親子二代でカナダの首相になった、トルドー政権が崩壊の危機にめんしている。
それが、与党「自由党」の破滅的な支持率低下と、野党「保守党」の圧倒的な復活になっていきている。
詳しくは、「カナダ人ニュース」さんが伝えてくれているから、是非チェックして欲しい。
今回は、州議会選挙における「異変」のことで、当然ながら中央政界にも波及する。
国会は、一院制か?二院制か?のどちらがいいのかがよく議論になっている。
歴史ある伝統国であれば、二院制が望ましいのは、ストックとフローの関係から、歴史的ストックの代表たる「上院」と、その時代・時代のフローを反映する「下院」とが用意されていて、相互に牽制してバランスをとることが望ましいからである。
明治憲法下のわが国は、こうしたことを意識して、「貴族院」と「衆議院」があった。
しかしながら、もっと上の概念に、「政府」と「軍」の分立があって、これを天皇によってジョイントさせる設計だったから、股裂きの結果の滅亡となったのである。
GHQによる「戦後の民主主義」で、擬似的な二院制(「貴族院」を「参議院」と言い換えた)を維持したけれど、参議院の存在価値の意味不明をそのまま延長させて「参議院不要論」となるのは、何のための二院制かをわすれた「ビバ!一院制」の極論なのである。
では一院制の問題点は何か?を問えば、選挙による圧倒的勝利が議会の暴走を阻止できない絶望を呼び込むリスクがあるからだ。
なので、政権交代が当然となり、両極に揺れる政治の不安定さは国民生活を直撃するので、より激烈な選挙が繰り返されてしまい、結論的に国民が分断されることにある。
参議院は無力だが、衆・参の「ねじれ国会(野党が参議院を多数支配する)」が政権与党による政権運営に慎重さを促した事実は、もっと評価されていいのである。
この点で、アメリカ合衆国の二院制は、建国の父たちの叡智(別に穿った目でいえば、「人間不信」や徹底的な「性悪説」)による設計が生きている。
それでも、もっと邪悪な民主党によって、三権分立の根底が揺らぐまでになってしまった。
ヨーロッパの保守回帰(マスコミは「極右」という)や、南米アルゼンチンやエルサルバドルでの成果をうけて、北米ではこのトレンドがアメリカを越えてカナダで起きている。
もちろん、アメリカでトランプと連邦上・下両院における共和党の躍進がどうなるのか?は世界が注目するところであるし、属国の日本人には直接的な影響が出るはずだ。
その前哨戦が、隣国カナダで起きそうなのである。
カナダの総選挙は来年に予定されているなかでの、与党内におけるトルドー退陣要求だ。
理由は、国会補欠選挙における負け方の悲惨なのである。
トルドー率いる自由党が盤石な選挙区で、歴史的な敗退を繰り返していて、この段階で来年の選挙不出馬を宣言する閣僚が絶えないありさまとなっている。
ぜったいに再選されない、という自身の選挙区における分析での結論なのだ。
すると、地球儀をみわたせば世界のトレンドはもうハッキリしていて、かんたんにいえば「右傾化:ナショナリズム回帰」にほかならない。
この定義における日本での「右派」で、法で政党要件をみたすのは、「参政党」だけしかない。
議員がいない「諸派」では、「日本第一党」、「日本改革党」、「新党くにもり」、「日本保守党」といったところがこれにあたる。
なお、「日本保守党」はふたつあって、先にできたのが自衛隊のパイロットだった石濱哲信氏を代表とするそれで、今回の総選挙でも二名の公認候補者をだしている。
もうひとつが、百田尚樹氏と河村たかし氏を共同代表におく組織で、典型的な「第二自民党」の似非保守である。
4月の東京15区衆議院補選で、ここから初出馬した飯山陽氏と内部で揉めているのは、「似非保守」にはなから気づかなかった飯山氏にも責がある。
「極左」の高市早苗氏を「保守」と呼ぶ、定義のおかしなひとがたくさんいるのと似ている。
吉田茂と岸信介の流れをくむ、自民党は、結党時から「似非保守」だという大問題があることがまだわからないのかまったく不思議なのだ。
この意味で、安倍晋三氏もまったく「保守」ではない。
その証拠が、富の分配を政府がやる社会主義計画経済を目指した「アベノミクス」なのに。
さて、「ナショナリズム」というと、さまざまな「訳語」があって、あんがいと定義にこまる主義主張である。
たとえば、民族主義・国家主義・国民主義・国粋主義などと訳されているが、それぞれにニュアンスがことなっている。
40年程前のむかし、エジプトに暮らしていたころ、生まれて初めて「祖国・日本」という感覚を意識したのを覚えている。
その原因は、あまりにもちがうエジプト人=アラブ人の国民性から発する生活習慣とおもわれる。
それで、郷に入れば郷に従うのとおり、エジプトを基準にかんがえたり、やっぱり日本を基準にしたりの「揺れ」が、事あるごとに交互にでてくる自分に気がつくのである。
たいがいの海外駐在経験者は、日本への国粋主義(郷愁的な憧れ)になるものだといわれていたのをおもいだす。
任期があるならまだしも、無期限に彼の国やらどこかの外国に暮らすとなると、これがもっと強烈になるのは、日系南米移民の心情からも容易に理解できる。
日本人であることを意識のなかに自分から強く据えておかないと、自分が何者だか分からなくなって、それが外国生活において致命的な心の傷となる恐怖が無意識の「不安」となってあらわれるからだ。
だが、「日本人である」ことを教えない、昨今の教育改革の成果で、健全なナショナリズム=自己のアイデンティティが、成立しないようにされていないか?
それが象徴が、「国軍の有無」にある。
世界で国軍のない稀有な大国が、日本であり、隣国の中国だ。
日本には軍そのものがなく、中国には党の軍だけがある。
20日の日曜日、カナダのブリティッシュ・コロンビア州における選挙が、来年のカナダ総選挙を占うと注目されているが、その翌週のわが国総選挙へどれほどのインパクトがあるのか?にあまり期待できないのは、日本人の劣化による。
カナダで保守党が勝った?だからなんなんだ?と、もしもこの情報をしったとしても、なにもその影響を想像できない日本人の残念なふつうが観察されるのだろう。
これを、「国際化」という噴飯があるけれど、だからといって「島国根性」でもない。
ただの無関心・感覚麻痺なのである。