半世紀近くもワシントンに在住の、伊藤貫氏を、ただ「評論家」と評するには、今どきの「大学教授」と似て価値が低すぎる。
伊藤氏の説得力の源泉には、並の大学教授以上どころか、一流の大学教授以上の読書量だけでなく、実際の取材経験も含めているのでたいへん具体的な事例紹介を伴うばかりか、ちゃんと土台に哲学的考察の地ならしがある。
こういっては失礼を承知であえて評すれば、気がついたら論客としてトップランナーになっていた、ということだろう。
むしろ、伊藤氏の論説を「論破」することは困難だし、その努力も無駄になるのは、反論の根拠を探すのが困難なほどに根拠がある論を展開されているからである。
さてそんな「知の巨人」化した伊藤氏が、自らユーチューバーとなって、「講義」活動をはじめられたのである。
わが国には独自のSNSがないために、情報プラットフォームも、アメリカ依存に甘んじている。
残念ながら、頻繁に改訂される「利用規約」で、すっかりプラットホーム提供者による言論統制が日常になっている。
これを横目に、真似っこしてやろう!というのが、日本政府による「パンデミック言論統制」の実行計画だ。
なので、伊藤氏のこの活動のどこまでが許容範囲なのか?すら、プラットホーム企業の胸の内にあるし、内閣官房とか内閣府、それに総務省とか、得体のしれない役人がチェックしているかもしれないし、予算がほしい大学教授がなにかの審議会で自慢げに披露して、ドヤ顔をするのかもしれない。
したがって、視聴可能なときに観ておかないと、あるいは、「録画」でもしておかないと、消去されて「無かったこと」にされかねないのである。
プラットフォーム企業の独自判断だけでなく、政府からの要請(といういい方での「強制」)もあることが、今国会(参議院)で明らかになっている。
これは、ニュースに流れないものはニュースではない、という既存の状況をさらに悪化させたものだが、削除の基準がプラットホーム側の判断に委ねるなんでもありプラス政府の意向という構造なので、作者側が自主規制をしても対抗不可能なのである。
さてそれで、9日にアップされた「シリーズ1回目」では、昭和天皇や芦田均(いわゆる「芦田メモ」)の具体例から、対米従属を「国是」としたことが解説されている。
これを、「戦後レジューム」といえるし、「戦後ストラテジー」ともいえる。
安倍晋三氏がこれからの「脱却」をどこまで真剣に構想していたのか?は不明だし、わたしが「言葉だけ」だとかんがえているのは、最長政権にあってその片鱗も示さなかったからである。
しかし、「何かあった」はずなのは、暗殺された事実が示している。
つまるところこれ以降、アメリカはソ連崩壊直後に国家戦略を書き換えたが、わが国は戦後レジュームのさらなる強化を、一心不乱に実行していることの根拠になっているのだ。
まさに、「暗殺効果」による強迫観念からの行動にちがいない。
すると、わが国は「敗戦」によって、とっくに滅亡したのだと確信する。
独立国家のような風情でいるけれど、国民に独立の気概もなにもなく、見事に計画通り「堕落」したが、それは日本人が自ら希望した「生き方」が原因であったのである。
伊藤氏は、上に書いたように、タブー中のタブー、昭和天皇にも言及している。
幼少時より「帝王教育」を東宮御学問所という特別学校で受け(「学習院」ではない)たのは、英国流の刷り込みのためであったかと腑に落ちたのである。
怪しい男、白洲次郎と吉田茂が跋扈できたのも、天皇との親和性が、「英国」というキーワードでつながった。
それでもって、今上陛下も英国留学をされたのか!と。
壮大なシェークスピア劇のような英国風歴史絵巻が、リアルに上演されているのである。
テーマは、奴隷に奴隷であることを気づかせない悲喜劇である。
舞台は、最終幕に突入し、いよいよ「滅亡」のクライマックスがはじまったようにみせて、じつはとっくに滅亡していた、というオチにちがいない。
小松左京の『日本沈没』では、国土を失った日本民族が世界に「ディアスポラ(民族離散)」するシーンで終わるが、リアルなこの世では、国土があってもディアスポラする、人類史上初の恥ずべき運命が待ち構えている。
さては、「大どんでん返し」はあるのか?
主人筋にあたるアメリカにトランプ政権が誕生する以外はないけれど、アメリカ自体の国力を削ぐ努力をした、オバマ・バイデンによって、東アジアのパワーバランス壊れていて、わが国は形の上での独立すら困難な状況で、「間に合うのか?」というハラハラ・ドキドキになっているはずなのだが誰も気づいてはいないのである。
日本政府が自ら、日本滅亡=ディアスポラの計画実行中なのを、日本国民に秘匿しているからなのだと、伊藤氏の講義で理解できるのである。