『チ。』と本作について関連づけて書いたが、いよいよ本作の最終話(第13巻)をみたので書いておく。
読後感想としてはじめにあるのは、日本仏教とは、ほんとうに仏教なのか?なる疑問である。
昨年の正月に観たのは、1961年公開の大映が総力を挙げたスペクタクル映画『釈迦』であった。
ややこしくなるのは、「釈迦」と「釈迦如来」のちがい、である。
「釈迦」は実在した仏教の開祖(いまのネパール南西部ゴータマ・シッダールタ)、をさし、「釈迦如来」は、悟りを開いた後の「仏陀」になったお姿を仏像にしたもの、である。
それで、「仏陀」とは、悟りを得ることをさすので、特定の個人をさすのとはちがっている概念なのである。
ここに、入れ子構造があるし、一神教的「神」とはちがうのに、なんだか「神々」といった扱いと混同してしまうのは、西方のギリシア神話との交わりが関係しているのだろう。
だから、仏教をしるには、キリスト教など他宗教の知識がじゃまになるのである。
むろん、キリスト教も、ギリシア神話だけでなく、たとえば、キリスト教が普及するよりも古くから北欧に伝わる「妖精の森」といった伝説が混じって、さらに「天使」との関係とか、「精霊」とのちがいとかと、これもけっこうややこしいのである。
この意味で、あらゆる宗教が「宗教になる」には、超自然的な現象や奇跡を信じることが前提となっている。
オリジナルの『西遊記』自体は、仏教、儒教、道教やらをパロディとして扱っているために、存外に「無神教」的な文学作品なのであると前に書いた。
破天荒で、なんでもあり、なために、芥川龍之介が幼少時から愛してやまなかったことの重要性がここにある。
その芥川の後輩にあたる天才が三島由紀夫で、三島をして『家畜人ヤプー』を戦後日本文学の金字塔とまで絶賛せしめたのはなにか?を問うと、芥川龍之介の『西遊記』絶賛につうじるものさえ感じるのである。
想像力の爆発。
しかして、本作がどのような青少年・少女を対象としているのか?は、掲載が「少年サンデーGXコミックス」なので、10代後半からの男性層であるとかんがえられる。
すると、これは一種の「恋愛・性愛マニュアル」だけでなく、一種の「女性理想像」を埋め込む機能も想定されていないか?と勘ぐるのである。
つまるところ、「少子化対策」の根底を刺激する意図があるかもしれない、と想像を膨らませる。
作者の、クリスタルな洋介氏にきいてみたい。
いやいや全部がパロディーです、との返答があるやもしれぬが、それはそれで想定内である。
ところがまた、『乙嫁語り』との併読で、あんがいと強力な相乗効果があるのではないか?
こちらは、おとな向けではあろうけれど、意外にも集合論的に被っていないか?と期待したくなるのである。

