昭和15年(1937年)に海軍大将・末次信正(前職は「連合艦隊司令長官」)によって記され、陸軍中将大島浩によって責任編集された叢書が85年ぶりの2022年に『日本とナチス獨逸』として復刻した。
冒頭、大島による刊行の言葉には、いきなり意外なことが綴られている。
「支那事変を契機とする皇道世界維新の発展は、これに呼応する第二次大戦により、欧州全土を独伊枢軸ブロックと化し、この世界史的転換は、まさに、英米民主主義共同戦線を結成せしめ、インド、南洋、豪州、カナダ等全面にわたる対日封鎖陣を形成せしめんとする。」とある。
つまり、この陸軍中将は、わが国から対日封鎖陣をつくらせた、というのである。
このことは、「札幌学派」を名乗る、ユーチューバーの発見、「ハルノート」は日本側で書かせたという主張と重なる。
つまり、開戦の主導権は、日独伊の枢軸側にあった、と主張しているのだ。
そして、ナチス・ドイツのこの時点における「勝利」の原因を、下記のように解説している。
「まさに新興ドイツは、我が日本の国体を研究し、日本精神を体得して、荒廃せんとする旧欧州に、新しき世界を建設せんとする。」と。
これは、シュペングラーの『西洋の没落』を意識したことからとおもわれる。
すなわち、本書の目的は、ナチスを知ることすなわち日本を知ることとし、現下(当時)におけるわが国がなすべきことに、「明解なる解答を与えんとするものである。」としているのである。
これは、いま、その後の歴史をしっているわれわれが読むことでの「明解なる解答」とは意味が異なるが、はたしてわれわれがいましっている「歴史」が本当なのか?どうなのか?は、いろいろと吟味する価値がでてきているのも、また現代の事実であろう。
さて本文に入ってからの当時の現状認識における「支那事変」の構造が、今のウクライナとよく似ており、わが国の立場がロシアで、ウクライナとこれを支援する国家群との関係が、蒋介石の南京政府と英米となっていることは、あんがいと重要なのである。
しかも、日本の傀儡だと習う、汪兆銘政権すら末次は信用せず、「向こう側」としている。
かんたんにいえば、当該国の立ち位置をかえたり、かえなかったり(英米)はするが、壮大なワンパターンなのである。
それに、当時は独伊によって「欧州戦」も始まっていたが、これは今ではイスラエルによる中東を舞台にして「開戦」している状態なので、主役こそ異なれどそっくりなのである。
また、手すき状態で日本(東アジア)と対峙できる状況にあったのは、当時のアメリカであったが、今は英国と日本がアメリカ(トランプ政権2.0)に対峙することになっていて、ついぞこの15日に英国がTPPに正規加盟したことにも注意したい。
つまり、似たパターンで登場人物を換えた東アジアにおける「仕込み」はじまっていないか?
こうした「そっくり」な状況に、対応が異なるのはロシアであって、当時の大失敗した日本の二の舞を踏まぬように用心深く、かつ、これにトランプ2.0が加わって、以上のワンパターンを壊そうとしているのである。
それに当時は、旧秩序と新秩序の決戦という見方であった。
旧秩序とは、自由経済体制の行き詰まりによる西欧社会の没落のことで、新秩序とは、全体主義による新し理想社会の建設であった。
なんと今は、グローバル全体主義の旧秩序(西側)と、自由経済体制の新秩序(ロシア+トランプ政権2.0)という逆転の構図なのである。
これを著者の末次大将は、支那事変は誰が敵なのか?と問うて、蒋介石でなくその背後にいるものだというのは、いまのウクライナの背後は誰か?という意味となって、ついにそこに日本が入っていることの、戦後日本人の歴史観のなさ(無反省)が嘆かわしいのである。
しかして、海軍大学校を主席で卒業し軍令部作戦部長、第一次近衛内閣で内務大臣をつとめ、東條と首班を争い最後は大政翼賛会議長にまでなった末次ではあったが、戦局が厳しくなると、軍令部総長への復帰も画策されたようだ。
本人は昭和19年に急病で没(64歳)し、その後の「敗戦」をみることはなかった。
かくも秀才かつ各重職を歴任した人物の、世界大局の「読みの甘さ」を指摘するのは、いまだから簡単だが、その「誇大妄想」は、もしや陸軍の石原莞爾を意識したものか?
ナチス(国民社会主義ドイツ労働者党: Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)やファシスト党を、日本が利用する、という発想が、都合のよい誇大妄想なのである。
だから、海軍軍令部長まで経験している末次をして、全ヨーロッパが独伊に征服され、英国はカナダに亡命政権をつくる、とまで確信していたのだろう。
キーとなるのはソ連の動向であって、ナチスやファシスト党の全体主義と、ソ連との「親和性」から、ソ連が英米と連携するはずがないと結論付けたことが、根本的な間違いであった。
これらの「近親憎悪」に気づかなかったことが、痛恨なのだし、ソ連革命をなしたのが、アメリカのウォール街とつながる大富豪たちが提供した資金であったことも知らなかったのか?
ところで、来年2月の総選挙が決まったドイツでは、シュルツ首相による「お別れ演説」があった。
この締めくくりが、「ウクライナに栄光あれ」であったことが、話題になっている。
なんと、このひと言で、シュルツ氏は告訴されたからだ。
なぜならば、ウクライナ民族者組織のスローガンだからで、この組織は過去にナチスに協力し、戦争犯罪に関与したことでしられているからである。
そんなわけで、末次でなくて、むしろ戦後の日本人は、ナチスやファシスト党についての知識が薄い。
ただ「悪い奴ら」では済まない問題があるのは、その被害がまだ現実にあるからで、そのことも戦後日本人は意識もしないからである。
つまり、逆に利用されやすいのだ。
こうして、1939年(昭和14年)に、「欧州情勢は複雑怪奇」だといって総辞職した、平沼騏一郎内閣があったことも、なんだか昨今の安倍内閣以来の「怪奇」をおもうと、歴史は繰り返しているとしかおもえないのである。