全閣僚共通指示は国家社会主義の道しるべ

臨時国会の代表質問がはじまって、高市政権の化けの皮が剥がれだして、予想通りの展開になっている。
これからも、旧態依然としたなんの変化もない官僚下書きの答弁が続くのであろう。

先月21日の高市内閣発足にあたり、首相は全閣僚に向けて共通指示を出していたことがわかり、全文が公開された。

これは唯一、この政権を褒めていいことだが、あえていえば、「新旧比較」があればなおよい。
ただし、過去の政権がこのような就任時における大臣へのミッションを公表していないので、「慣例」となるように次回以降に大いに期待したい。

以下に読み込んだ感想を書いておく。

結論から先にいえば、「国家社会主義の追求指示」である。

高市早苗という人物の経歴だけからもわかる極左性について、このブログでは何度も指摘してきたことで、どこが「保守」なのか?があのウィキペディアをみただけでもわかるのに、まったく逆の評価が喧伝されている。

まさか全閣僚へのかくもヤバイ指示の内容が国民にしれて、施政方針演説からも知能がある国民の一部が気づきだしたものの、まだまだ多くの国民はこの内閣のヤバさに気づかず、高い支持率をキープしているのである。

つまり、過去からの自民党の目線である、国民をナメきっていることに変わりがない。

ところで、国家社会主義といえば、ナチスが想起されるし、戦前のわが国、とくに近衛内閣をその代表としてかんがえることができる。
しかし、90年代以降から、「国民」社会主義へとナチスの解釈が変化している。

国民がナチスに協力した、という冷徹な事実を前面に出すことも意図されているし、ナチスの「ナ」にあたるドイツ語「Nation」の訳が、国民とも国家ともとれることでの誤解だった、という。

これで、日本の戦前「ファシズム」をどうするのか?にもなっているのは、国民が政府に協力した事実があるからでもある。
それで、日・独とも、戦後は国民が被害者だったという巧言令色に国民が洗脳されて、GHQの手に落ちたのである。

こうしたことから、高市政権は、国民の協力を得ることにいまのところ成功している、第三次近衛内閣風の「国民社会主義」政権だといえる。

さて、前文の記述は以下のとおりで、過去の自民党政権があたかも「なかった」のごとき書き方は端からいただけない。
*(注)()内は、筆者の加筆。

「(国民の)今の暮らしや未来への不安を希望に変え、(政府が)強い経済を作る。世界が直面する課題に向き合い、世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻す(なんて戦後一度もできなかったことの文学表現で、直後のトランプ大統領来日で底が知れた)。日本と日本人の底力を信じてやまない者として、日本の未来を切り開く責任を果たすべく、絶対にあきらめない決意をもって、国家国民のため、内閣の総力を挙げて、以下の政策を推し進める。」。

と、威勢はよいが、それは「政府」が主体だという自由経済の原則を完全に無視しているのである。
日本人は、いま少しアルゼンチンのミレイ政権を観察べきだろう。

なので、(1)強い経済の実現、には、いきなり「危機管理投資」が肝だとでてくるのは、トランプにしてやられたアメリカへの「85兆円投資」のことだろう。
なお、石破政権では、「80兆円」だったのが、5兆も増えた。

この内閣の共通に「責任ある積極財政」なる魔語を用いることがあるけれど、結局のところ、経済は国家が主導する、という意味であって、ここに「減税」なる発想が皆無なのは、共通指示に「減」の一語もないことでわかる。
あるのは、「人口減」を所与とみなす論だけで、人口増を放棄し、あきらめているのだ。

つまり、政府の財政出動=減税という、欧米の常識(税負担の軽減で消費が伸びる)とは真逆の、広い意味での「公共投資=政府支出」一本やりで、その財源確保はしっかりとやる=増税を匂わせているのである。

これは、集めて配る、社会主義計画経済の典型である。
これを華々しくやった「アベノミクス」を継承する「だけ」で、安倍晋三の後継者というのは視野が狭すぎる。

「所得を向上させる」ために、厚労大臣への指示では、医療費の増額=医師への報酬増なる破滅的な福祉国家=社会主義の追及とまで読めるのであるし、カネと票をくれる団体構成員には所得を向上させるといっているのである。
ちなみに、国家財政の医療サービス負担が増大しても、国民経済の成長はない。

GDP増大に伴う国民所得の増加には、民間営利企業の成長しか方法がないからである。

(2)地方を伸ばし、暮らしを守る、では、わが国の基本構造である、「大企業型」「地元型」「残余型」の三類型を説明する優れた論文(『日本社会のしくみ』)を無視しているし、経産省若手官僚が気がつき150万ダウンロードを記録した『不安な個人、立ちすくむ国家』も、経産事務次官をやった今井首相補佐官は無視するのだろうか?

しかも、この指示の文面に手を加えているのが、官邸官僚のトップ、今井補佐官ではないかと疑うのである。

三本柱の最後、(3)外交力と防衛力の強化では、再度、「世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻す」なる、(小)中華思想が登場する。
これは、かつて、ブレジンスキーから指摘された『ひよわな花・日本-日本大国論批判』をも無視していないか?

おそらく、高市氏の個人的な『世界に一つだけの花』が好き、ということと、国民への媚びがミックスされたものだろうし、SMAPか槇原敬之のファンだといいたいのを、政治利用しているだけなのだろうと推察する。

つまり、高市政権の全大臣指示に見られる政策意図は、過去の自民党政権を無かったことにしながら、夢うつつのなかで国民経済を決して民間主導で成長させない、という錯乱しかみえてこない。
そして、国民をニューヨークのイカれたひとびとのように政府依存にさせることでの共産化社会を目指していると断言できるのである。

これは、管理社会のことであり、みごとなディストピアである。

それを、8割以上の国民が支持している倒錯は、いったいなんなのか?
奴隷を超えて、家畜になりたい願望が気持ち悪い。

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