ヴァンス副大統領の受けない演説

ミュンヘンでの悲惨な事件が起きた後の14日、「安全保障会議」で20分ばかりではあるが「歴史的な演説」をしたけれど、拍手もまばらな受けない演説であったばかりか、あからさまな反発を生んで、ヨーロッパの状況がわれわれ日本人がかんがえる以上に悪いことがわかったので書いておく。

ネットでは何人かのYouTuberが日本語通訳を付けてくれているが、やっぱり「Harano Times Official Channel」さんのものがわかりやすい。
また、17日付け時事通信外信部の発した記事が、そのヨーロッパ側の目線からの報告として役に立つ。

念のため、なにが「歴史的」だったかといえば、新大陸(アメリカ)から、旧大陸(ヨーロッパ)への容赦のない「苦言」だったことであるし、それが「安全保障会議」という、軍事専門家たちを中心に各国首脳が集まる場所で、歯に衣着せぬ「直言」だったからである。

おおよそ従来なら、この手の会議でアメリカは「(武器)セールスマン」としての立場から、重要顧客に対して「ヨイショする」のが通例である。

しかしながら、EUがあからさまに推進している「言論統制」や「選挙介入(ルーマニア大統領選挙を例に)」の民主主義を破壊する行為をもって、敵は内側にいる、と断言したのである。

だから、やり玉に挙がった、たとえば開催国のドイツを代表して、シュルツ首相が反撃する内容の「記事」となったのである。
もちろん、記事内で、シュルツ政権が昨年暮れに国会での「信任投票」で敗北し、とっくにレームダック状態であることは書かないし、23日の総選挙で敗北が予想されていることにも触れない。

妙に、1939年(昭和14年)の、平沼騏一郎首相が、(敵対しているはずの)ナチス・ドイツとソ連の相互不可侵条約締結の情報にあたって吐いた、「欧州情勢は複雑怪奇」といって総辞職したことが連想ゲームのように思い出されたのである。

わが国エリートの単純脳は、戦前どころか慶応年代生まれのこの人物にもあてはまるのは、この検事総長から大審院長(むかしの最高裁長官)まで経験して首相になった人物が、ナチズムと共産主義の親和性(「全体主義」という点でほとんどおなじ)についての感覚もなく、表面的な演出にばかり気を取られていたことの証拠なのである。

ヴァンス副大統領による、ど・ストレートな「民主主義の原則」主張に、EU首脳も一斉反発したので、いまのヨーロッパが民主主義を放棄していることがよくわかる、「あぶり出し」となったのである。

さらに困ったことに本人たちに、自覚がない、という病気が蔓延していることもあぶり出された。

これは、トランプ大統領が持論の、「ワシントンの沼の水を抜く」というはなしとおなじで、ヨーロッパの沼の水を抜いてみたら、「魑魅魍魎」な生きものたちがどす黒い姿を現したようにみえるのだった。

じつは、ヨーロッパは、小国それぞれの複雑な歴史と身分構造という側面があるから、まったく平面的ではなく、これがまた平沼騏一郎をして混乱させた要因なのである。
日本が「四民平等」をいって、あたかも平面化したようにみせたが、じつはちがっているというレベルの複雑さをはるかに超える超立体構造がいまでもヨーロッパにはある。

なので、新大陸の「人種のるつぼ」がまだ単純にみえるヨーロッパの支配層からしたら、ヴァンス副大統領の「若さ」だけでなく、浅はかなアメリカ人の「青さ」をベースにして、聴いているのだし、とりあえず「副大統領」の肩書きにつき合っているという感覚にちがいない。

だがしかし、そんなことは承知の助で、アメリカ人の「青さ」を盾に、性根を据えて語るのがこの(アジ)演説の目的であったろうから、まんまとヨーロッパを支配する「身分は高い」が比較的知能が低いものの権力欲だけは人並み以上の「貴族」を自認する人物たちを刺激して、「黙っていられない」状態に追い込むことに成功したといえる。

会場を埋めたなかには、ヨーロッパ各国の高級軍人も多数見受けられ、白々と聞いている姿が以上を物語っていた光景である。

トルストイの『戦争と平和』やら、ベルサイユ会議の『会議は踊る』もしかりだが、「将校」の地位にある高級軍人は皆、日本人が忘れ去った「貴族階級」のひとたちなのである。

だから、ノブレスオブリージュ、の伝統はいまでもあるが、残念ながらエセ武士と化した日本人の支配者は、これに匹敵する『武士道』すら完全に忘れ去った。

前にも書いたが、ヨーロッパの貴族支配の社会は、鉄道旅行すればわかる。

中距離以上の列車には、かならず「一等車(ファーストクラス)」が連結されているけれど、ほとんど乗客がいないガラガラ車両となっている。
おなじ編成の「二等車(セカンドクラス)」がどんなに満員状態でも、だ。

料金差は日本のグリーン車の方があるけれど、ヨーロッパ人は乗らない。
「身分が違うから」という理由なのである。
決して、「料金さえ払えば乗車できる」という感覚にならないのは、先祖からそういう訓練を受けているだけでなく、「名前(姓)」にも身分が刻み込まれているからだ。

貴族から逆にみれば、ヨーロッパの庶民とは、圧倒的多数が「農奴(serf)」階級の出身だったし、この階級に生まれたら、いまでも基本的に大学に進学することはないのである。

すると、この会議の聴き手たちの心情もようやく理解できるというものだ。

J.D.ヴァンス副大統領は、自著、『ヒルビリー・エレジー』にある通り、貧困層の出身という、彼らヨーロッパ貴族からしたら対等に口をきくのもはばかれる相手からの「説教」だから、はなから理解するために聴く耳はもたないのであろう。

それにしても、ドイツの庶民やら他のヨーロッパの一般人が、この演説をどのように聴いたのか?についての情報を提供しない、日本の通信社やその特派員は、なにをやっているのか?が気になるが、東京のデスクが却下するのがみえていれば、原稿すら書かないばかりか、取材もしない。

これがまた、組織というものなのである。

ロイターもそうだったが、記事を「編集」していることの、「編集方針」が、世界の民主主義の敵であると言ったも同然で、イーロン・マスク氏の「X」を排除したがる全体主義政府の正体を明かしたことは、やっぱり「歴史的」といえるのであった。

そしてその「X」では、この演説後、ドイツでAfD支持の大規模デモが起き、従来の支配層(既存与野党)がヒステリー状態で震えていることを伝えているのである。

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