法でいう「政党要件」の法とは、政党助成法、政治資金規正法、公職選挙法の三つで定められている。
これら三法で共通しているのは、現職の国会議員が5人以上いること、と、さらに、政治資金規正法、公職選挙法では、前回の衆議院議員選挙か、前回か前々回の参議院通常選挙での得票率が2%以上、があり、政党助成法ではこれに加えて国会議員が1人以上所属していることの「いずれか」を満たすことが条件となっている。
この条件を満たした政党を、「国政政党(単に「政党」)」と呼んで、満たさない政治団体を「諸派」として区別する。
重要なのは、「いずれか」ということだから、参政党は「2%以上」の条件を満たす、「国政政党」である。
念のため、前回3年前の参議院通常選挙でも、昨年の衆議院総選挙でも、2%以上の得票率を満たしているために、法的に「国政政党」だといえるのである。
しかし、「日本記者クラブ」は、昨年から「いずれか」ではなくて、「どちらも満たす」ことを、同クラブ主催の「党首討論会参加条件」とし、今夏の参議院通常選挙における党首討論でもおなじ条件を提示した。
これによって、「排除」の対象になったのは、老舗の「社民党」と、新参の「参政党」となったのである。
ときに、NHKも、参政党の登場で、『日曜討論』への出演基準を変更し、過去からあった、「いずれか」から、「どちらも満たす」にしたので、常連だった社民党が出演できなくなったばかりか、新参の参政党も出たり出なかったりという状況が生まれた。
しかしながら、先の22日にあった、東京都議会議員選挙の結果、参政党の3人が当選したことを受けて、NHKは29日以降の同番組への参政党の出演をオファーしていた。
こうした「恣意的」な対応が、公共放送としてもっとも重要な、「政治討論会」の言論を制御することは、はたして妥当なのか?という問題に、「放送法」を所管する総務省はなんらの対応もしていない。
わが国の「言論の自由度」が、国際比較で低い評価であることを、家畜化した日本国民からしたら「不思議」な状態も、よくよくかんがえたら「かなりヤバイ」ことに気づくのがふつうだが、家畜だから、よくよくかんがえることもしない。
当然だが、社民党は強く抗議しているし、これを援護する共産党も異議をとなえている。
わたしはこれら政党の政策だけでなく思想も支持することはないけれど、放送局や日本記者クラブといった「公益社団法人」が、「機械的」ではなく「恣意的」であっていいのか?という疑問にこたえない態度は、結果的に「自傷」になるとかんがえる。
それで、NHKが勝手に折れた後にも、日本記者クラブがかたくなに「どちらも満たす」を曲げないなか、28日、元日本維新の会所属だった、梅村みずほ参議院議員が参政党に入党し、全国比例で再選を目指すことが「臨時ニュース」になったのである。
これで参政党は、現職の国会議員が5人以上在籍、という条件をクリアした。
創設者で党首の神谷宗幣氏は、大阪府知事だった橋下徹氏と組んで、「日本教育維新の会」を発足させるも、主義主張の隔絶に気づき離脱、その後、松井一郎氏らが「維新の会」とした経緯を街頭演説で何度も発信していた。
こうした因縁のある政党から、このたび梅村氏が合流する経緯もまた、「維新の会」という組織のガバナンスに対抗したことでの結果だから、人間は感情がある動物なのだ、と再確認することができるし、梅村氏を事実上排除した組織が、その先、をぜんぜん読んで(予測)いないことの愚をドラマのようにみせつけられたのである。
そういえば、維新は、2月にあの竹中平蔵を「ガバナンス委員会」に据えたばかりであったから、妙に「ざまぁ」という感情がほとばしるのである。
なにせ、4月に梅村氏が批判した「ガバナンス不全」の当事者だからである。
そんなわけで、公益社団法人日本記者クラブは、どうするのか?
「参政党外し」を、あたかも「トランプ外し」をやったがごとく真似をして、とうとう「地滑り的勝利」をトランプ氏にもたらした「故事」からも、なにも学んでいないのも、きっと組織ガバナンスに問題があるにちがいない。
参政党はトランプ政権2.0と連絡していることも、話題になっている。
マスコミを信じないひとが多数派になって、「地滑り的勝利」をもたらすことになるのでは?と期待している。