いつだって人間の住む時代空間は、「狂気の時代」なのかもしれない。
31日、フランス裁判所はマリーヌ・ル・ペンを政治的に抹殺した。
適度な風刺はガス抜きとしての役割を担うことがあり、それがまた製作者の思いや狙いとはかけ離れた受け止め方をされても、どうにもならないことが「大衆社会」のふつうなのである。
ましてや、「資本主義」というものの定義がはっきりしないし、そもそも「資本主義成立」に関する確立された定説はいまだに存在していないことも、ひとつの驚きである。
マルクスが考案したこの「資本主義」という政治・経済用語は、共産主義(社会)ありき、からの演繹(引き戻し)として、歴史の発展過程に「あるべきもの」として描かれたのだった。
それは、『ユートピア』と同様に、本来「あり得ない世界」だったものが、あたかも「理想社会」としての「用語」に変化したのと似ているし、そうしたのは共産主義者たちだった。
マルクスは、理想社会としての共産社会を先に描き、遅れているはずの現実社会を勝手に「資本主義(社会)」だと命名したのである。
古代から中世に変わって、長く暗い時代が続いた、というのはずっと後からやってきた「啓蒙主義」からの上から目線での過去評価であるから、後から「中世」といわれる時代に暮らしたひとびとは、自分たちが中世時代に暮らしているという感覚があったわけがない。
するといま、「ポストモダン」という時代に暮らしていると信じるわれ我は、ずっと後世の子孫たちからなんという時代に暮らしていたのか?について知る由もないのである。
ただひとつ、延々とマックス・ウェーバーが語るドイツやプロテスタントの教義の特徴が、突如にして英国での「資本主義」となることは横にしても、英国で起きた「産業革命」とは何なのか?について、資本主義抜きでかんがえたら、単なる大量生産技術の発明による過去にない「大儲け」の時代がやってきただけの話になる。
ただ、英国ではたまたま王権が厳しすぎることから、議会が王権を抑制し、「共和制」としたが、名誉革命では王政復古となって、「立憲君主制」になり現在につながる。
はなからヨーロッパには、王侯貴族が中心の身分制があったので、新興の金持ちに「爵位」を与えて既存体制に組み込んだのが成功して、ついに庶民は奴隷の身に堕ちるしかなくなったのが大陸に波及していまのヨーロッパ身分社会が完成したとざっとかんがえている。
この体制にも与しない、もっと大金持ちになったのが、中央銀行=イングランド銀行を所有することになった一族であり、彼らの親類縁者がヨーロッパの銀行を制したのである。
それで、新興国アメリカの中央銀行も、アジアの英国植民地たる日本の中央銀行も「元勲」なるエージェントをつかって手に入れた。
こうして、産業=Industry=実業の支配者としての、金融=虚業による圧倒的な支配が完成したのである。
そのあだ花の頂点が、昭和と平成の境目にあった「バブル経済」で、爾来、わが国の実業界も虚業に支配されることとなっていまにつづくのであった。
つまり、ヨーロッパは三層あるいは四層構造になっている。
最下層は、農奴(serf)の子孫とその系統で、日本では左翼学者やらが小作人を同列にしたがるが、日本の小作人は農奴よりはずっと自由な身分である。
次が自作農で、これの延長に「領地」を持つ地主貴族がある。
主たる産業が農業だった時代のヨーロッパでは、これらの領地の奪い合いが「騎士」と「王」を生んだので、日本における平安貴族の荘園と管理人たる武士が似て非なるものなのに、左翼たちの比較対象になる特徴がここにもある。
長い間、こうした土地持ちの親分が「王国」をつくり配下に爵位をもった土地持ち貴族(不労所得生活者)が農奴を支配したし、権威としてローマ教皇からのお墨付きを得るのがヨーロッパのしきたりだった。
この実態がよくわかるのが、長編映画、『1900年』で、ついこの前の時代を鮮明に描いているこの作品は、じつは「記録映画」なのである。
それで、王と商工人と農奴に分離して、近代になると商工人から産業資本家が勃興し、その資金をユダヤ系の金細工職人が「預かり証」としての「通貨発行」を担って、莫大な富を得、ついには王権の上を越えたのが、あの一家なのである。
ために、古くからの土地持ち貴族の秩序を守りながら、新興ジェントルマン層にも爵位を与えてバンランスをとったのが、「Sir」という身分になっている。
これらを括って、一般庶民の上にある層として、最上位に王権とそれ以上の大富豪としたのである。
しかし、ロスチャイルド家の血を引くマルクスが、働くことなく大英図書館で『資本論』の執筆に集中できたのは、生活費を得るルートがあったからである。
これは、土佐の郷士にすぎない坂本龍馬が、なぜに全国を飛び回る旅費の心配もなかったことに似ている。
できあがった『資本論』をもって世に広げ、遂にはロシア革命を成功させたのはレーニンという物語になってはいるが、そのレーニンもどうやって暮らしを立てていたのか?を追及すれば、やっぱりマルクスの家系が存分な資金を提供していたことがわかっている。
最近では、若き活動家のグレタ・トゥーンベリの億円単位の資産形成が話題になったが、彼女もおなじ家系の末裔であることが公になったのが記憶にあたらしい。
つまるところ、ソ連が共産主義国家だというのは建前で、どうしたらロスチャイルド家が一国あるいは世界を支配できるかという実験をやりつつ、いわゆる「冷戦」を通じて、武器商人とその購入資金を融通する金融業として、両陣営を顧客にすることに成功したのだった。
しかして、肥えたブタのごとく、実った麦のごとく、屠殺あるいは刈り取り時期を迎えて、ソ連を崩壊させ、ロシア人共産主義者をあたかも細菌・ウィルスのごとく世界にばら撒くことでの、次は西側自由社会を餌食にすることにしたのである。
その手始めが、スターリンに追い出されたトロツキーのアメリカ亡命だった。
こうして、こんどは、アメリカ民主党をトロツキーに乗っ取らせのための資金を提供した。
その前段階の1913年に大統領になったウッドロウ・ウィルソン時代にやったFRB創設をもって、アメリカ合衆国の通貨発行権をロスチャイルドは握る。
はたして本当にスターリンはトロツキーを政敵としていたのか?
ひとつの結果論として、自由主義国家を騙すための壮大な芝居ではなかったか?と疑いたくなるのである。
それで、アメリカには得体のしれないバラク・オバマを育て送り込んだのは誰なのか?という点と線とがつながるし、マクロンという気色の悪い人物もしかりなのである。
かくて、「司法の武器化」というあたらしいクーデターの方法を、まずはトランプに試し、失敗すると、次はどこそこと懲りずに実行したら、ついにルーマニアで成功し、とうとうそれがフランスにやって来たのである。
なお、同日、英国では「おなじ犯罪」を犯しても、白人はより重い刑とする法ができて、これを「平等主義」というダブルスタンダードで説明している。
つまるところ、「反自由主義革命」の嵐が、フランスに吹くという歴史的な事態を目撃するにいたり、英・仏につづいてドイツでも政権に歯向かうAfDを禁止する法案が通るかもしれない状態になっている。
A.I.が自動的にサジェスチョンする「広告」が、エッフェル塔を背景にした日本人の俳優たちによる楽しげな「フランス・グルメ旅」募集を示す。
ル・ペン裁判の記事にからませていることは明白で、そのトンチンカンがなんともいえない悲愴感を醸し出すのは、まさに、「無知でトンチンカンな日本人」を強調するからである。
かくもヨーロッパは狂いけり。
目覚めたアメリカ・ロシアを横目において、深刻なおバカ状態がわが日本の実態なのだと、あらためてあぶり出されてしまったのである。