首班指名の臨時国会はどうなるのか?
そもそも、高市早苗氏は首班指名を受けることができるのか?
「元・体育の日」の10日、26年間続いた公明党との連立政権が終わりをつげた。
このブログでは、高市早苗氏を一切支持していないのだが、現実の動きはことなるのも事実である。
そのリアリティーに寄せれば、まったく混沌としてきた、というのがすべてであろう。
果たして、高市氏が首班指名を受ける確率は、だんぜん下がっている。
さほどに嫌われる原因は、彼女の政治姿勢が「保守=右派」だとの決めつけ=世論操作にある。
しかし、世界はすでに「左・右対立」の時代は終わっていて、「グローバル全体主義・反グローバリズムの闘い」となっている。
この観点からしたら、高市氏は決して「反グローバリズム」のひとではないばかりか、むしろ、グローバル全体主義に日和っている側なのだ。
しかし、その寄り方が「甘い」という理由で、仲間内から排除されているのだとおもわれる。
もっといえば、旗幟を鮮明にしないので不気味、なのであろう。
たとえば、高市選対の応援団長、小野田紀美参議院議員は自ら「保守ではない」と宣言し、自分の言動が世間から「保守」だといわれているだけだと断言したようなわかりやすさが高市早苗氏にはないのである。
さて、公明党の離脱で、単純な「数の勝負」になってきた。
しかし、その組合せが複雑怪奇な情勢になっている。
自民党内は、麻生太郎氏を核とする表札は「高市派」と、菅義偉・森山裕のふたりが反麻生で連結している。
これと、野党のグダグダ連中が、党利党略で暗躍しているのである。
どちらにも、どこにも、だれにも、まったく、国民目線がない。
これはこれで、呆れるしかない歴史的権力闘争なのである。
改めて、坂口安吾の『堕落論』にいきつく。
堕ちるだけ堕ちて、底からの這い上がりしか残された道はない。
それを国民が選ぶという、責任が次にやってくるのである。