フェイクニュースをどうするのか?

日本国憲法は、言論の自由を謳っているけれど、憲法とは慣習法である、という大原則にてらせば、国権の最高意思決定機関たる「国会」における「慣習」の変更こそ、日常的におこなわれている事実上の「憲法改正」だと国民がしらない。

たとえば、最近流行っているのが、国会での大臣の答弁拒否の慣習化である。

このあり得ない暴挙に、野党がまったく役に立たないので、ほんとうに「慣習化」してしまった。
つまり、憲法にある、「国権の最高意思決定機関」が、国会から内閣・大臣(行政府)に移転するという「書き換え」が起きているのである。

慣習法だから、憲法にある「条文」よりも、実態が優先されるし、いったん慣習法化したら滅多にもとには戻らないのである。

もちろん、野党は、この暴挙に「条文」をもって「糺す」ことで、この憲法違反状態を正常化すべきであるが、どういうわけかスルーさせることで事実上の憲法改正に加担しているといいたいのである。

だから、ここ一番の質問に、大臣たちが「お答えを控えさせて頂きます」という、あり得ない対応が「流行る」のである。
これぞ、「憲政の常道」破壊のなにものでもない。

かくも国会が蔑まれるとは、ワイマール憲法に手をつけずにヒトラーの独裁を成功させた、「全権委任法成立」よりも酷いことにあたる。
かつてのドイツだって、「法」として明記したものを根拠とした「独裁」なのに、わが国では完全に「ステルス状態」で、日本国憲法の息の根を止めているのである。

ようは、与党による「憲法改正論議」なんていうのは、ただの見せかけのブラフにすぎず、すでに憲法は改正どころか、停止状態にある。

そんなかで、1日、SNSを対象としたデマ防止を理由とした「言論統制」がはじまった。

ネットでは、地上波のフェイクニュースを取り締まらないのか?という荒っぽい意見もあるが、これはいただけない議論だ。

政府による言論統制の問題は、誰が統制の対象を決めるのか?ということに尽きる。

政府=官僚にこれを決める権限を持たせることにあるから、あからさまな地上波のフェイクニュースでも、政府の統制を求めるのは、飛んで火に入る夏の虫のごとくなのである。

せいぜい、裁判官が決める、のがこれまでの常識なのだが、その裁判官が世界的に狂いだしている実態からすると、「どうするのか?」になるのである。

たとえば、アメリカでエルサルバドルに強制送還&刑務所収容された、とある移民の「帰国命令」を、連邦地方裁が出したとのニュースが話題を呼んでいる。
これには、トランプ政権2.0の「謝罪」の事実があるから、そのまま「ニュース」として流れ、トランプ政権2.0の非道さが巷間に広がる期待がこめられている。

しかし、残念ながら酷いのは「判決」の方なのである。

たしかに、行政的な手続ミスはあるが、送還された本人はアメリカ政府が指定した国際テロ組織のメンバーであって、誤認と帰国を裁判で要求した原告(本人の妻)も、また、この組織のメンバーで現役の活動家である事実が隠されている。

ようは、原告に原告としての資格があるのか?ということが無視されているのである。

この「ニュース」は、日本語では、共同通信が配信した。
わが国における「通信社」は、「共同」と「時事」の2社で、ほかに、経済ニュースの「日経」、「朝日」があるし、外国通信社の代表には「ロイター」、「AP」、「AFP」などがある。

建設業でいう「ゼネコン」と似ていて、通信社は新聞社などと「ニュース配信」契約をして、これらはいわば下請的に自身の紙面に記事を掲載することで、紙面の空白を埋めているのである。

ただし、契約上、どこの通信社からの配信かを明記しないといけないし、配信された記事を独自編集できないから、全文をそのまま掲載しないといけないのである。

たとえば、「ワシントン、共同」とあれば、ワシントンの共同通信からの配信記事です、という意味である。
ここに、「特派員」はなにをやっているのか?という疑問につながるのである。

なので、まずは、新聞や地上波などを、みない、聴かない、を実行するのが、なによりも重要で、政府の検閲やらの統制に期待するのはまちがっている。

玉石混淆なのは、ネットの常識なので、そのなかのSNSもしかり、というのは、議論の余地もないことである。
信ずるも信じないも、受け手の自由であるが、個人を攻撃したりするのは、当然ながら感心しない。

子供の狭い世界で、ネット空間での誹謗中傷に耐えきれず自死するような痛ましいことはあってはならいのだが、それならばスマホなどの端末を子供に所持させてはならない、とした方がよほど健全ではないのか?

とりあえず、「選挙情報」に対するフェイクニュースだけを対象にする、という憲法違反だけど、必ずや「拡大解釈」するのが、人類史というものの法則なのである。

これを、「蟻の一穴」という。

戦前ならば、「軍部」がやったことを、いま、「文官」政府がやっているのである。

ひとつだけ、国民には、「あぶり出し」のヒントになっているのが、どの政党が推進し、あるいは黙認し、どの政党が明確に反対しているのか?でふるいにかければ、だいたい正しい選択ができるということである。

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