不味くて評判の悪い店チューバー

世に美味くて評判のよい店を紹介するユーチューバーは数多くいるが、その逆は珍しい。
これはこれで、ひとつの「専門性」というブランド分野になる。

その名は「びわ湖くん」で、現在のチャンネル登録者数は49万人だ。

はたして「アンチ・グルメ」なのか?といえば、本人はそんなことではないとおもう。
興味本位の野次馬根性が結晶化したのだとおもう。

つまるところ、観る方にこそ、興味本位の野次馬根性が結晶化しているのである。

もはや日本文化にまでなった、GHQがやったWGIP(War Guilt Information Program:「戦争責任(ウォー・ギルト)広報(インフォメーション)計画(プログラム))から派生した、「3S政策:screen(映像鑑賞)、sport(観戦)、sex(性欲・食欲)を用いて大衆の関心を政治に向けさせないようにする政策」の効果は、見事な愚民国家にすることに成功した。

ちなみに、『ウィキペディア』に「3S政策」は、陰謀論と定義されているようだが、イーロン・マスク氏は25日の「X」で、ここへの寄付は待ってほしいとの投稿をしている。
彼の「言論統制からの開放」実施がされるまで、という意味である。

こうしてみると、『YouTube』も、しっかり「3S政策」と関連するのは、当然といえば当然なのである。

すると、「びわ湖くん」も、外れ値に近いものの、「3S政策」の部類に自動的に入っている、ともいえる。
もちろん、本人にそんな意識があるかないかは関係ない。

それが、「プラットフォーム」の基礎・基盤だからだ。

しかしながら、「不味くて評判の悪い店」というジャンルが、上に書いたように「外れ値に近い」というのは、視聴するものの関心を、「なぜ?」、「どうして?」という、「3S政策」にあってはならない素朴な疑問に導くからである。

疑問こそヒトを発展させた源泉なのである。

いまどき、こんな不味いものを商売として提供して、どうして存在できるのか?
たとえば、グルメ紹介サイトで「1ポイント台」という惨状なのに、なぜこれを放置しているのか?、なぜなんらかの対策をとらないのか?とか、すぐさま浮かぶ疑問の数々が妙に、みうらじゅん『やりにげ』のデカダンを彷彿とさせる。

わたしは、一連のみうらじゅん氏の作品群こそ、後世に残る、現代の『徒然草』だとかんがえている。

ここでいう「後世」の時間的なイメージは、「人類史」のレンジであると註をいれたい。

それは、国立科学博物館長の篠田謙一『人類の起源』における、時間レンジをいいたいからだ。
最低でも、向こう数千年にわたる子孫に参考となる、20世紀から21世紀における「日本文化」についての観察があるのだ。

むろん、人類の起源がここ数年で判明してきた背景に、「ゲノム解析」技術の劇的な発展がある。
ヒトゲノムが全部判明したことで、「ホモ・サピエンス」とは何者かがわかってきた。

これが、文明史からなにからを急速かつ一斉に書き換えている。

そして、ホモ・サピエンスの「OS:オペレーションシステム:発想パターン」が、万年単位で変化していないことに議論が行き着いてきたのである。

つまり、「新人類」とは、この「OS」が新しいヒトのこととなり、もしや、いまがその「分岐点」なのかもしれず、今後数千年とかのレンジで共存するかもしれない。

近い将来は、歯・骨そのものが発見されなくとも、周辺の土やらからの成分分析でゲノムを解析できるようになるという。
ために、世界中のあらゆる場所で発掘が行われていて、「空白の時間」を埋める作業がこれまた大層な資金を投下して実施されている。

しからば、『徒然草』と『やりにげ』の間に、いったいいかなる変化が日本文化上で起きたのか?という問題提議となるのは必定で、それがたかだか80年ほど続いた「WGIP」の効果だと分析されるのか?それとも、たとえば江戸時代の元禄期からのことなのか?などを含めつつも、「文明開化」かもしれぬという議論があっていいのである。

そして、21世紀初頭の四半期に、「びわ湖くん」が現出して、デジタル動画によるレポートによる、『やりにげ』の補強活動があるのである。

いまの日本人の寿命が、100年後にどうなっているのか?はわからないけれど、ざっと80年だとすれば、すでに誕生した現在の乳幼児の多数は、22世紀まで存命する。
それこそ、こうした「記録」を、どのような感覚で視聴するのか?

はたまた、新人類が現出し、彼らとの共存は実際にあるのか?

未来に行って聞いてみたい。

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