グローバル化は「国益」を消す

「国民国家」という概念がうまれたのは、あんがいとあたらしく、狭い地域での戦争にあけくれた17世紀のヨーロッパで、「ウエストファリア体制」ができてからという。
鎖国した幕藩体制で平和だった日本人は、当時、「日本=国=日本人」、という概念は希薄で、天領あるいは各藩の「国」に住んでいるという認識だった。

「アヘン戦争」による清国の敗北は、幕末の日本人に「国家観」をもたらした衝撃だった。

それもこれも、農民が人口の8割を占めていたし、外国と接する可能性がある漁民がごくわずかだったのは、沿岸地域にしか住んでいなかったからだという。
しかし、その沿岸地域では、たびたび出没する外国船の「目撃情報」が、お上に届けられていて、幕府もしっかり警戒する状況であった。

いまなら、UFOや正体不明の巨大ドローンと同様だということだが、(アメリカ)政府がなにをしっているのか?を公表しないのとちがって、あんがいと江戸幕府は対策をこうじた。
その第一が、伊能忠敬や間宮林蔵らによる「国土の正確な測量」であった。
この逆が、「シーボルト事件」という、いまなら「機密情報持ち出し」のスパイ容疑だった。

ヨーロッパに憧れて、なんでも「舶来品」なら有り難がったのは、その前の「儒家」たちがなにがなんでも『論語』の国に憧れたのと一緒で、こうした世間知らずの学者たちを一般人は「かぶれ」と呼んでいた。

アヘン戦争が「中華かぶれ」を粉砕し、明治だと、「西洋かぶれ」が全盛となったのである。

それで、こうした西洋かぶれの学閥的譜系がいまにも続いていて、「明治維新」のことを、「革命」になぞってみたり、小作人を「農奴(serf)」扱いしてはばからない。
これは、「演繹」の手法だが、こうした間違った「ありき」からの論述における最高傑作が、「共産主義」ありきから類推して造語した、「資本主義」だったとかんがえている。

ようは、ありもしない「幻影」をあたかも実際にあるようにするから、「イリュージョン」と片仮名でいえばかっこいいことになっている。

人間の欲望は「仏陀」がたどり着いた「悟りの境地」にはほど遠く、あらゆる誘惑に翻弄されることになっている。

つまり、中世以前の社会となんら変わってなどいない人間たちが、欲にくらんで没頭していた「錬金術」から脱皮して、それが「科学・技術」になっただけだったし、そこからまた、「産業革命」が勃興したのはいいが、それで人間の悟りはどうにもならなかったばかりか、キリスト教も棄てる、中世以下の金銭欲まみれに堕ちたのである。

これを、むかしの日本人は、「銭ゲバ(亡者)」と呼んで卑下したものであった。

まことに残念なことに、こうした際限なのない「欲:煩悩」を覆い隠すために発明されたのが、「SDGS」とか、「LGBT」あるいは「脱炭素」のきれい事で、案の定、性犯罪とくに子供が被害者となる凄惨は「肉食の思想」ゆえのドロドロにまみれ、これらの「亡者」らを国家運営する政治家や検察・裁判官が擁護する倒錯になっている。

わが国でここ数年、「除夜の鐘」に騒音だとクレームを付けやめさせる、「宗教弾圧」が大きな話題にも社会問題にもならないのは、科学に敗北した宗教が一般人からの「信仰」を失ったばかりか、その宗教人たちが寺院での「女犯」をして罰される外道の餓鬼になったからである。

なんだか、織田信長が、比叡山を焼き討ちにしたごとくの堕落が21世紀の現世でおきている。

それもこれも、バチカンの伝統が伝染したのかしらぬが、これもひとつの「グローバリズム」の成果ではないのか?
「エプスタイン島」のリストが、間もなく公表されれば、世界の話題は「中居くん」どころのはなしではない。

「国境なくす」ということと、「世界政府」が合体すると、当然に「国民国家」は消滅する。

土地だけでなく、そこに育まれた「文化・伝統」または「民族性」も、あたかも細胞膜を破るがごとくの事態となる。
ふつうの生物ならば、細胞膜が崩壊したらそれは「死」を意味するから、いま、人類の半数ぐらいが「自殺願望」を他人にも強要しているといえる。

よって、そんな政策をかかげる政党による国家運営では、「国益」という細胞膜も破壊の対象になる。

「国民国家」が成立してから、伝統的に「国益」とは、イコール「国民の利益」を意味したが、それが壊れて、「国家運営者利益」に変容した。

これが、「利他主義」のなれの果てなのである。

誰か他人のために自己犠牲を受け入れましょう!というキャッチフレーズは「美しい」が、裏の顔は、それをいう自分だけは「別」だという選民思想の醜態が隠されている。

だから、「国民経済」も消滅し、超私的(経営陣のため)な企業利益「だけ」を追求することになって、本来の利他的な「従業員のため」が消滅し、単純に「安い人件費」だけを追及するようになったのは、あたかも「株主のため」を装っているのである。

この背景の仕組みに、「消費税」がある。

直接雇用と派遣とで、消費税の適用のちがいがあるのに、「同一労働同一賃金の原則」なぞというきれい事をここでも平然と語るのは、確信犯なのか?ただの無知なのか?

そうやって、中間層(「一億総中流」)の破壊を実行した者たちが、支配者としてのうのうとしている状況になった。

こうした「企業群」を、ヨーロッパの貴族国家とか、日本の藩として捉えれば、『新しい中世』 になるのは、21世紀になっても人間が中世の発想そのままに留まっているからである。

だから、歴史は発展するというならば、新しい中世なぞといって歓んではいられないばかりか、むしろ歴史は退化することもあるのだ。

それは、戦後の発展期よりもいまが「弱肉強食」の厳しいサバイバル社会だということだし、食物連鎖の頂点に君臨できる人間は、世界でものの数人しかいないことを意味するのである。

このように、グローバリズムのヤバさは、一般人に深刻な不幸をもたらすのだが、それが「虹色の世界」だとプロパガンダして、一般人の人生を食い荒らそうとする者たちが跋扈している。

ゆえに、トランプ政権2.0が「退治してくれようものを」と力むのは、人類史的な意味があるのである。

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