17日、トランプ大統領は、ワシントンD.C.から連邦政府機関を一掃する可能性のある大統領令に署名した、とネットニュースで流れた。
これは、政権移行期の昨年暮れにトランプ氏本人が発信した記事とおなじだ。
ワシントンD.C.という土地柄は、トランプ政権1.0から「DSの沼」だとトランプ氏が指摘して久しいけれど、いよいよ物理的な移動をともなう「遷都」をいうまでに汚染されているということだろう。
もちろん、ガザに関する新しい街の建設提案にあったように、不動産デベロッパーとしての「本業」からの習性あるいは、発想の癖、があるにはちがいないが、新しい街の建設ともなれば、なぜか国民作家アイン・ランドの『肩をすくめるアトラス』のラストを思い出させるのである。
DOGEによる連邦職員の削減で、ワシントンD.C.に住まう高級官僚たちが大量退去をはじめたために、不動産価格が急減する報道もあった。
しかし、それよりもDOGEが注目したのは、彼らの年収と取得した不動産やらの資産価額が一致しないことでの「汚職」の疑惑だった。
たとえば、国連大使から事実上閉鎖されたUSAIDの長官を務めた人物は、数年間で十億ドル(千億円)単位の資産を増やしていたことが判明している。
長官としての年収ではあり得ないのは当然として、今後、議会あるいは捜査当局の手が入ることは確実視されていて、その腐臭は子供にもわかるほどになっている。
おなじような疑惑は、「インサイダーの女王」といわれるペロシ元連邦下院議長にもいえるし、悪名高き「クリントン財団」もしかり、なのである。
日本人ならわかりやすいのは、「穢れ」の概念の民族共通があることだが、アメリカ人には理解が困難だろう。
そもそも「穢れ」とは、物理的に汚れていることだけを意味せず、もっと精神的な嫌悪を生じる意識の中にあるものだ。
日本人は、これをどうやって「祓(はら)う」のか?をずっと気にしてきた民族で、ために「禊(みそ)ぎ」を発明したし、それが新築前ならば「地鎮祭」をもって邪気を祓ったものだった。
政治家の禊ぎとは選挙で勝つことだと定義したのは、松野頼三氏だった。
この元海軍主計少佐の遺訓を、松野家は引き継いでいるのだろうが、きっちり息子に選挙区を相続させたのは、有権者が阿呆だからかなんなのか?
グローバリズムの影響は、あんがいと日本人がローカルとして特別視しているようなことまで、勝手に拡散しているのである。
昨今、欧米では「神社神道」の普及が静かだが確実な動きになっている。
これらは、サブカルとしての「マンガ」や「アニメ」によるらしいが、なんにせよ「日本オリジナル」だと思われていた事物が世界に普及を始めたのである。
バブルの頃には、東京から東北やらに遷都する構想があったけれども、あまりの予算がかかることでの現実性が薄れたら、バブル経済の不調・崩壊もあって、いまでは覚えているひとも少数派になっているだろう。
このときの旗振り役は、堺屋太一氏であった。
堺屋氏といえば1970年の万博成功の通産官僚としての「立役者」であった。
いまの万博の利権(じつはカジノ設置)による「穢れ」状態が、誰の目にも明らかな状態からしたら、みごとな政治の「劣化」が確認できる残念がある。
とはいえ、ときの政治が「副都心」と勝手に位置付けたために、埼玉県の大宮あたりにずいぶんと「国の役所」が移転していまにいたる。
これで「東京の一極集中」が緩和されたと評価するなら、東北のひとたちには合点がゆかぬことだろう。
しかし、人口集中による「効率のよさ」をあんがいと無視はできない。
数百メートルも歩けば地下鉄の駅にあたる東京は、まさに「メトロポリタン」を実現したのであって、そのベッドタウンに成り下がった横浜の地下鉄にみる閑散は、ただ人口がいるだけで都市は成り立たないことを示している。
一方で、人間とは、見た目ではなにをかんがえているのか?がわからないので、ほとんど本能による動物の人間からみて意外な行動とはちがって、一見同士なら予測困難なものである。
それが、アメリカ人のエリート官僚で、しかもほぼ全員が民主党支持者という、日本ではみたことがないようなひとたちがかたまって住んでいるのを想像するのは難しい。
あえていえば、「パックン」のようなひとたちが大量に集まっているのである。
これは、ニューヨークの典型的なヤンキーたるトランプ氏にも異様なのではないか?
そして、信心深いゆえに、一種の霊的な不気味さも感じることができているのかもしれない。
日本的にいえば、「幽玄の世界」ともいえる、あの世との境界である。
これをどうするか?を完全な「別物」としてみせてくれたのが、『エクソシスト』(1973年)であった。
『雨月物語』(1953年)と比較すれば、洋の東西における感覚の絶壁すら感じる。
むかしの日本で、「遷都」ばかりしていた時代があったのは、あんがいと人間が幽玄に敏感だったからだろう。
しかして、「草木も眠る」が、本当だと科学が証明する昨今、むかしの日本人の感性は、まったくバカにできるようなものではない。
むしろ、現代人の感性の退化の方がむかしからしたら驚愕に値するのだろう。
その意味で、いま、アメリカで「遷都」が話題になるのは、現代日本人には「余程のこと」なのだが、本来ならば「当然」にワシントンD.C.が十分穢れた土地だといえるのである。
だが、残念なことに、アメリカ人には穢れを禊ぐ方法をしらない。
これは、現代日本人にも共通したものなので、「ワシントンD.C.遷都」がニュースにならないのである。