ナンシー・ペロシ(84歳)という、現代の魔女のひとりが画策したという、「1月6日事件」を、自分から隠蔽しつつトランプ氏への責任転嫁を図った、一石二鳥の「妙案」が、じつはこの魔女による「陰謀」だったと明らかになってきた。
そのご本人は、13日、ロイターが伝えたところによると、ルクセンブルクでの「バルジの戦い80周年」行事に参加するために訪問した、大公宮殿の階段から転倒し、股関節を骨折したという。
この年齢で、股関節骨折=歩行困難になったのは、さぞや、ということで、いよいよ魔女の最後の時間となるか?と、憶測を呼んでいる。
また、RINOの親分だった、ミッチ・マコーネル(82歳)も、ときたま「固まる」ようになって、なんだかわが国の自民党副総裁たる、すが義偉氏(76歳)が「固まる」のと同じくしている。
よく転倒するようになったこの老人について、わが国の大手メディアは、「最長記録の上院院内総務を退任」とだけ伝えて、「(来年からの)次期上院規則委員会委員長」という、重職に就くことを報道しない。
なぜ「重職」かといえば、大統領の決定について、「待った!」をかけることができる権限をもつ委員会だからである。
いま、わが国の「知事職」が、あたかも「独裁的」な権限を振るっているかのようにしているが、それは「(県やら市・町・村)議会」が死んでいることにほかならない。
たとえば、奈良県知事が「韓国出張して勝手に決めてきた、Kポップのコンサート企画」も、なぜに知事だけの意向で推進できるのか?の議論が欠如しているのである。
さて、民主党にとって困ったことに、トランプ政権1.0からはじまった、民主党政権の横暴に関する批判的行動が、とうとうトランプ政権2.0では、強力に「逆転」をはじめることへの国民の期待が高まっているからだ。
このことは、連邦上院も下院もトランプ派が多数をなすということでの「実現性」が、期待されているからである。
つまり、アメリカの民主主義は、あくまでも「議会主義=議会主導」なのであって、行政府を代表する大統領 がどんなに目立っても、議会承認がなければなにもできない。
そんなわけで、ペロシが仕掛けて注目は集めたものの、あまりも内容がないので、なんなんだ?という結果になった、民主党が支配した当時の連邦下院議会にあった、「1月6日委員会」の活動を、共和党トランプ派が多数となったいまでは、この委員会活動を「捜査」する、議会内委員会が発足して、その結果発表が下院議会で行われているのである。
こうした、スリリングなことが、わが国の国会で皆無なのは、それがすでに死んでいるからである。
つまり、わが国は「議会主義でも何でもない」、なんだかわからない「形式的民主主義」という、幻影だけで政治(国府の分配)が行われている、という体たらくなのである。
それで、バイデン政権は、「事前に包括的な恩赦」を発布するという、メチャクチャをまずは息子に出して、これから多数の人物を同様に「恩赦」するという。
これを、全世界がみている中でやる、というのも、もう他にトランプ政権2.0の追及から逃れる手段がないからだろう。
ようは、起訴もされていない状況で、先に「恩赦」を発布するのは、もう、「容疑者です」と自白したも同然なのだ。
しかしながら、世の中には「得と損のバランス」があって、「恩赦」を受けた者は、偽証罪が問われる議会証言を一生拒否できない、というルールがある。
昨今、わが国の国会ではびこる、大臣職の者が、議員からの質問に「答弁拒否」することは、アメリカではあり得ない「暴挙」となるが、わが国でこれをいう議員がいないのは、国会が「国権の最高機関」であることを、国会議員すら理解していないという驚きなのだ。
なので、もっともトランプ氏への弾圧を指導した、民主党議員(連邦下院から上院へ移った)は、みずからこうした恩赦を拒否する声明を出したのも、まさに究極の選択の結果からであろう。
つまり、日本の国会議員より、これでもずっと「まとも」な認識をもっているということである。
こうしてみると、わが国の場合の「国会改革」は、いつも、議員定数の削減とかという、大勢に影響のない話にばかり向くけれど、「本筋」を書けば、国会機能の復活、一点にある。
これには、内閣が法案を提出することを禁じ、議員立法だけしかできないようにすることがもっともシンプルで、議員の選挙公報には、現職ならどんな法案に何本の関与をしたのかの記載義務をさせるべきだ。
もちろん、財務省から予算編成権を奪うことは当然だし、行政組織が予算案をつくること自体が、もうどうかしていると日本人はよくよくかんがえた方がいい。
すると、在任中に、一本の法案提出も、質問主意書の提出もしなかった=ただ議場にいた、だけの議員をあぶり出すことが容易になる。
こうした場合、機械的かつ自動的に、議員辞職勧告がでて、任期中の回数制限によって、強制辞職=除名の他に、公民権の剥奪=被選挙権の停止があっていいのである。
こうして、「1月6日事件」という、あたかもわが国には関係のないことも、けっこうな関係があることがわかるのである。