ギャンブルとショート動画の共通依存症

日本独自のお手軽ギャンブルといえば、「パチンコ」である。

いっとき、(西)ドイツや台湾でも大はやりとなったことがあったが、「釘師がいない」ことでの、「出る台」の確定でゲーム性が薄れ、たちまち廃れてしまったし、台湾では岩里政男(通称:李登輝)総統が廃止の決定をして話題になったものである。

ときどき、忘れたころにチラッと批判記事がでるのは、警察庁のキャリア国家公務員やらが大挙して天下る件である。
これが「カジノ」の件で、発展的(利権)拡大状態をつくりたいのであろうために、「ギャンブル依存症対策」なる表面的かつ綺麗事的対策をもってアリバイとしたいのであろう。

さいきんの脳科学の発達で、ギャンブル依存症の発症メカニズムが明らかになってきていて、どうやら脳への連続した緊張の刺激、たとえば、数字の回転結果と、ぜんぶが揃ったときの当たりの興奮とが学習されることで、脳内に麻薬物資に似た分泌が起こり、それが依存症に発展するらしい。

だから、パチンコにかぎらず、競馬、競輪、競艇などでも「負けた」ら(かならずプレイヤーが「負ける」仕組みになっている)、それぞれの負け分はその負けた分野で取り返そうとする心理がはたらいて、パチンコの負けを競馬で取り返すとか、あるいは、損切り、ができなくなるのである。

かたちはちがうが、ショート動画の連続視聴にも、おなじメカニズムが発生することがわかってきた。
経験者ならわかるだろうが、ショート動画を何本も連続して視聴していると、ほとんどの動画の内容がまったく記憶にのこらない、という体験をするらしいのである。

しかも、中毒性があって、いったん観はじめるとどういうわけか時間の経過を忘れてしまうのである。
それで、まったく記憶にのこらない、のだから、怖ろしい時間のムダ、をしていて、通信費のムダにもなっている。

当然だが、そのような動画の提供者には、それなりの収入があるので、まさにスポイトのように人生の時間資源を吸い取られているのである。

このために、スマホの機能には、視聴時間制限の設定ができるようになっているので、ついうっかりをなくすには便利である。

ただし、脳科学的には、脳の健康のためにも、観ない、に越したことはない。

しかして、このような「ソフト」な方法で、自身の脳が破壊されるのを自覚するには、年単位どころか数十年の年月を要するかもしれないし、はたしてほんとうに自覚できるのか?が保証されることでもなく、自覚できないままならかなり深刻な「痴呆」に陥ってしまうかもしれないのである。

むろん、もはや老若男女を問わない、「スマホ歩き」も、確実に脳が冒されている状態を他人が外から観た姿なのである。

むかしから、「ながら」がよくないとされたのは、みんな「お行儀」のことだけであったとおもいこんでるが、「自分の脳」が、自身の行動コントロールを失う機能低下状態に堕ちることをしっていたことからの「注意喚起」だったのではないか?

このように現代はむかしよりもはるかに極大化した情報入力の中毒にされていて、嵩じると、ほんとうに精神障害が「発症」するというおそろしいものなのである。

ようは、ギャンブルもスマホも、多数のひとたちが「軽度の依存症」をすでに発症しているのであるけれど、自覚症状がないという共通まであるのであった。

この意味で、かつてあった「活字依存症」は、はるかに健全だといえるのである。

戦後すぐに誰もが陥った、「活字依存症」は、いまとは逆に、極度の外部・社会情報がない状況におかれたときの人間が、情報枯渇のために発症したといわれている。

むろん、ラジオドラマで伝説の『君の名は』(昭和27年)が、放送時間になると銭湯の女風呂が空になった逸話があるとおりで、その後の「街頭テレビ」に群衆が集まっているのも、情報飢餓のベースがあっての現象だろう。

紙とインクが不足していたので、新聞も貴重だったのは、読んだ後も「紙」としての利用法がふんだんにあったこともある。
とにかく、新聞を隅々まで、場合によっては同じ紙面を何回も読んだのは、依存症、だったからだが、それから昭和の「出版」が花形産業になったのである。

すると、活字が氾らんして出版業界の斜陽がはじまったから、これからなにが起きるのか?と問えば、政府によるSNS規制検討が、つぎの全体主義社会の到来を告げる予兆となっている。

個人生活に介入したがる全体主義は、自然淘汰を好まず、政府によるコントロールを志向するからである。

その口実に、「依存症対策」という方便があることは、しっていていい。

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