スリランカの左傾化と日本

先月21日の大統領選挙で、左派(マイルドな言い方)の大統領が誕生した。

この国の正式国名は、「スリランカ民主社会主義共和国:Democratic Socialist Republic of Sri Lanka」だから、いまさらの「左傾化」とは、中心の「社会主義」より左という意味なので自動的に「共産化」を意味する。

「民主」がついているのは、おまけであって、あの北にだって「民主」はついている。

この国は、大陸インドに近い島国のために、英国や日本、あるいは台湾と似て、「反大陸」という気分が充ちている。
そうでなければ大陸の大きな国家に、呑み込まれてしまう、からである。

つまり、自己防衛本能が作動するのである。

ゆえに、スリランカ人は総じてインド人を忌み嫌う。
たとえば、われわれから見たらおなじに見える、女性の衣装「サリー」の着付け方法もちがうので、かれらは一目でインド人かスリランカ人かを見分けるのである。

インドでは2%しかいない仏教徒も、スリランカでは国民の8割という比率である。
しかしながら、人数にするとインドの2%の方が、国全体で2000万人のスリランカ人口よりも多いのである。

けれども、当然に構成比で8割ともなれば、国民文化にあたえる影響は2%とはぜんぜんちがう。
混沌のインドに比べて、スリランカの民度の高さのちがいは、台湾人ならよほど骨身にしみるほどの理解をするだろう。

インドもスリランカも、おなじ英国の植民地となったのに、あたかも台湾が日本領となったように、スリランカ人の秩序ある生活ぶりは日本人にも馴染めるものであった。

しかし、以前に大統領を兄弟で輩出した一族が、私腹のために組んだ中国に売国して、一族最後の大統領はとうとう国外逃亡をするまでになったのである。
ところが、それ以降もぜんぜん改善されない混沌のために、とうとうクリーンな「左派」の政権になったという顛末にみえるし、そう解釈されている。

わたしはそうはおもっていない。

むしろ、大親日国家であったことのひとつの結論なのだとかんがえている。
スリランカ人は、小学校から初代大統領の偉大さをたたき込まれているが、このひとがまた、日本大好き人間だったのである。

遺言に、角膜の一方をスリランカ人へ、そしてもう一方を日本人にと残して、遺族によって実行された逸話をしらないスリランカ人はいない。

スリランカと日本の懸け橋になりたい、という生前からの希望の実現であった。

東京裁判で、インドのパール判事が唯一日本無罪論を唱えたことは事実ではあるが、スリランカ人からしたら、インド人のパールにわが大統領の主張が盗まれた、とみているのである。

こうした話のおおくを、現代日本人のほとんどがしらないのは、台湾の歴史事情や果てはポーランドの孤児救済のはなしと同じで、相手方からの熱烈な片思いに、シラッと無視する嫌な奴状態にあるのだが、それが戦後教育のなれの果てだ。
GHQ(民間情報教育局:CIE:Civil Information and Education Section)によって計画されたからなのである。

スリランカは国として、ほんとうは中国でなくて、日本に積極投資して欲しかったのにできなかったのは、アメリカ(民主党=軍産複合体)がインドへの投資を推奨し、あたかもスリランカを見棄てたことにある。

しかし、スリランカ人の親日感での目は、哀しき勘違いとして、日本の自民党の共産化と親中ぶりをみていたのである。

おそらく、これを真似れば、日本のようにうまくいく、とインテリほど思いこんだにちがいない。

いえいえ日本は、うまくなんかありません、衰退がとまらずに加速していることがわかりませんか?とスリランカ人にいってあげたい。

旧宗主国の英国の衰退と、日本の衰退の類似点は、保守の左傾化=共産化にあるのだ。

これを国連が旗を振っていて、アルゼンチンのミレイ大統領が大批判したことは書いた。

スリランカ人は、アルゼンチンのミレイ氏に教えを請えばよかったと残念におもうのである。


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