アンチ・グローバリズムのグローバル

世界の政治軸が、左・右対立から、グローバル化とアンチ・グローバル化の上・下軸を加えた、「四象限」でみるのがふつうになってきている。

むかしからある「左・右対決」とは、一般に、左翼と右翼のことだとされてはいるが、この表現がそもそも曖昧なために、はなしがややこしくなったこともある。

「左翼」はふつうに、社会主義者=共産主義者=全体主義者のことをいい、昨今では「リベラル」といい換えることが流行っている。
これは、全体主義者だと直接的で不都合だからである。

だが、「リベラル」とは、「自由主義(者):Liberty」のことを指したのだから、随分と「意訳」されたというか、ほとんど詐欺的な言葉遣いである。

それでもう片方の「右翼」とはなにか?を問えば、フランス革命のときに、「王侯派」が国民議会議長席から見て「右」翼に座ったことからの表現だったものが、いつの間にか「保守派」とされ、かつ、「国粋派」とされたのである。

たしかに、全体主義者と保守で国粋主義が並んだならば、そこに対立が生まれそうではあるが、さらに「排外主義」が混ざり込むと、一気に両者に親和性が増してナチスのようなことにもなることをわれわれはしっている。

だから、本来の「左翼(社会主義者=共産主義者=全体主義者)」に対立する「右」の概念とは、本来の「自由主義(リベラル)」でないといけないのに、左翼をリベラルといい換えたものだから、なんだかわからなくなるという仕掛けをされたのである。

もちろん、仕掛けたのは左翼である。

ところが、左翼の教科書は『共産党宣言』とか『資本論』という古典に論拠が行きつくので、総じて「グローバル信者」になるのである。

これをむかしは、「国際共産主義運動」とかと呼んでいた。

あまりにも「国際」が一般化したので、地球規模という意味の「グローバル」が好まれるようになったものの、中身に大きなちがいがあるわけではない。

だから、左翼は自動的に「グローバリズム」に親和性があり、「グローバリズム」という思想によって「グローバリゼーション」を推進しているのは、たいがいが左翼なのである。

国家から国境がなくなる、というよりも、意図的に「なくす」ことを目論んで、ひとびとにあたかもそれが美しい理想だとおもわせる。

すると、旧来から左翼に対抗する右翼たる自由主義者は、これまた自動的に「アンチ・グローバリズム」になるから、実際のところ「四象限」といっても左右対決時代と本質的にはあんまり変わっていない。

ところが、左翼は自身が上に示した古典たる「教科書の解釈」において、さまざまな流派が生まれ、彼らは自分の主張が完全に正しいとして一歳妥協もしない性質を帯びているために、驚くほどの分裂をして、左翼なのに右翼的な分野に侵入するものも現れてしまった。

この節操のなさこそが、また、道徳感を欠如した左翼独特のDNAだともいえる。

そうやって細胞分裂と遺伝をくりかえし、とうとう「無個性均質化」という「平等主義」のなれの果てがあらわれて、「量産される家畜化」がはじまったのである。

これに対抗する、アンチ・グローバリズムが、世界で同時多発的になった。

これを、アンチ・グローバリズムのグローバル化というのである。

そんなわけで、今日は2025年参議院通常選挙の投票日である。

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