むかし、「他流試合」というものがどこかに胡散臭さがあって、「道場破り」が商売になったことを蔑んでいた。
これには、幕府の「藩お取り潰し」による武士の失業の深刻さと、御家人やら大藩の江戸留守居役やらの自身の身分が安全な故の特権意識も関係しているのだろう。
いまようにいえば、正社員が派遣やパート・アルバイトをみる目がそれだ。
停滞した組織では、そんな正社員たちの歪んだ特権気分がはびこると、パート・アルバイトには、「言われたことしかしない」という了解が蔓延して、組織全体のパフォーマンスが見事に低下するものだが、原因の最深部たる奥に、そんな正社員を放置するような経営者がいるので、知らず知らずのうちに企業文化に変容するために誰も気づかないで沈んでいくものだ。
たとえば、スーパーを例にすれば、残念な職場環境の店は、パートさんが自店で毎日の夕飯の買い物をしなくなる。
だから、店長は、買い物客のポイントカードデータによる売り上げ分析よりも、店員たちの買い物実態を調べた方がよほど参考になるものなのだ。
歴史的失敗が予想される「大阪・関西万博」では、未来と称して中国製の「自動運転バス」が営業走行するらしいが、詳しい人によると、とっくに本物の自動走行バスが営業運転をしている中国からすると、地面にガイドを貼り付けるタイプの「古さ」が話題になっているという。
どうしてこうなるのか?はあんがいと簡単に想像できる。
文系の役人が仕切ると、成功している既存の実績のあるものしか採用しないからである。
これを「万博」でもやるのが、お役人様の習性というもので、「何かあったらどうする?」という言い分での「責任放棄」こそが、万国共通だから、「万博」に「出品」される意味があると考えればよい。
万博を主催する「協会」に、大量の役人が幹部として出向してくるのは、予算というカネを出すことの「見返り」だからで、実質「国営」の公共事業なのである。
一方、インフラ整備のための公共事業は、80年代半ばからの「構造改革」で、大幅に削減されたのは90年代のバブルを経て平成不況になってから本格化した。
また、人口減少からの「人手不足経済」という慢性病に陥ることが確実だという恐怖の刷り込みに成功して、外国からの「安い」労働力の輸入を図っているのが令和の日本政府のミッションになった。
要求しているのは、上に書いた正社員の堕落を放置する経営者たちである。
先月、テレビは東大の卒業式に突撃取材して、晴れやかだがどこかノータリンぶりをみせる東大生に、4月からの初任給を質問し「50万円」という回答を全国に放送している。
今どき、それを維持・継続・さらに昇給を得る困難を横にしての話に、全国の親世代を、「これぞ勝ち組」だとして脅迫しているのである。
果たして、先輩たちは今もその会社に在籍しているのだろうか?あるいは、その業界や企業にゴーイングコンサーンの思想はあるのか?に一切触れない怪しさに気づかい視聴者がいつものように洗脳されるのである。
ところで、人手不足を言うときの「人手」とは、一般に単純労働・未熟練労働を指すから、かような東大生が就く職はさぞや複雑で熟練を要するのか?といえばそうではなく、むしろ今後は、「A.I.と競合」する可能性が高いのだ。
それだから、単純労働のために外国人を輸入することになるのだが、困った経営者には、ロボットのことが頭に浮かばない。
今は、伝統武道でも多流派との交流によって、いいとこ取りを研究するのが当然となっている。
その典型が、大正から昭和に完成した「合気道」だ。
人間形ロボットの開発に、人体の動きを細かく分析するための「スポーツ」が深く研究されている。
そのひとつの商品が、テスラの「テスラ・ボット」だ。
価格は、ざっと300万円。
ここで、日本人が考えないといけないのは、テスラにできてなぜ日本のメーカーにはできないのか?なのである。
一方で、テスラ・ボットに対抗する中国製も大量生産の可能性があるのは、アメリカへの留学生やらの「仕事」だという評価から、「留学ビザ」の厳格化をトランプ政権2.0がはじめた。
人間型ロボットの動きが武道の極意から人間とおなじか凌駕することになれば、次が職業における動作解析という段階になって、あらゆる単純労働・未熟練労働への応用が可能なばかりか、熟練労働にも利用できるようになるのだろう。
そもそも、テスラ・ボットは、家事労働を補助するために開発されている。
しかして、日本の税制は家事労働を生産価値なしとしているが、この発想の「古さ」は、時代錯誤というレベルではない。
家事労働が無価値のはずがないからである。
産業立国や貿易立国の国是を捨てている日本政府とその指導者たる「自・公・立憲共産」政権の悪辣さがどこから生じるのかが不明だが、かつての日本だったらこんなロボットを発売するのは、まかしておけ、という気概があった。
それを懐かしむ時代になったのである。