都内に暮らしていないので、わが家に都知事選の調査協力依頼がくることはないのは当然としても、このところ固定電話に自動音声での「アンケート」が何回かかかってきている。
そのまま応答せずに切ることがおおいけれど、どんな質問なのかに興味があるときは、「回答協力」をやっている。
ただし、ただで他人の時間を奪う一方的な電話がコトのはじめだから、その回答について、わたしがおもうこととは真逆に対応する番号を押すことにしている。
それで、その調査の信頼度がどうなろうとしったことではないのだが、そもそもサンプル数やら、有効回答数など調査の信頼性のための基本データすら公表しない「アンケート結果」がふつうなので、まともにそうした結果を見聞きする価値もはなからないということで、こころの痛みを消しているのである。
ようは、ゴミである。
統計をちょっとでもかじったひとならしっている、ゴミデータをどんなにいじくっても、ゴミからはゴミしか出てこない、のが統計の「いろは」の「い」である。
ホンモノのゴミからは、資源が回収される「かも」しれないが、ゴミデータからはぜったいに不可能である。
いまでは、学習指導要領から、中学校や高校の数学で統計を習うので、いまどきの中学生や高校生の方が、よほどこの基本をしっている。
なので、しらないのはアンケート調査をやっている者たちか、調査専門会社に丸投げ発注依頼した側のおとなたちの方なのである。
だから、専門会社が、ちゃんと基礎的な表記をして「納品」したのに、その重大性に気がつかないで「編集」して省いている可能性が高い。
これはもう、報道資料として自殺行為であるけれど、ぜんぜん気づかないのは、読者が理解できないとタカをくくっているからにちがいない。
かかし、上述のように、中学生や高校生は、習ったばかりという新鮮さでその重要性をしっているのである。
わたしが社会の教師なら、これほど役に立つダメ資料はないと、大手マスコミの記事をもって生徒に教え、いかにおとなが阿呆かを批判的に観察させて、他山の石とする。
かしこいおとなになってほしいからである。
しかして、いまの日本は、高校を卒業する18歳で選挙権を得るので、あんがいとはやく学校で得た知識を実践できる環境に投げ込まれるのである。
むかし、尋常小学校をでてすぐさま働きに出たのとはちがう、もっと重い意味の社会的責任を負わされることに、とうとう親世代も気づかないでこれを許した。
さてそうやって構成されている社会を眺めると、たとえば、都知事選の「有力候補」についての報道が、どのような調査に基づいているのか?について、明らかにしながら報じる者がいないことに注目すると、「開票速報」ですぐさま表示される「当確」の意味が、ぜんぜん信用おけないことに気づくのである。
マスコミは、建設業と役所の「官製談合」をずいぶんと叩くキャンペーン記事を書きまくってきたけれど、大手ほど建設業がコマーシャルのスポンサーになることがないからで、役所の広報予算もたいしたことがなかったことが原因だったとかんがえられる。
ようは、おねだり、だったのだ。
しかし、いまや、政府広報の「定価」でいける比重が、「おいしい」という営業上の理由から、政府(地方自治体も含む)のいいなりプロパガンダ機関になるしか、生き残りの術がなくなった。
あたかも、航空券が「正規」で売れたようにであるが、飛行機に正規料金で乗るものが皆無になって、ガスを燃やして噴射して空を飛ぶ飛行機が、電気でモーターをまわす新幹線よりも安くなる、「原価通り」になったのである。
地上に空港設備があれば、どこでも飛んで行ける飛行機には、線路や架線そのメンテの保線のみならず、トンネルや橋梁を作るコストがいらないからである。
火力発電が主電源の電車は、走るときだけ排ガスをださないだけで、発電とメンテに多大のエネルギーおよび資源を要するのだ。
超伝導で超電気食いのリニア(品川-名古屋で専用の大型原発が一基、大阪まで伸延すればもう一基要る)が、世界でどこも採用しないのは、ぜんぜんエコノミーでもエコロジーでもないからである。
そんなわけで、外国のエージェントと化したNHKを筆頭に、「当確談合」を選管といっしょにやれば、もうそれで「民主主義」の完璧な選挙が一丁上がりとなるのである。
すると、いまの体制下において、もっとも怪しい役所は、「選挙管理委員会」なのである。
なるほど、財務省やらを悪者にして、選管の闇を隠している。
選挙管理委員会の親玉は、総務省=旧自治省=「キング・オブ・役所」だった旧内務省だ。
そういえば、中学校の生徒会役員選挙も、職員室が「選挙管理」を主導していた。
ゴミデータからはゴミしか出てこないが、「選管の闇」というゴミがでてきた。