日本人の大半が、給料取り(勤め人)」になったのは、大正時代からのことである。
エリート教育をしていた、旧学校制度(旧制)の頂点に君臨した大学には、よほどの経済力か学力がないと進学できず、それなのに、「大学は出たけれど」といわれたのもこの頃の大戦不況がそうさせたのである。
なお、よほどの学力があっても経済力がない家の出ならば、「出世払い」を前提に、担任教師や校長、あるいは地元の資産家などが学費を出してさらに有力者(政治家や高級官僚、財閥の幹部など)の「書生」にして生活の面倒もみたのは、「郷土の星」を育てる江戸期(幕藩体制)からの人脈の伝統が残っていたからだった。
また、小説の神様、志賀直哉が発表した『小僧の神様』は、大正9年の発表で、有閑貴族との社会的コントラストが描かれている。
それでもまだ、わが国は農業が最大産業だった。
農家の次男坊以下のひとたちが、大挙して都会に出たのは、「口減らし」と産業資本(重化学工業)企業からの「求人」とが一致したからであった。
しかしながら、いまのようにオートメーションなんてものも生産技術もなかったので、大量に求められたのは、手や足となる「職人」だったのである。
これを梅棹忠夫は、「荒っぽい工業」といっている。
製品も、作り方も、人事管理も「荒っぽい」時代だった。
一口に「工業」といっても、伝統的な「家内工業=手工業」もあるので、やっぱり一口に「職人」といってもさまざまで、その意味する範囲はえらく広い(荒っぽい)のである。
明治から大正期、昭和前期を経て、戦後になっても、たとえば、吉永小百合主演の『キューポラのある街』(1962年)でも、伝統的な意識の腕のいい職人が、勤め先を選ぶのは自分だという依怙地な姿が、「時代遅れ」の典型例として表現されている。
この背景に、アメリカからやってきた「オートメーション」がある。
だが、職能を売買する、という「労働市場」の原点に立ち戻ると、「時代遅れ」というよりも、「錯誤」といった方がいいのは、職人の主張をガン無視した社会の方でなのである。
ようは、半世紀以上も続いてきた、腕のある職人ほど繰り返す転職のあたりまえが、いよいよ崩れだした時代の境目を映像に残したの作品だともいえるのである。
だから経営者は、腕のいい職人の確保のために、家族的な経営をしてきたことも、職人が抜ける(腕のいい職人ほど転職=実は「転社」した)ことの強迫観念からだったという経営史の解説も説得力がある。
この正当でまっとうな「労働市場」を壊したのは誰か?
明らかに、高度に準備して実行したGHQの仕業であろう。
わが国の企業特性だと信じ込まされた、「終身雇用制」なるものは、戦後にできた幻想なのだし、どこに配属されるか本人には不明の「就社」であって、「就職」でなくなったのも戦後なのである。
さてそれで、表の家業やら勤め人としての収入は、ぜんぶ裏(内実)としての「家計」を支えた主婦・女将さんの管理下に引き渡すことが、世界的に珍しい日本の伝統となっていた。
男は、女の管理下で稼ぎをあげる役目を負わされる、「女尊男卑」の本音がここにある。
それが、明治維新の欧米化にあわせるために、あえて「男尊女卑」を装うことでの、ヨーロッパ感覚(彼らは女性を「所有物」とかんがえていた)と対等なのだという雰囲気(猿まね)を鹿鳴館時代を通じてつくったけど、本音になんら変化はないから、良家ほど「女尊男卑」が守られて、これをしっている庶民も真似たのである。
それで、「たばこ代(銭)」を家計管理の主婦からもらうのが、その後の「500円」とか「千円亭主」ということになったのである。
家族をどうやって破壊するのか?は、全体主義=共産主義実現のための、巨大な壁である。
社会的に個人の関係をすべて断ち切って、「アトム化」させるのは、ジャン・ジャック・ルソー以来の「悲願」なのである。
ために、子供は国家が面倒をみることで、家族から切り離すことをソ連政府が試みたし、ナチスは「レーベンスボルン(命の泉)」をつくって、アーリア純血種を育成した。
何度も書くが、共産主義もナチズムも、全体主義という点で、まったく同じものである。
そこでいま、わが国でもふたつの方策を柱にして、国民の「アトム化」が推進されている。
・女性の社会進出(ダブルインカム)による、家計の分断
・「こども家庭庁」創設による、政府による家族(個人生活)への介入
当初、ダブルインカムは、なんだか富裕層の言い換えのようだったけど、賃金上昇をさせないことで、ダブルインカムでないと生活できないようにしたのである。
次に、「こども家庭庁」は、将来的に「レーベンスボルン」と化すとにらんでいる。
さらに、「禁煙」を推進するためのエセ科学で、癌予防を大々的に宣伝した。
たしかに、喫煙は肺がんのうち「扁平上皮癌」の原因にあげられるが、いま肺がんのメジャーは「腺癌」であって、喫煙が原因ではなく、食品が原因とかんがえられている。
それに呼応するがごとく、たばこ税だけはドンドン上がって、もう貧乏人はたばこもたしなむことができなったから、「たばこ代」をもらうこともなくなったし、家計が2本化して、それぞれの稼ぎがそれぞれのものになったのである。
そんなわけで、たばこ代が負担できるのは、自分の収入を自分の収入とすることができるひとに限られているのではないか?
ために、税法も、「家計所得」という概念すらなく、個々に課税して家族の分断をシラッと進めているのである。
職人が絶滅危惧種になって、家族も絶滅危惧種になっているのは、偶然ではないのである。