アメリカ・カナダの麻薬解禁

アメリカだと、「先進的」に不法薬物解禁(合法化)をやったのは、『オレゴンから愛』(1984年)で日本人にもしられる「オレゴン州」であった。

カナダだと、「ブリティッシュ・コロンビア州」で、こちらは期間限定(2023年1月31日から2026年1月31日まで)の「社会実験」として、18歳以上の成人は、少量なら所持していても逮捕や告発されることはなくなった。

どうなったか?は、とくだん驚くべきことはなく、予想通りの「廃退」がすすんだ「だけ」であった。

また、麻薬中毒者が、非合法ゆえに犯罪者として扱われ、治療を受けにくいという主張にも疑問が呈されて、むしろ、合法だろうがなんだろうが、彼ら中毒者が麻薬使用をやめて治療を受ける決心をするのは、「手遅れ」になる段階になってからで、その間は、麻薬に浸る喜びしかもたないという実態報告がでてきた。

これ以上いくと命に関わりそうだ、という懸念を中毒者本人が自覚する段階は、とっくに手遅れなのである。
脳だけでなく、全身の神経系が薬物で受けたダメージを再生する方法はないからである。

初めから手を出してはいけない、これがまともな鉄則である。

では、薬物合法化運動の本質とはなにか?
それは、文化破壊の政治運動にすぎないし、中毒者が増加して社会が中毒者によって過半ともなれば、あとは支配と被支配の現実がやってくる、まさに、ディストピアの実現なのである。

およそ100年前に、世界史を、形態、として観察したシュペングラーの名著『西洋の没落』によれば、文化社会 ⇒ 文明化社会 ⇒ 文明社会 となって、没落(滅亡)し、再び、文化社会からスタートして何度もおなじパターンを繰り返すという。

アメリカで、少年少女文学として書かれた、『カッシアの物語:原題は「MATCHED」』(2010年)という、三部作のディストピア小説がある。

温暖化でいったん衰亡した人類は、すべてが政府がコントロールする社会を構築していたことから、この物語ははじまる。

オレゴン州やカナダのブリティッシュ・コロンビア州は、そんな悠長な理由はどうでもよく、いきなり「麻薬合法化による衰亡」を計画したのである。

しかし、前にも書いたように、スイスは80年代のとっくに、「無料・麻薬接種所」を設置して、希望者に専門家が注射をほどこすことを、国民投票で決めている。

クスリ欲しさに犯罪に手を染めて、自由民を傷つけることなく、そのまま薬漬けになって勝手に死になさい、という法律なのだ。
もちろん、本人が希望すれば一生をかけて病院に収容される。
それで、自由民は自分の払った税金からの出費を政府に認めた。

冷酷さがにじみ出るみごとな、合理的「損得勘定」なのでスイスらしい。

こんな先行事例を、これら両州は無視したのである。

しかも、合法化されたとはいえ、入手には二系統を残した。
政府からの少量の支給と、元は闇での格安・大量販売で、中毒者はほぼ後者を選択している。
それで、販売競争となった業者は、フェンタニルを混合させてより「強力=格安化」にしているが、その分、常習者への身体的ダメージも強化されている。

もちろん、取締当局は、取り締まることをしない。

ただし、学校などの敷地内では、薬物の使用は禁止されていたが、どういうわけか公園での使用は規制がなかった。
それで、散乱する使用済み注射器を踏み抜いたら危険だと、小さな子供を持つ親からの苦情で、ようやく公園から「15m以内」が禁止となった。

そんなわけで、まともなひとちは、他州への移転を決断し、ますます加速して衰亡の道をひた走っているから、シュペングラーの予言は現実になっている。

このあと、すっかり廃退して死に絶えた地域として、あとは再生するのか?それとも?が見どころになっているのである。

だんだんと、かつて「アメリカの国民作家」といわれた、新しい自由な国をつくる、アイン・ランドの小説も、現実化している。

想像の世界から、すさまじい、社会実験を、愚かで野蛮なひとたちが自分からすすんでやってくれている。

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