せっかく各州知事選や州議会選まで「完全勝利」したので、記念に購入することにした。
ただし、細かく観察するとアリゾナやらネバダでは、例によって妙なことが起きている。
先月に発売されたばかりの新型で、かつ、セルラーモデル、ストレージは256Gである。
旧型との外形的なちがいはないが、来年あたりからのサービス開始というA.I.(「Apple Intelligence」という)のために、チップの高速化だけでなくRAMが倍増の8Gになっているのが最大のポイントだろう。
もっとも、イーロン・マスクが自社でのアップル製品を「使用禁止」にしたように、わたしは個人的にA.I.サービスに魅力を感じてはいない。
政権入りするマスク氏が、GAFA+Microsoft の言論統制にまつわる規制をどうするのか?が注目される。
ことしは5月に新型の「ipad pro11インチ」を買ったから、なんだかたくさんの枚数を所有することになった。
これまで「mini」を避けてきたのは、そうはいっても11インチやそれ以上の画面サイズにくらべたらずっと小さくなるので、単体での使用ではいかがかとおもっていたからである。
それで、12.9インチと11インチの二枚持ちをもって便利としていたが、外出先でつかうにはやっぱり重いという問題に突き当たったのである。
なお、キーボードは、「ロジクールMX Keys Mini」のUS配列を愛用している。
国内で販売されているのは日本語配列のみなので、海外サイトから個人輸入した。
トランプ氏の不屈の精神は、キリスト教徒長老派(ピューリタン)として磨かれたものだろうが、2017年に現職大統領としてイスラエル・嘆きの壁で礼拝したトランプ氏は、娘のイバンカ氏がユダヤ教に改宗したごとく、かつてなくユダヤ教徒(「ユダヤ人」の定義はユダヤ教徒だけで人種は問わない)にちかいアメリカの大統領なのである。
それもこれも女婿である、クシュナー氏が「正統派ユダヤ教徒」であることに理由がある。
幸か不幸か、日本人にはユダヤ人のことはぜんぜんわからない、という隔絶があるので、じつはヨーロッパ社会のこともわからないのである。
この意味で日本人には、シェークスピアの『ベニスの商人』を、本質的に理解することは不可能なのである。
日本人で逆境を乗り越えたといえば、徳川家康だろう。
彼が残したという、「人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。」を受けとめたら、ipadの二台持ちごときで重さをうんぬんするのはどうかしていると、自分でおもいながら、やっぱり重いものは重いと、徳川家康を偲びながらも自己弁護している。
今年の新型から、裏面のロゴが「ipad」だけだったものが、「ipad mini」になったのは、一部のうわさで、最後の製品ではないかとの憶測があるのは、この製品のもちやすさにメリットを感じるアメリカ人やヨーロッパ人が少ないためだという評価がある。
そういえば、スティーブ・ジョブズが発表したipadとは、いまも健在にして最廉価の「無印」のことだった。
ようは、このサイズと重さが、彼らからしたら最適解なのである。
しかし、日本人には重いと感じる。
これは単なる体型からのことなのか?
そうやってかんがえると、サードパーティ製のカバーなどのアクセサリーも、miniに関しては他とはちがって、よりアクティブな遣い勝手が望ましい。
ただし、外国人は、スマホにしても日本人のようにカバーなどはつけずに、そのままでつかうから、あんがいと画面が割れているのに気にしないようである。
それもこれも、消耗品に対する思想のちがいがあるのだろう。
だが、スマホとちがってipadは、それでも8年ぐらいは使える息の長い製品なので、遣い勝手をよくしながら、耐久性にも貢献するようなアクセサリーが欲しくなる。
すると、いまから購入して、2032年の大統領選挙までは寿命があるということになる。
だんだんと、自分の寿命のほうが気になるのだ。
さすれば、SNSをはじめとした電子サービスにおける「言論の自由」や、マスコミ偏向報道の是正などがどうなっているのか?
たとえば、8日付け読売新聞のタイトルに「トランプ氏勝利、広島の被爆者「核廃絶どころか核抑止論に拍車かかるのでは」…知事は「模範となるべき行動期待」」なる記事がでた。
この新聞の中興の祖は、CIAのコードネーム付きエージェントだったことがアメリカ公文書館の機密解除で明らかになった正力松太郎である。
アメリカ大統領として初めて広島にやってきたオバマは、「核廃絶宣言」をしながら、ちゃっかり帰国したその週内に、核の大量生産を命じていたことだって報じられている。
これを、いまにつづく「パレスチナ問題」の元凶となった、ときの英国外相バルフォアの「二枚舌外交」だと糾弾しないほうがおかしい。
ただし、「核抑止論」が、核の本質的な理解として変わることがない「正論」なのは、自国民の安全をかんがえるという「前提」ならば、結論だからである。
とはいえ、ひとが持ち歩けるポータブルな「超小型核」も開発されていて、これを「戦術核」の範疇にいれる時代となり、大量生産しているのがわが国の複数の隣国だという現実がある。
はたして、戦後の太平を築いたとの神話、「アメリカの核の傘」は、もはや幻想ではないか?
徳川家康なら、これにどう対処するのか?深読みしなくとも答はみえてくる。
西側のハイテク兵器が旧装備のロシア軍を撃破すると信じていたら、ぜんぜん役に立たない現実がウクライナでハッキリしている。
トランプ氏の勝利で、ハマスが停戦をいいだして、ゼレンスキーは保身に必死の状態になっているのをどう観るのか?
激変することが確実な将来を見据えたら、ポータブルな情報端末を今買う「記念品」としての価値がここにあると、ささやかにひとりで合点しているのである。