むかしのアルコール類のCMに、「いいひとって寒いですね」というセリフがあった。
だから、酒でも飲んであったまりましょう、ということなのだが、「あったまる」ということにも気をつかったのが、むかしの宣伝マンの常識だった。
スキがないのである。
これが一流のコピーライターの仕事というモノで、その仕事を評価できるひとがいた、ということである。
だから、ひとはこうしたコピーを「すごい!」といって持ち上げるけど、ほんとうにすごいのは、これを決済して世に出すことを許した上司であった。
明石家さんまが軽く、「しあわせってなんだろう、なんだろう、キッコーマン、キッコーマン」と言ったのは、いまでも傑作のひとつだろう。
家族が囲む食卓にこそ、しあわせがあって、そこにはかならず「キッコーマンの醤油がある」と、日本国民に擦り込んだのである。
だから、宣伝の部下と上司の間には、できるモノ同士の一体感があって、それが信頼関係になっていたのである。
むかしは「ポリコレ」なんて言い方はなかったけれど、もっと「上」からの命令が、「ことば狩り」になって、言っていいこととわるいことを決めるのが上司の役割になってしまったので、いよいよパワハラの時代がやってきた。
そのことのはじまりは、明治「新」政府がけっこう早い時期からやっている。
それもこれも、江戸幕府のやり方(言論統制)を真似たという話があるけれど、明治新政府がやったのは英国流の最新(プロパガンダ)を導入したことであった。
なので、古い江戸幕府の伝統的やり方に沿った、宮武外骨が反発したのであった。
ところが、そんな政府やらGHQやらの言論統制が、「ふつう」になったので、これを悪用の統合で日和った「言論業界」のひとたちがカネのために、なんだか「業界倫理」になってしまった。
それで、一般人のまじめで進歩的なひとたちには、「道徳」に変容して、とうとう言論統制を個人の会話で言うようになったのである。
それが、「それは言ってはいけない」のひとことなのだ。
たとえば、バスや電車の中で平然と大声で通話をしている外国人に、「土人」と言ってはいけないとかがある。
おなじ場所で下車して、「土人がうるさいんだよ!」と、その土人に聞こえるように言った(残念ながら聞こえていないらしかった)ら、「土人なんて言ってはいけない」と日本人の友人にとがめられた。
でも、「こいつらは土人に違いないから、土人に対して土人と言わないのは失礼だ」と言い返したら、もっとその友人はわたしに対しての怒りを露わにするのである。
とにかく、土人に向かって「土人」と言ってはいけないらしいから、だったらなんと言えばいいのかと聞いたら、彼はことばを失った。
なんと、彼自身も「土人」にかわることばをしらない。
「もしもし、そこの未開人のひと、ここでの通話は遠慮なさい!」では、やっぱりはなしが通じないことはわかっているようである。
まさかとおもって、「土人」を差別と思っているのかと聞いたら、やっぱりで、「差別と区別」が使い分けできないのである。
だから、『ちび黒サンボ』が排除されたことも、よくかんがえてはいない。
いまでは「禁句の塊」の物語ではあるけれど、わたしは、この物語の主人公、ちび黒サンボの機転にえらく感心したのである。
この物語は、けっして「ちび」であるとか「黒」であるとかは関係なく、むしろこれらを礼賛している先進性の方に重点がある。
このはなしでは、上にいう「土人」が想像もできないからである。
これをいうと、彼も同感だという。
ならば、なにが問題なのかと問えば、やっぱり答がないので、これ以上追及したら人間関係がこわれるのでやめた。
それで困った彼は、わたしの頭を、「バカ珍が」と言って軽く叩いたのである。
「言語」が詰まった結論である。
そんなわけで、「土人には土人と言ってあげる」というのは「善意」であることがわかる。
差別ではなく、あくまでも区別だ。
じつは、もっと恐ろしいのは、「黄禍論」なのだ。
白人は、黄色人種をどのように蔑視していたかがわかるし、当然だが、いまも「深く潜行している」だけで、本質的な蔑視感覚はなにもかわってなんかいない。
それが証拠に、白人主義者のはずのトランプ氏への黒人やエスニックの支持が急速に広がっていて、とっくに「人種差別はいけない」と口だけの民主党バイデンへの支持を超えてしまった。
言葉がでてこないほどかんがえが薄い脳天気な日本人のために、あの森林太郎(鴎外)が、国会図書館に『黄禍論梗概』として、明治36年の早稲田大学にての「課外」講演録がのこっている。
これをくだんの友人は、みることも拒否したのである。
さてはこの6年後に、『横浜市歌』を作詞(明治42年)した、森林太郎である。
しかして、こんなことをいまの横浜市の市長も職員も、しったことではないし、「言ってはいけない」になっているにちがいなく、まじめな市民を洗脳しているのである。