イギリスが壊れていく

「日英同盟」の復活をよろこぶ日本の保守系のひとたちを、このブログでは「意味不明」と解してきた。

その英国で、4日(日曜日)、大規模なデモが暴動へと発展し、労働政権スターマー新首相は、「極右による暴動を許さない」と厳しく発言し、すみやかなる逮捕・拘禁、起訴、有罪を行うと公言した。

彼はかつて、司法の場にいたひとで、そのときの経験と実績から「本気」だと言ったのである。

ことの発端は、大量の移民政策の失敗である。

はたして、これが「ブレグジット」の賛成多数になったのではなかったのか?
大陸のEU官僚が割り当てる移民数への反発(国家主権)そのものだったはずだ。

しかして、保守党がからめ捕られたよりも、労働党は、はじめから社会主義政党なので、当然だがグローバル全体主義を標榜・支持している。
つまり、ブレグジットには反対だし、移民の受入には積極的なのである。

ようは、世界経済フォーラムのアジェンダに、保守党政権よりも協力に従って、推進する、という立場の政党を国民は選択させられた。
その理由が、英国の選挙制度は完全小選挙区制であるためだ。

こうしてみると、まだ国民のための政治をやっているようにしていたのは、わが国でも「中選挙区時代」だったことが思い出される。

ひとは目に見えることに反応する。

ゆえに、4日からの「暴動」だけに目がいくが、物事には手順がある。
これからすると、事の発端は、かなり以前にさかのぼるのである。
そして、数々の小さめな事件がミルフィーユのように重なって、ある一点で爆発する。

たとえば、わが国が経験した「上海事変」もしかり、である。

小説やドラマの製作手法にも、「理不尽に耐えに耐えた被害者が、ついには復讐の鬼と化す」というストーリー展開がある。

今回の場合には、子供や女性たちが命を失う被害者で、なかには少女もいたし、それを傍観する政府がいた。
それで、郊外のホテルに税金で移民を収容していることに抗議していたひとたちに、「加勢」したのが暴徒だったのである。

わが国では、埼玉県あたりでみられている光景で、地方行政も警察も、移民を「保護する立場」で、もとの住民を被害者とは認めない、英国の構造と共通がある。
なお、埼玉の当該エリア住民たちが「自警団」を構成したとのニュースもある。

つまり、わが国の未来像が4日からの暴動に揺れるの英国なのだ、ともいえる。
いやいや、我慢強い日本人は、とにかくひたすら耐えるのだ、という意見もあろうけど。

英国保守党政権のグダグダは、サッチャー女史を追い出したところからはじまる。

つまり、これもいま起きていることをみても仕方なく、かなり根が深いのである。
むしろ、サッチャー政権をある意味リスペクトしていたのは、労働党のブレア政権の方だった妙があった。

当時、新首相のサッチャーが掲げたのは、ハイエクの名著、『法と立法と自由』だった。
彼女は、「われわれの政策はここに書いてある」といって、かばんからこの本を取り出した。

いま、ハイエクを語るものが「保守」にもいないのは、ハイエク自身が「保守主義を批判した」からでもあるが、西側世界がグローバル全体主義にからめ捕られてしまったことの方がおおきい。
定義が不明瞭な保守主義は、なんいでも形を変えることができる得体の知れないものだ、と。

そんなわけで、わが国も、もう「保守」を語るのはやめた方がいい。
そうやって誤魔化し、誤魔化されているうちに、結局は、社会主義者や共産主義者やらのグローバル全体主義に乗っ取られるからである。

日本の政界はほぼ乗っ取られたので、これから各地で今回の英国でおきたような、小さな事件が頻発することになるだろう。

それから、どうなるのか?は、英国をウオッチしていればいいのである。

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