南海トラフ地震が起きない可能性

地震・雷・火事・親父。

怖いのものの筆頭が「地震」なのは、人間の事情とはぜんぜん関係なく突如やってくるからだし、その被害規模も他の怖いものを圧倒する。
これに「台風」がないのは、「雷」に含まれるからであろうか?

それにしても、今年の「台風11号」は、わが国には影響がなかったとはいえ強烈だった。
6日の気圧は、915hpsで、最大風速55m/秒、最大瞬間風速は75m/秒で、このまま海南島を直撃したのち大陸へ上陸した。

その動画ががネットにあるが、あまりの凄まじさに撮影する方も命がけだったにちがいない。
まずは、被害に遭われた方々へお見舞い申し上げる。

風速の表示は、いつも「秒速」なので、時速に変換するには、3600を掛ければいい。
すると、秒速55m=時速198Km、秒速75m=時速270Kmとなる。
これは、ジャンボジェット(B747-400)の離陸速度とおなじなのだ。

太陽活動によるエネルギー(熱)が地球に届いて、これが海水を温めて水蒸気をつくる。
さらに、上昇気流の低気圧が海面との温度差で発達すれば「台風」に成長し、自転から生じる気流と高気圧(下降気流)に阻まれるのとあわさって移動してくるのだ。

一方、地球内部で発生する、地震のメカニズムは、じつはよくわかっていない。

なにもいまさら、小松左京に文句をいいたいのではないが、あのSF傑作『日本沈没』(小説は1973年3月、映画は同年12月)での、「プレートテクトニクス」が見事に日本人の脳に焼き付けれらたのである。

それでもって、大正12年(1923年)の「関東大震災」は、「直下型」だとして、当時はプレートテクトニクスからは別物扱いされる不思議があった。
さらに、研究が進んだいまでは、「震源地」についても確定していないという不思議もある。

いわゆる「直下型」の場合の特徴は、いきなり「縦揺れ」がくる。

関東大震災の地震では、約300~400Gal(ガル)の加速度(1秒間に1Cmの動きを1Galという)だったと推定されている。
ようは、瞬間にかかる「力」のことである。

そこで、過去の震災級の地震で観測・推定される加速度を調べてみたら、
1995年、阪神淡路大震災:800Gal
2011年、東日本大震災:2933Gal
2024年、能登半島地震:2828Gal

ちなみに、阪神淡路大震災で被災した神戸在住の知人の話では、自宅にあったグランドピアノが飛び跳ねて30Cm移動した、という。
床面に、一切の傷がないので、一回だけで30Cm飛んだのは間違いないといっていた。

これが、800Galの威力なのである。

しかしこのことは、地下での「地滑り」というよりも、なにかの爆発の衝撃ではないのか?
東日本大震災のあと、ネット動画で「水蒸気爆発説」を唱え、「プレートテクトニクス説を否定」するひと(「理学博士」だと自己紹介していた)がいたのが印象的であった。

なぜかというと、縦揺れの瞬間的に大きな加速度の発生は、爆発以外かんがえられないからだとの主張に説得力があったからである。

この5日付けで、『南海トラフM9地震は起きない』が発刊された。

わたしが気になるのは、こないだの「宮崎地震」からの日本政府の態度で、政府がなにかと国民を脅しつける宣伝をしていることなのである。
つまり、政府が「逆神」だと認識すれば、上記の書籍がいう、「熱移動説」による「爆発」がもっともらしいし、だから、「起きない」のだ。

なにせ、地球がまだ熱い星であることぐらいは素人でもしっている。

まったくもって政府の脅しは、政治的に国民を恐怖で支配しようとする企みとしかおもえない。
これに、南紀白浜をはじめとした各地の海水浴場が「自主閉鎖」したのは、まさに「コロナ禍の過剰」を彷彿とさせた。

その本意は、なにがなんでも責任回避するという、無責任思想にある。

素朴で素直だと好印象だった、西伊豆の土肥では、役場がはりきって「津波避難所」なる施設を計画どおりの数が設置できるまで、海水浴場を閉鎖すると発表しことに、まったく絶望的な文系の脳味噌の劣化を感じるばかりで、文句もいわない住民たち(当然議員も)の家畜化が残念でならない。

この計画数の科学的根拠は、たんに共産化した役人の妄想であろう。

そもそもをいえば、プレートだって、マントルの対流による表面上を移動することからはじまるのだ。
しかしながら、肝心のフィリピンプレートが海底から隆起して発生している現場がみつかっていないという指摘は事件に匹敵するのではないのか?

もともと、なにがなんだかわからないから、地震学会はこの本を無視するにちがいない。

ところが、反響がおおきく真実味が高まるとすれば、次に「責任論」となる。
さすれば、学会の歴代会長を取り巻く腰ぎんちゃくたちが、親分に責任を負わせない政治力を用いるにちがいない。

まさに、トップの無謬性=神格化がされる、全体主義の特性をあらわにする。

すると最後に、どなたかわからないが研究者でも弱いひとが「生け贄」になるのだろう。
なんだか、『白い巨塔』で、財前教授の医療ミスの責任を押しつけられた、受持医の柳原医師のごとくである。

そうやって、国からの研究予算だけは「死守」するのが、組織行動の原理だからである。

南海トラフ地震は起きないが、ひそかに、地震学会に激震が起きているのではいか?と妄想しているのである。

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