いまさらの「線形代数」

わたしが現役高校生だった、あらためて思い出すとえらく遠いむかし、「数ⅡB」という教科で悩まされたのは、「微分」と「行列」だった。
入学して早々には、「因数分解」をとにかくひたすら理由も訳もなく、暗算で解答させられたのがトラウマになっている。

いまの高校生は、「行列」を倣わないで卒業するというから、羨ましいような、それでいいのか?という気分になる。
とはいえ、「おっさん」から「爺い」になってしまって、偉そうに孫のような高校生に対して「ずいぶん楽してるじゃん」とはいえない。

「行列」やら「ベクトル」なんて、ぜんぜん覚えていない自分がいるからである。

なんだかんだと、会社員をやっていたときは、「数字」を扱わされた。
だいたい、宿泊業界を希望したのは、数字が嫌だったからだが、ビジネスとして捉えれば、どの業界に行こうと「数字」から逃れられるわけがない。

そうかんがえると、早くから覚悟を決めた方がよほど楽ができるし、周辺が苦手で逃げているばかりなら、えらくチャンスがふえる。

いまの「高等学校」の教育レベルが、かつての「中等レベル」だとしって驚くのは、残念ながら当人たちではなく、上の世代ばかりだろうし、もっといえば、「旧制高校」のレベルの底知れぬ高さに唖然とするのである。

そんなわけで、尋常高等小学校をでて進学した、かつての中学生が習うレベルが、いまでは大学での授業となっている。

この「間延び」は、人生50年からもっと間延びした人生100年なる、ただ生きている状態の間延びになったから、10代から徐々に間延びしていく加速度すら感じるのである。

むかしの悩める10代は、人生論を読みまくっておとなに成長したが、いまはどうやらぜんぜんちがう。

しかして大学では、高校で習ってくるはず、という一方的な教授陣の手抜きがあるので、30年前と換わらぬ講義ノートをもって教壇に立つ大教授がいるらしい。
わからないなら、それはぜんぶ学生のせいだという割り切りは、たしかに社会とはそんな感覚でできているといえなくもない。

もっともそれが、パワハラの原因たる発想だ。

それならば、という商品企画から、中学生向けをいいながら、文科省の指導要領からおおきく逸脱した、「線形代数」のテキストが生まれるのである。
たぶん、こうした本を手に取るのは、ちんぷんかんぷんの果てに追い込まれた、現役大学生にちがいない。

それでもって、「行列」の掛け算の方法を思い出した。

だからこれが一体なにをやっているのか?
高校のとき、それを習わなかったことが、とくに悔やまれる。

ようは、直線式たる方程式の解法でもあるのだが、こうした「直線」で表現できる事象が世の中にあふれかえっているのである。

たとえば、「売上の推移や予測」も、直線上にある、とかんがえれば、イメージがハッキリするだろう。
もし、曲がっていたら、そこは微分の出番なのだし、近似値の直線式を求めることだってできるのが線形代数というものだ。

そうなると、積み上げ計算による方法とあわせて、より明快な予測ができる可能性が高まる。

当然に、これにまた、確率・統計が加わるのである。

観光系では、人数や部屋数、あるいは席数といった「数」がでてくるのは当然だが、これはまた「離散数学」という分野の範囲にあって、ついには「グラフ論」にまでなる。
あたかも「離散家族」のようだが、一般の数学では数は連続していると前提するのとちがって、離散数学では、1個1個別の数として扱うから、人数とか席数と合致するのである。

「ビジネス・専門学校」でこれを教えるといいのに、とおもうのはわたしだけか?

ただし、それで新入社員が先輩に知識をひけらかすと、妙なパワハラを受けることにもなりかねないから、世の中は面倒なのである。

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