アフリカのふるさとは誤解なのか?

先日触れた、アフリカのふるさと(創生)が、なんだかわからない状況になっている。

JICA(日本政府)と当該アフリカ諸国での報道が交錯しているのである。

ここで、JICA(外務省が唯一所轄するのが「国際協力機構」=JICA)は、対外的には「=日本政府」とみなされる慣習があることに注意したい。

横浜で開催された「第9回アフリカ開発会議」(20日から22日)での、衝撃の発表が「ホームタウン認定」というものだった。
このネーミングを決めたJICA担当者への質問で、その理由の回答が「思いついただけ」は本当なのか?

しょせん、そんなもの、なのかもしれない。

さて、あらためて、認定されたのは以下の「市」である。

山形県長井市=タンザニア
千葉県木更津市=ナイジェリア
新潟県三条市=ガーナ
愛媛県今治市=モザンビーク

詳しくは、海外目線からの貴重な情報源『カナダ人ニュース』さんをチェックされたい。

当該国政府や現地報道、その他の外国で発信されたというニュース情報を受けて、各市役所には問い合わせが殺到し、「誤解がある」として移民を積極的に受入ることの否定が繰り替えされている。

では、突如出た「ホームタウン」とはいったいなんなのか?の定義が、これまたよくわからないのである。
「思いついただけ」?を裏付けるのだ。

とりあえず、外務省は公式に、「ナイジェリア政府による誤ったプレスリリースを基に」と声明をだしているので、当該国の一部のせいにしているのだが、その当該国がどのようにこの「制度」を捉えたのか?なぜに間違えたのか?についてはわからず、外務省はただ訂正を求め、誤情報であった旨の周知を要請している、とのことである。

しかし、たとえば、タンザニアでは、「長井市が献呈された」というニュースになって現地報道されているし、ナイジェリアでは、大統領府の公式サイトで、木更津市の紹介がされている。

それに、ナイジェリアの現地日本大使館のHPには、ビザ取得のための条件が意味深な表現になっている、との報告が現地在住の日本人が「X」で発信しているのである。

つまり、JICAどころか外務省そのものが、なにをやっているのか?という批判の対象になっているのだが、いつものように他人事をよそおっているのが気になるのである。
なぜなら、かならず国会での質問にさらされて、場合によっては次官解任にいたるかもしれないからである。

状況は、直接担当の「国際開発協力第三課」の課長を通り越して、「国際協力局」にふりかかり、局長が責任論のやり玉に挙がること必定なのである。
JICAも当然に、担当を通り越してトップの責任論になる。

それでもおさまらないのは、4カ国であろう。

外交であってはならないのが「言った言わない」論争である。
それゆえに、職業外交官は「言質」については臆病ともとれるほど慎重になるし、それが外国語であればなおさらに神経をつかうものだ。

今回のできごとは、国内向けの説明(いまのところ各市役所が担当している)と、相手国の見解があきらかにことなる点にある。

つまり、外務省はなにをやっているのか?という当然の事態になっているのである。

むろん、外務大臣だって、しらない、ではすまされない。
むしろ、各市役所とどういった事前打ち合わせがあったのか?さえも、報道ではだれもわからない状態なのである。

ただ、ここで注意したいのは、「県」の役割である。

外務省というお高くとまっている御殿女中の集団のような役所は、「市役所ごとき」と直接接触なんかしないだろう。
むかしの将軍に、お目見えはできても直接会話が許されないのとおなじなのである。

まずは「県」の窓口をとおして、それから実務はJICAのキャリア職員にやらせるのが「ならわし」なのだ。

ここでまた注意がいるのは、外務省のキャリアとJICAのキャリア職員とには、雲泥の身分差があることで、国家公務員のキャリアは地方公務員のキャリアも対等な相手として認めやしない。

だから、「県」といっても、外務省のキャリアが相手にするのは、「県」に出向しているどこぞの省庁からの国家公務員キャリアのことなのである。

そうやって、「伝言ゲーム」がはじまるのである。

しかして、JICAが認定する「ホームタウン」とは、おそらく外務省からJICAに出向した役職者がからんで決定されたとみる。
そうでなければ、勝手に決定できないのが「外郭団体」の性なのである。

下部組織はなんでもお伺いを立てて、最低でも役職者からのお墨付きを拝領する、これが江戸時代の延長形である現代日本政府の実態なのである。
公務員の世界だけでなく、大企業でもおなじことを子会社・孫会社にやっているはずなのだ。

前にも書いたように、アフリカを重視するのは、国際社会における「1票」を得るための手段だからである。
アフリカ人は、その悲惨な歴史から、白人を信じてはいないから、日本や中国の活動が一種の草刈場にかわるのである。

小さな市が献上されることの発想は、まるでソ連のレーニンとスターリン、それにフルシチョフが、ウクライナを好きな国境線に閉じ込めたのと似ている。
岩屋外務大臣の直接的な発案、あるいは事前に共感(実務では「承認」)を得たのだとしたら、妙に納得できる共産主義の発想なのである。

そんなわけで、役人たちは事ここに及んで大臣の名前が表に出ないようにいろいろと画策しているのではないか?と邪推したくなるのである。

これが、国際的な大問題の発信源になったことよりも重要な、「そと」よりも「うち」を最優先させるエートス=日本型儒教によるゆがんだ忠誠の解決策になって、またしても国際信用をなくすというスパイラルになったら、国力を削ぐという意味の売国になるのであるけれど、もうそんなことを心配する者は、政府部内に存在しない。

あゝ、村田良平元次官が懐かしい。

なんにせよ、ボールは当該4カ国にわたされた。

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