血を流した上で昭和の戦後をつくったのである。

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