チャールズ・ディケンズの『二都物語』は、1859年(安政6年)に発表された。
日本的には、「ロン・パリ」の話であるが、けっして斜視のひとがでてくることはない。
物語の時代は、パリではフランス革命の前夜からで、ロンドンでは英国保守主義の父とされるエドマンド・バークが冷ややかな目で観察していた。
このバークの親友に、かの、アダム・スミスがいる。
さいきんになって、アダム・スミスが見直されてきている、という。
そのきっかけとなった一冊が、現役の英国保守党国会議員、ジェシー・ノーマン氏の著作、『アダム・スミス 共感の経済学』(2022年)だ。
ここで、ノーマン氏は、アダム・スミスが長年、まともに読まれていない、誤解だらけだと指摘している。
これはなにも、アダム・スミスに限ったことでは無くて、たとえば、ハイエクの『隷従への道』(日経BPクラシックス、2016年)の「序文」で、ハイエク全集の編者ブルース・コールドウェル教授は、「読んでいないのに批判するひとがいる」と批判している。
ちなみに、上の二冊は、翻訳が村井章子女史だという共通がある。
アダム・スミスなら、経済学徒でなくとも有名な、「見えざる手:invisible hand」と原文で書いているのに、これを「(神の)見えざる手:invisible hand(of God)」と、勝手に「神の」をつけ加えて、意図的な誤解の上塗りをしているのである。
ここから、アダム・スミスは、自由放任主義者である、という一般的な誤解が、そのまま専門家たる学者間でも通用するようになってしまった。
おそらく、こういったひとたちは「読んでいない」のだ。
さらに、アダム・スミスには、この『国富論』よりも前に、『道徳感情論』を執筆し出版しているから、この二冊をセットで捉えなければアダム・スミスを理解できない。
そして、幻の『法学講義』原稿が発見されて、アダム・スミスの論は少なくとも「三部作」で構成され、全体での理解が要求されることがわかってきた。
これを、いまさらの2022年になって活字になったのを、我われはどう考えるべきなのか?
そのノーマン氏も、英国保守党の国会議員にして、この度の「歴史的大敗北」を喫したことの責任の一端が問われるのである。
21世紀の「ニ都物語」は、2024年の7月というほぼ同時に、ロン・パリで実施された総選挙で、ディケンズの話とは真逆の結果となったのは、なぜか?
ロンドンでは、グローバル全体主義に落ちた保守党に代わって、より確信的で強固なグローバル全体主義・労働党を選択せざるを得ないように追い込まれた(過去からの選挙制度が効いている)国民からしたら、労働党政権では英国の没落に歯止めがかかるばかりか加速することが決まったも同然なのである。
これを、BBCが煽って国民を洗脳せんと活動しているのだ。
よって、圧勝なのに、あんがいと労働党政権は脆いはずなので、英国に再度嵐のような政治の風が吹くのか?が今後わたしが注目したい点なのである。
一方で、パリでは、グローバル全体主義の嚆矢となった、フランス革命が大反省されて、あたかも、シャルル・ド・ゴールの再来のようなナショナリスト政党が、「極右」と「極左」からレッテル貼りをされながら第1党になったのである。
70年代からさえも、真逆なのだ。
ロンドンでは、ハイエクの『法の支配』を掲げながらも、わずかな閣内経験しかないサッチャー女史が大勝利し、パリでは、社会党が推すミッテランが大統領になってより強力な社会主義政策を実施したのだった。
まさに、エドマンド・バークがいう、フランスの失敗が再びはじまったのだが、それは本当に、理論通りの絵に描いたような結果になったのである。
しかして、保守党はサッチャーを失脚させた時点から、何らの進化も、思想体系の塗り替えもせず、ただグローバル全体主義にはまり込んだのは、帝国の繁栄に陰りが見えてからはじまり、労働党との競争(バラマキ合戦)になった、「揺り籠から墓場まで」を狂ったように実行したのと同じ、先祖還りをした結果とも言える。
ならば、アダム・スミスを理解する、若いノーマン氏に期待したいところだ。
ところで、「東京」はどうなのか?
保守党よりも悲惨な自民党に、英国労働党よりも筋が通らない野党が、ふらつきながらいるだけの状態なので、ノーマン氏のような理論武装ができる議員もひとりとして存在しない有様なのである。
それにこの都知事選の不毛が重なる。
もはや東京は、「三都」にも数えられないことになるだろう。