なんだか、猫がつかまえたネズミをいたぶるような感じがする。
そこまでえげつないことはなかったけれど、『オバケのQ太郎』(藤子不二雄、1964年)に登場したアメリカのオバケ「ドロンパ」がもつ違和感のイメージが思い出される。
だが、日本人からみたアメリカ人への違和感は、アメリカ人からみた日本人ならどうなのか?
むかし、「誰がコロンブスを発見したのか?」という英国人が書いた文章を読んだことがある。
南米のインディオの部族の誰かが、コロンブスが乗っている舟を見つけて、それがどんな意味になるのかを痛いほど知るのは、ずっと後のことであった、と。
これは、英国の宿敵スペイン・ポルトガルへの皮肉だったが、英国がアフリカやインドでやったことは無視している。
アメリカが建国(1776年)されたのは、日本では太平の江戸時代ではあったが、浅間山の噴火と「天明の大飢饉」があったころだった。
なので、日本人が太平洋の反対側(アメリカ建国時は東部13州)というよりも、インド洋経由・大西洋の向こうでなにが起きているかを気にするようなものではなかった。
西部開拓で太平洋まで突き当たり、陸がなくなってそれでも西へ西へと進んでハワイを併合したのは1898年(明治31年)だ。
この間、1881年( 明治14年)3月、ハワイ王国の第7代カラカウア王が来日し、1893年には共和国となってその5年後にアメリカの「準州」となり消滅した。
王制から共和制になった事件とは、イギリス人やアメリカ本土からの移民がやった先住民への弾圧であったので、明治政府でも警戒したのは「アヘン戦争」をイメージできるからである。
つまり、ペリーの黒船は何をしに日本へやってきて、結果的に日本が強引に開国させられたのか?の意味とは、あんがいと物騒な話で、そこには「日本征服」という野望が見え隠れする。
とんがっていた、島津藩と毛利藩が外国艦隊に牙をむいたのも、相手側の意図が「征服」だと見抜いたから、「攘夷」のムーヴメントが全国運動になったのである。
だが、やってみたら薩長は完膚ない敗北をした。
ところが、ポーカーフェイスの相手方も、「艦隊だけで日本征服は不可能」という結論になり、本国から遠すぎる日本に陸軍を派遣することのムリをさとり、作戦を「傀儡政権樹立」に切り替えたのである。
そうやって、薩長にクーデターをやらせて、幕府という正統政権を崩壊させたら、源平時代からの「綸旨」をもって、新政府が正統になるよう「王政復古の大号令」となったのである。
これで安心の植民地化をすすめていたら、意外なほどのスピードで経済規模が拡大し、それならといまのウクライナのように、日本とロシアを戦争にかりたてた。
当時の欧米新聞に掲載された「ポンチ絵」が、それを証明している。
しかし、まさかの世界最大・最強評価だった「バルチック艦隊殲滅」という事態になって、こんどは日本から「人種差別撤廃」をいいだすと、鉄槌をくだすための第二次世界大戦を仕掛けて、ようやく「日本征服」を完成させて今に至ったのである。
しかして、80年ほどの時を経て、日本における抵抗勢力は皆無となり、傀儡政権としての自民党+野党という盤石の「植民地支配」ができたのに、なんと、アメリカでトランプ革命が勃発し、これまでの世界秩序の書き直しすなわち、「世界規模での第二次ピューリタン革命」となったのである。
これは、共和党のリンカーンがやったよりもはるかに巨大な「第二次奴隷解放」となる。
よって、トランプ政権2.0から見たら、日本の植民地状態は選挙中にも発言があった通り、「哀れ」なのだ。
しかも、その植民地状態を望む日本国民が多数いて、なかでも支配層のおおくがこれを望むのは、家畜のなかから選ばれた管理人としての「永続的な富と支配」のためである。
特に岸田政権(=自公政権)の活躍で顕著になった、世界の途上国(かつての「植民地」)がみた、日本の没落とは、第二次大戦で世界にみせた武士の子孫としての勇敢さの微塵もない、たんなるアメリカ軍産複合体政権への「媚びへつらいだけだ」という軽蔑の対象となる評価が一般的になったのである。
そんなわけで、トランプ政権2.0では、世界に向けてこの哀れな国の家畜を解放することの「正義」をアピールできるために、ロシアのプーチンと組んで、GHQがわが国で構築した支配構造の大改造を試みる必然がある。
なので、これからはじまることは、日本国民には「善」であるが、管理人役をもって「敗戦利得」を受けまくった者たちには「地獄行き」の不幸がまっているということなのだ。
そのために、阿呆な国民を騙すために、「トランプ政権2.0」をおとしめるプロパガンダが激しくなることも、最後のあがきとて楽しく観察したいものである。