キリスト教は復活するのか?

ヨーロッパはキリスト教文化で一枚岩である、という定番の解説は、とっくの昔に通じなくなったの原因は、「宗教改革」によるプロテスタントの誕生からである。

本来、激烈なる原理主義であるルターやより過激なカルヴァン派の潔癖症的な教えが、資本主義の発生を呼んだのというのが、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』となった。

だが、資本主義についての論争は、いまでも密かに続いているのである。

もっともキリスト教は、ローマ皇帝の認可(コンスタンティヌス1世:313年)を経て、その帝国が東西に分裂したとき(395年)に、西のローマ・カソリック教会と東の正教会(オーソドックス)とにも分裂して、国家としての西ローマ帝国が滅亡しながら、ローマ・カソリック教会が権威を得たことがその後の中世につながる。

ただし、この帝国の分裂という大事件の発端は、皇帝の息子たちへの遺産相続のゴタゴタにあったのであんがいと現代的なのである。

日本に伝わったキリスト教の初めは、「景教(ネストリウス派)」だという仮説もあるが、歴史学の主流派はこれを認めていない。
それで、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが伝えた(1549年)、カソリックが初ということになっている。

ローマ皇帝の認可から、1200年弱の時間がたっている。

ところが、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の「正教」は、日本ではロシア経由となって、「ロシア正教」のことではあるが、カソリックとのちがいについて、プロテスタントよりも不明なのが日本人なのである。

東京には、俗に「ニコライ堂」と呼ばれる、「日本正教会」の中心があるけれど、カソリックやプロテスタントの教会とのちがいについて、あまり意識されていない。
「正教」は、各国ごとに独立運営されるために、ニコライ堂を正しく『東京復活大聖堂』と呼んでも、それはロシア正教ではなく日本正教なのである。

もっとも、「日本仏教」としている、各宗派のちがいについてもあまり意識されていないし、日本固有の「神社」についても、その「ご祭神」についての説明を読んでも理解できないほどに民族の神話が廃れているから、外国の心配をする前にかんがえるべき事はある。

西ヨーロッパは、ローマにあるカソリックと、ドイツやスイスあたりを中心にしたプロテスタントからできていて、東ヨーロッパは、カソリックと正教会が入り乱れている。

興味深いのは、カソリック国は、EUやNATOに加盟したがる傾向があって、正教会の国はほぼほぼ親ロシア(「親ソ連」ではない)なのである。

それがそのまま「EUの問題児」、ハンガリーとスロバキアなのである。

ただし、EUは「人類の問題児」なので、ハンガリー人とスロバキア人は気にしていないはずである。

困ったことに、正教会の信仰は共産政府時代の弾圧を経たおかげで、いまだ堅固にして健在であるのに対して、カソリックとプロテスタントの信仰は、ほとんど廃れた。

そのズブズブが今の西ヨーロッパの姿である。

ところが、信仰の形は、家族制度に由来するという人類学の研究から、西ヨーロッパが正教会を受け入れる要素がなく、また、正教会の国でカソリックやプロテスタントが布教される可能性もない。

そんなわけで、一口にキリスト教の復活といっても、カソリックとプロテスタントは絶望的なのである。

その復活の困難が、話題の映画『教皇選挙』であった。

この映画のメッセージこそ、少なくともカソリックの復活はない、というものだったのである。
対して、アメリカでは、チャーリー・カーク氏の暗殺を契機に、プロテスタンティズムの復活をトランプ政権2.0は率先して強化している。

同盟国のはずの英国では、国教会の主人たる国王がイスラム転向しているのが象徴的であろう。

いまや「西洋」に分類されるわが国はどうなのか?

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