いまさらだが、『ベルサイユのばら』を集英社文庫版で読んだ。
1972年から翌年までの連載が発表の時期だから、半世紀以上遅れてのことである。
最終巻の巻末に「執筆参考資料」として26作が挙げられている。
主たるものは、筆頭にある、ツヴァイク著『マリー・アントワネット』(角川文庫)だというのは、池田理代子氏も執筆動機として告白しているとおりであろう。
しかし、このシュテファン・ツヴァイクという「伝記」の第一人者は、あんがいと観てきたような嘘を書く名手でもあるのだ。
それが、『マリー・アントワネット』でも存分なく発揮されているから、ちょっと司馬遼太郎の作品群のように、歴史捏造の悪さもしていることに注意がいる。
それでも池田氏は、なかには、『世界の軍服』(婦人画報社)や、『軍隊内務班』(東都書房)、あるいは、『馬術入門』(ダヴィド社)など、なるほどとおもわせる資料が挙げられていて、大変興味深い。
そういえば、「日本軍」のしくみや、組織内の基本的な情報を体系的に整理した書籍をみたことがないことに気づいた。
とくに、陸軍と海軍は別組織なので、あっさりと「日本軍」とまとめてしまうこともできないのだが、兵卒の募集から徴兵、訓練と内務までもふくめた仕組みをどこまでいまの日本人が理解しているかといえば、経験者がほとんど物故したいま、直接はなしを聞く機会もないから、文字で読むしかなくなっている。
現代という意味でも、自衛隊のそれをしっている一般人は少数だろう。
そもそも、軍政の陸軍省・海軍省の仕事内容や、作戦の参謀本部・海軍軍令部の区分けすらわからないで、軍を語ることの無責任を問われることもない適当さなのである。
くわえて、将官クラスに昇進した幹部は、「少尉任官」というスタートラインが世界のお決まりであるのは、それが「貴族」ゆえの身分だったことに理由がある。
つまり、四民平等を達成したかにいわれるわが国においても、自由の国アメリカにおいても、士官学校やらを卒業したら、「少尉任官=貴族=管理職」からいきなりの職歴がはじまるので、「兵」で採用される者との身分差は、一生縮まることはないのが、軍という組織の世界共通なのである。
戦争が兵隊同士の闘いだった時代は、ずいぶん前に終わっていて、民間人を巻き込む「無差別攻撃」が行われたのは、あの「ゲルニカ爆撃」(1937年4月26日)をもって初とする。
「ウクライナ」では、ウクライナ軍がウクライナ領土内の一般ロシア語話者たち(=国籍はウクライナ人)を万人単位で無差別攻撃していたのがロシア軍が動いたトリガーとなった。
フランス革命はバスティーユ監獄が陥落したことをもってはじまりとするのが「歴史」の教科書で習う暗記要件であるけれど、架空の主人公オスカルはみずから率いるフランス衛兵隊を市民側に寝返させたことで、監獄守備にあたる国王派ドイツ人騎兵連隊の放った凶弾に倒れる設定となっている。
なぜに、そこにドイツ人騎兵連隊が、また、歴史の事実でスイス人連隊も監獄守備にいたのか?は、あんがいと些事として無視される大事なのである。
けれども、本作では、なぜにオスカルは寝返ったのか?の方に話の重心がある。
それは、ロベスピエールとの出会いの設定や、ジャン・ジャック・ルソーの思想への密かな共感と傾倒があってのことという前提のエピソードがあるからだ。
さらに、オスカルがエリートの近衛連隊からフランス衛兵隊への転属を自ら望みながらも当初、「女」であることを理由に部下たちから集団で拒否され、ために、人心を掌握するための苦労もその思想と結合した結果なのだと、作家は訴えている。
ここに、日本人の琴線に触れる感性がある。
しかして、その日本では教育学の基礎として学生に、ルソーの『エミール』を読ませる、世界に類のない不可思議な慣習がある。
そのルソーは、自らの子供を5人も見棄てているから、有言不実行どころのさわぎではない。
「教科書裁判」でしられる、家永三郎すら、ルソーは強度の精神障がい者であると書いた。
わたしには、印象深い映画として、『子育てごっこ』があった。
この直木賞作品は、反エミールではないのか?
『ベルサイユのばら』における、生と死、は、マリー・アントワネットとの対比を中心に構成されており、オスカルの死はその後のフランス革命のグダグダな殺し合いを知らずに済んだことのラッキーすらあるのだ。
しかし、一方で、ジャン・ジャック・ルソーの思想があたかも崇高なままに固定されていることの恐怖が残る。
文庫版では、「外伝」として、『黒衣の伯爵夫人』が続いている。
この短いエピソードは、終わりに作家のコメントがあり、16世紀末にハンガリアであった実話からヒントを得たとある。
その実話とは、600人以上もの少女を殺した、エルザベート・バートリ伯爵夫人の猟奇的犯罪なのである。
この話を「外伝」としたことで、ルソーかぶれが読者から解ければいいものをとの想いが作家にあったとかんがえたいが、だからといってオスカルがルソーかぶれの挙げ句に亡くなったことが晴れるわけでもない。
もしも、オスカルが実在して、バスティーユで勝利者となって生き残ったら、はたしてどんな罪で断頭台に消えたのか?という想像が容易なのが、フランス革命の恐ろしい本性なのである。
おそらく、ジャコバン党の幹部となって後、ロベスピエールかサン・ジュストによっておとしめられたであろうし、このふたりを断頭台に送り込む側にオスカルが廻るともかんがえにくい。
オスカルは、ホンモノの高貴な精神が宿る貴族だったからであって、ナポレオンの時代にも王政復古の時代にもついていけない予感があるのはそのためだ。
なんにせよ、かくも悲惨な統治とその反動である革命の嵐が、わが国の歴史ではなかったことがもっとも重要なポイントである。
もちろん、「太陽王」の超絶的な頂点からの没落、という長さでみれば、まったくもっていまヨーロッパで流行っている『平家物語』の時代の先端が光る。
つまるところ、日本は欧米に遅れている、というフレーズに明治からずっと振り回されているが、ヨーロッパが900年遅れているのである。
すると、「舶来」の価値の薄っぺらさもここに極めり、なのである。