出勤拒否症の蔓延

文部省と日教組が、戦後GHQの指令とその遺言の着実なる実行で作り上げた、「管理教育」の漏れなき完膚さが、小学生をして登校拒否に追い込む事態を生み出したのは周知の通りである。

60年代の終わりから盛んになった、大学紛争が、高校生にも転移した。
それから、中学生が校内暴力に走って、最後に小学生が登校拒否するという順番になっている。

『3年B組金八先生』は、79年の放送からはじまったので、校内暴力真っ盛りのわたしの時代よりも「新しい」のが特徴である。
それゆえに、個々の事件の背景が、ずっと複雑化している。

この子たちは何に不満で暴れているのか?

思春期のなかの「反抗期」と併せて、まだ対処の方法が教師に見えていたわたしの育った時代とちがって、子供の側の理由も複雑化し、教師の側(教育委員会)の管理も強化=無責任化するという、さらなる複雑化をしながら育った「優秀な」ものたちが、いまは新卒採用で「教師」になっている。

この意味で、わたしは1972年から放送された『中学生日記』の中でドンピシャの中学生時代を経験した世代にあたるが、卒業してからは観なくなったので、2012年までも続いていたことに驚く。

中でも、風間先生役の湯浅実氏が、まさに「担任」だったのだが、それでも口髭があることが、違和感だった時代である。

日曜日の昼下り、どの友人宅に遊びに行ってもこの番組がブラウン管に映っていて、なんだか一緒に観ては現実とのギャップの談義をしていたのが懐かしい。

本物の現役中学生には、子役たちの優秀な演技とは別に、「作り物」感がたっぷりあったのである。
もちろん、演じる中学生俳優たちにも違和感はあったろう。

しかし、そのことで子供同士を談義させるのが、そもそものこの番組制作の意図だから、まったく術中にはまっていたわけである。

「教育番組」としてのドラマと、娯楽番組としてはちがうだろうが、いわゆる「青春モノ」の高校生ドラマでは、たいがい「熱血教師」が登場する決まりがあった。

当時から「ファンタジー」ではあったが、いまなら「鬱陶しい」ことになるのだろうか?
とにかく、基礎単位である「家庭」が一様でなくなったのだが、よくかんがえたら、一様な家庭というものはむかしだって存在しないファンタジーである。

それは、隣の芝生は青い、というはなしがむかしからあることでわかる。
原義は、他人のものならなんでもよく見える、ということではあるが、あんがいと隣近所の各家の事情は複雑だった。

それがまた、『家政婦は見た!』となったのである。

しかし、おおむね父親がいるならば、その稼ぎだけで一家が生活できたのは、いまからしたらファンタジーになるのだろう。
田舎の老婆が「担ぎ屋」とか、都会なら「靴磨き」を路上でやって、小遣いを稼げたのも、とっくにファンタジーである。

学校だけでなく、社会も「管理」されるようになったから、息苦しい。

こうしてみると、昭和の娯楽映画にみる、「適当さ」とか「お気軽さ」の中にある、本気での「なんとかなる」が消滅している。

登校拒否の経験者でない者でも、いまや出勤拒否をしていると社会問題化したのは、90年代だから30年以上も前のことなのである。
それから、正社員と派遣という身分社会に転換した。

これを促進するためのエンジン役を担ったのが、「消費税」だということに、サラリーマンたる大衆が気づいていない。

何度も書くが、冷戦が終結してすぐの92年に、アメリカのグランドストラテジーが書きかわったことに深遠だが原因がある。
いま、トランプ2.0になって、再度の書き換えが行われているけれど、これを拒否する態度でいるのが日本政府なのである。

ついに、日本政府が対アメリカにおいて、出勤拒否をしているのだ。

果たしてそれは、誰のため?何のためなのか?

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