高度成長期と同期して、憧れの「マイカー」だった時代は、半世紀前に終わり、「大衆車」がほんとうに普及して、一家に一台の時代すらすでに越えている。
都市部では、高齢世代と貧困化する若者世代の「マイカー離れ」が顕著で、都市近郊では人口減少下でも工場や大きな駐車場が住宅になっている。
民主国によるさまざまな「規制」は、国民のため、が大原則なので、議会の議決を伴う「法律」にすることが当然である。
なので、国民のためにならない、と評価されるものは、法の「改正」あるいは「廃止」の対象になるのも当然である。
トランプ政権「1.0」でもっとも評価できる政策は、「2対1ルール」の徹底であった。
これは、あらたに規制をひとつ設けるなら、過去の規制をふたつ減らす、というもので、提案者は過去のふたつも一緒にして吟味しないといけないルールである。
このために、トランプ時代のアメリカ経済は絶好調だったのである。
しかしながら、日本とヨーロッパ(EU)の政権は、この政策を無視するばかりか、国民に知らせないように仕向けたのである。
既得権益者の保護が目的である。
なお、EUの政権とは、選挙で選ばれない官僚機構たるEU委員会を指すし、日本の場合もしかり、である。
そうはいっても、EUは、食品についてはあんがいとちゃんとしていて、添加物だけでなく、大本にあたる農業でも、使用できる薬剤(農薬や化学肥料)に対する規制はしっかりしている、いい意味での不思議があった。
逆に、こと環境規制ともなれば、世界一厳しいことも有名で、結局EUの基準が、デファクトスタンダードになっている。
この結果の産物が、「EV(電気自動車)へのシフト」で、2035年までにEU域内における新車販売で、EVしか許可しない、という強力なものである。
しかし、これが破綻した。
もっとも積極的に取り組んでいたドイツ・フォルクスワーゲン(ナチス政権下に設立された国営企業「国民自動車」)が、とうとう国内工場の閉鎖にまで追い込まれてしまったのである。
これによって、直下で数万人、裾野の中・小・零細企業を含めたら途方もない数のドイツ人が失業する。
「肉食の思想」をもった、典型的なおバカ経営者が、トヨタに叶わないあきらめから求めた「ルール変更」が、大ブーメランになって戻ってきたのである。
もちろん、そのきっかけは、「ディーゼルエンジンのデータ不正」をしてまでの、トヨタ・ハイブリッドとの競争だった。
これがバレての最終手段が、陰謀的ルール変更だったのだ。
これから、過去販売された純粋の「ドイツ製」の中古車が価値をつけるだろう。
なにせいまは、「中国製」だからで、技術も技能もドイツから流出したからある。
日本では、日産とホンダが、このEU規制にまるまる乗っかったが、すでに悲惨なことになっている。
ホンダについては、全車をEV化すると宣言し、内燃エンジンの開発を全面的にやめる判断をしてしまったから、残った手はいいだしっぺの社長解任ぐらいしか路線変更の方法がない。
株主も、株価で大損するかもしれないが、それがこの社長を選任したことのコストなのである。
わたしがいまでも残念なのは、トヨタグループにあって独自を貫くようにとトヨタ本社から指示されているという、スバルが、2017年に主にヨーロッパ市場向けの「高性能新型ディーゼルエンジン」の開発を断念したことだ。
こうして、スバルは独自技術だった「ディーゼル・ボクサー(水平対向)エンジン」を棄てたのだが、ルールがまた元に戻るのである。
これも、当時の「EVシフト」風潮が理由にあったのは、上述したEUの法律のためだった。
まことに、政府が自由経済に介入するとロクなことにはならない。
これを、典型的な「政府の失敗」という。
まだ7,8年前のことだから、なんとか技術陣が残っているうちに「再開」できないものか?とひそかに期待しているのである。
前に書いた通り、一度途絶えた技術は、それが高度であるほど再開・再現するには、「技能」を伴うから、技術は記録にあっても技能を継ぐひとがいないと永遠に失われてしまうのだ。
それが、たとえば、25年ぶりとなった川崎重工の「ジョットフォイル」生産再開での冷や汗となったのである。
ヨーロッパは、良質の「ディーゼル・ガソリン精製技術」をもっている。
燃料は、日本の「軽油」」よりはるかに高品質なのだ。
これにスバルの新型エンジンがあれば、最強ではないか?
高度成長期の日本人経営者なら、迷うことはない決断となるだろうに。