カードが欲しくて食品を捨てる文化

11日、日本マクドナルドが「反省」を発表したのは、『ハッピーセット』についてくる「2枚のポケモンカード」を転売目的で購入し、肝心の食品を廃棄するひとへの販売を規制できなかったことに対してだという。

店舗横だかに、袋のままで無惨に廃棄されゴミとなった山の写真がネットに載って、それがまた世界配信され、「日本(人)の食品廃棄実態」として世界で顰蹙を買う事態にもなっているらしい。

しかし、困ったことに、転売目的で購入する者を規制できない。

なぜならば、レジを通過して所有権が移転したら、その後の「処分」は所有者の自由判断に委ねられることになる原則があるからである。
これに反するルールをつくったのは、わが国の財務官僚がやった、店舗内飲食と持ち帰りの消費税率を変えた無謀であった。

さて、こうした「廃棄行動」には既視感がある。

ざっと半世紀前のわたしが小学生だった頃、『仮面ライダースナック』についてきた「カード」の収集のために、スナックの袋を開けてカードを取り出すや、そのまま一口も食べずに捨てていた同級生たちがたくさんいたのである。

わたしがこのコレクション・ブームに与しなかったのは、失礼ながらそのスナックが甘くて口に合わなかったからで、とくにオマケのカードを集めたいとも思わなかったからだ。
一口も食べずに捨ていた友だちに、どうして捨ててしまうのか?と聞いたら、「まずいから」との回答に、妙に納得したものだ。

ちなみに、このスナック一袋の値段は、20円だった。

つまり、子供たちは20円でカードを買っていたのであって、スナックそのものがオマケだったわけである。
集めたカードは、トランプカードのようなぶ厚い束になっていて、その量を自慢していたけれど、だからといってそれでなにかの遊びをかんがえだしていたのではない。

なんでも、いまこのカードは1枚1400円で取引の対象になっているという。

これは50年平均の利回りで、14%ほどになるからずいぶんな投資効率である。
関数電卓に、50年√(1400円÷20円)と打ち込めば一発で計算できる。

だが、当時もスナック菓子なのに食べずに捨てる子供たちの行動が社会問題になっていたと記憶している。
それでも、20円という価格が、あんがいと高度成長下のおとなの財布のひもを締めることにはならなかったのである。

むしろ、終戦直後の飢餓を経験したおとなからしたら、このくらいのムダはどうでもいい、という発想が根底にあったのではないか?
すると、当時も大袋のスナック菓子はあったのに、どうして小さな袋で20円とした価格設定でカルビーは販売したのか?という疑問になるのである。

つまり、家庭内での小遣いのスポンサーたる親世代の心理を、カルビーのマーケッターは読んでいたとかんがえるほかはない。
だが、読み切れなかったのは、20円を握りしめて購入する子供の心理の方で、まさか中身をその辺に捨てるとは思いもよらなかったということだろう。

すなわち、飢餓時代からわずかな時間で、次世代の子供たちには「飽食の文化」が蔓延していたのである。
ちなみに、この世代の子供が、栄養失調からくる「青鼻」の「はなたれ小僧」最後の世代と思われ、その子供がたった数年後にスナック菓子を捨てる側にまわったのである。

さて、『仮面ライダースナック』の発売は1971年であったが、「マクドナルド1号店」の開業もこの年なのである。

開業前の当時、日本人のおとなは、アメリカ人が歩きながらハンバーガーやコーラを飲食する姿に眉をひそめ、日本人はそんな下品なことはしない、といっていた。
だが、歩行者天国の銀座で、孫やら子の世代が歩きながら飲食する行動をとることにショックをかくせなかった。

どこで育て方をまちがえたのか?

しかし、それは家庭教育の場からはなれた、社会教育としてのアメリカ礼賛があったのである。

そんなあたらしい日本人とは、いま70代以上になっている。

今回、日本マクドナルドが反省したのは、一体何に対してなのかを改めてかんがえるに、以上のようなけっして根源的なことではなくて、表層にある「販売管理」だけにあることは明らかなのである。

なにしろ、こうした困った行動をしたのは、『仮面ライダースナック』でやらかした世代に近しい「育ち」からだ、とかんがえられるのであるし、日本マクドナルドという企業の経営陣やら「本社」のスタッフたちの「育ち」もこれに影響されないはずもない。

調べたら、現社長は香港出身でオーストラリア育ちの「国際的視点を持つ経営者」だとあったので、なんだかより納得できるのはわたしだけか?
ここでいう「国際」とは、仮面ライダースナックを捨てていた日本人の世代よりも下劣かもしれないという意味での用法だとおもうからである。

一方で、ファストフードの食品としての価値を深掘りしたら、はたして「食品」に分類していいものか?という疑問すらあるのが、現代の複雑性を象徴する。
ために、「ポケモンカード」の価値が「食べ物」にまさるのは、旨くない「仮面ライダースナック」廃棄の延長にあることはまちがいない、という深さになっている。

ようは、オーガニックをふくめて食品とはなにか?が見直されているなかでの、人工的エセ食品をめぐる行動であると拡大解釈すると、「医食同源」の意味がまた浮かび上がるのであった。

この「医食同源」の思想とは、中華文明の始祖としてしられる伝説の「黄帝」の時代からのものだという定説からしたら、やっぱり「国際的視点」ということがかえって薄まった認識をあらわすと改めて確認できるのである。

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